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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



225 追憶(1973) 映画の話です 2003/10/07 07:32
ケイティ(バーブラ・ストライサンド)にとって政治活動は彼女の中でとても大切なことだった。
でもハベル(ロバート・レッドフォード)にとって彼女の政治活動は彼女の一部でしかなかったように思えた。
自分が本を書いたり、映画を作ったりするような「どっちでもいいこと」に過ぎないんだろうと思っていたように感じる。

「ただ愛し合いたい」
それだけならきっとこの二人はうまくいってたような気がする。
でも、それだけじゃダメだった。
片方の「したいこと」「しなきゃいけないこと」が、もう片方にとって詰まらないことだったり、どうでもいいことだと、お互いが我慢し続けることになる。

「君はそのままでいいんだ」
平和運動に熱心なケイティにハベルはそう言った。
ケイティは乗り気でないハベルにタイプライターをプレゼントし、本を書かせた。

愛しているからこそ「変わらないその人」でいて欲しい。
だけどハベルは出て行った。
ううん、だからこそ出て行ったのかもしれない。

別れてから何年後かに二人は偶然再会した。
あの時ケイティはハベルに「家に来て」と誘ったけど、彼は「行けない」と断った。
昔と同じ変わらない彼女の姿を見たから。

(ジェームズ・ウッズが出てたの知らなかったよ)
226 Re:追憶(1973) kage 2003/10/07 09:43
あの映画に貫かれるテーマは、自分を表現する女と眼差しにかすかにその自分を
覗かせているのにもかかわらず、自分から逃げるように表現では無く(当時の
映画界を席巻した「赤狩り」が登場します。労働運動に積極的では無い事が、意
味合いとして、真実から目をそらす人間を意味付けています)才能にまかせて、
儲かる映画に傾倒し、自分を見失う男。この両者を通じて「成功とは何か?」を
問い掛けています。

 恋愛は彼にとって自由な時間で、ほんの瞬間自分を表に出します。
 その後別れていく両者の接点は夢のような記憶となって、両者に同じように
残るのです。自らの人生を恥じる彼は、輝き続ける彼女をまるで汚さない様に
去っていくのですが。そこに満足感やその時代をともに生きた誇り。そして彼
女がそうした人生を生きていく事に自分が関わった事への「記憶に」間違いの
無い事に幸せを感じます。間違いなくあの時はあったのだ、と。
 まるで自分の人生も彼女の「彼の記憶」に託すかのように。

 この映画は「愛」を「知っている事」「覚えている事」と定義する俺の恋愛論
(未テキスト化)の重要なモチーフとなっているのです。
227 Re:追憶(1973)   2003/10/08 03:38
ハベルは逃げていたり、人生を恥じているように見えるのかもしれない。
そしてケイティはそんな彼に本を書かせた。

でも私にはそんなケイティは果たして彼を愛していたのかと疑問に思う。
「お前の生き方はこうだ!」と相手に言うことが、彼の人生に関わっていくことが
「愛してる」のだろうか・・・。
そんなことは自分のエゴを押し付けるだけのように思えてならない。

「君は変わらなくてもいい」
一緒にいることは不可能かもしれないけれど、その言葉には愛情が満ちている。
一緒にいることで相手を自分の望む生き方に変えさせてしまったら
それはもう愛したその人ではなくなってしまうから。

もちろんハベルにはきっと何かが見えていたんだろう。
だからこそケイティに惹かれたんだし、本が書けたんだと思う。
でも、彼自身でその何かを見ようとしないのなら、それは彼の選んだ人生だし
それでこそ彼なんだとも思う。

一緒にいることで、反って目が曇ってしまう。
愛していたその人が見えていたはずなのに、生活の中で生じる些細なことが
見えていた目を曇らせてしまう。

別れてその人の不在を感じる時、曇りが晴れてその人の全てが見える。
もう二人ではないことの淋しさは感じるけれど、自由になれる。

私の中の「記憶」は、愛したい人をうまく愛せなかったこと。
今は遠くから変わらないその人を愛し続けていたい。
228 Re:追憶(1973) kage 2003/10/08 11:34
彼は彼女がそうする人間である事を『感じつつ』彼女と関係したのです。
 若干命題から離れますが、ストーリーの意図は、彼との関係を通じて
労働運動に邁進する当時のウーマンリブの女。彼女との関係を通じて、
自分自身も製作という場に入ってゆく男を通じて成功の本質を描きます。
 まるで神の与えた人生のターニングポイント(あるいは選択点)でしょ
うか?それはそれぞれが自分の必要とする物に出会うかのように、或いは
「自分の運命に出会う」かのように起きます。

 視点としては「彼が彼女に」や「彼女が彼に」ではなくそれぞれがそれ
ぞれのエゴ故に「神が彼らに与えしチャンス」の様に事(恋愛)は起きて
いるのです。
 そして、一見神に選ばれたのは彼女だったかのように話は進みます。
 「神の与えたチャンスを、君は掴めるだろう」と彼はまるで知っている
かのように彼は振舞いますが、それは最後の出会いで修正されます。

 世間で目立つのは当然彼ですが、彼の中には「僕じゃダメなんだ、こんな
程度の才能じゃ」という敗北感の目論見が機知の感覚としてあるからです。
 しかし「最も鮮明な記憶」は、人生のターニングポイントの自分の選択
ではなく「恋愛」です。

 つまり彼も彼女を想う時「自分にもあった選択の時」を黄金時代として
思い出す事ができる充実感が手に入っているのです。ですからラストに彼
がふと車から降りて彼女を見つけたときの表情は全編を通じて最も素直な
ものなのでしょう。『それは既に実現されていた』のです。
 その人がいてくれたおかげで、あの時の自分がまだ生きている。
 失ったと思った自分の人生は、彼女の中に生きているのです。

 いうなら「僕には出来ない事が君には出来る、自分では出来ないけれど
それがどんなに素晴らしいものかは僕には君よりわかる。だから君はその
ままの自分を信じて生きなさい」という事が「君は変わらなくてもいい」
なのです。ところが彼も『出来ていた』のです。
 彼は、彼女の人生の水先案内がその役目であるかのように振舞っている
とも言えます。それは彼の勘違いでした。

 それぞれの記憶の中まで神は立ち入れません。
 二人が思い出す記憶は「人生がどうとかいう事ではなく、黄金時代があ
ったんだ」という恋愛の記憶だけだからです。

 彼は敗北者では無かったのです。
 人生の選択に拘り逃げていた自分を見つけたのです。黄金時代の意味は
実は「人生がどうとか」じゃなかったのです。彼はそれに気がついていな
かった。そして最後に彼女を見つけた時に自分も勝者である事を知ります。
 映画はそこで終わりますが、まるでその後の彼の人生の変化を予言する
かのような(誘いを断るのは「僕には自分でやらなきゃいけない事がある
んだ」と言っているかのようです)ものとも言えます。それは目に見える
実績でも何でもなく、自分の人生を受け容れる事ではないでしょうか。

 彼女の彼に勧めていた事は「彼自身」の思いなのです、彼女にはそれが
どんな意味があるのかわかりません「さぞかし彼もそれを望んでいるだろ
う」ぐらいなのです。
 彼は実はそんな事望んでいなかった、しかし彼にも彼女の思いが見えて
いて、彼にはそれが「本物」である事がわかっていた。ところが自分から
逃げていた彼にはそれはわかりません。勝手に「僕には無理だ」となって
いたのでしょう。
 彼はそんな事を度外視するような「恋愛の記憶」を思い出します。
 自分もそのままで良かったのだと。

237 「グリーンマイル」を見て すずらん 2003/11/23 00:38
自分をキレイだと思うわけじゃないけれど、心がキレイな人には
痛すぎる世の中だ。
人が人を踏みつけて通り過ぎていく。
気付きもせずに。自分の痛みで精一杯で、もう・・・。
238 Re:「グリーンマイル」を見て ドーナツ 2003/11/23 01:11
> 人が人を踏みつけて通り過ぎていく。
> 気付きもせずに。自分の痛みで精一杯で、もう・・・。

気付いてないわけじゃない。
気付いてるからこそ、こういう映画がヒットする。
心の片隅にある「キレイな心」への憧れと、自分には無縁だという悲しみ。

「キレイ」って言葉は向こう側から見た言葉。
都合よくおいしい部分だけを「キレイ」と美化して、想像していい気持ちになる。
あるいは捨ててしまった過去に対する懺悔の言葉かもしれない。
「自分にもそんな気持ちはあったし、今も忘れたわけじゃない」って。
そうでもしないと「人が人を踏みつけ」なんかできやしないよ。
みんながみんな何食わぬ気でそうしてるわけじゃない。
時々は気にしてるのさ。

「キレイ」って言葉に騙されて、自分を美化してやしないか?
239 自分の事を すずらん 2003/11/23 02:09
言ってるわけじゃないけど、ってちゃんとまえフリしてますよ。
言ってる事はもっともなので、私の意見はこれだけです。
240 Re:「グリーンマイル」を見て kage 2003/11/23 15:44
「心がキレイ」の意図するものを考えてみましょう。
 劇中主人公の人物設定は「(性的に)無垢な天使」であり彼は白人文明社会
に対するアンチテーゼとして描かれています。
 フラッシュバックする現実の残酷さに生きる心地もしません。
 全体に流れているのは「その事実を知った者が寄せる主人公への共感」であ
り、おそらくそれが「現実社会への批判」と「場違いな主人公の不条理」によ
る問題提起に繋がります。

 人が人を踏みつけていない証明です。
 「その事実を知る者と知らない者」がその後の行動を振り分けているからで
す。とくに劇中それが象徴的なのは「無学な黒人」というイメージが、事実関
係への関心以前に「こうに決まってる」的判断の間違いを引き起こします。

 もし映画を観る観衆と同じ情報が劇中登場人物全員に知られたとき話は逆転
するのです。
 ところがこの映画自体が持つキーは別の所でしょう、主人公が死を受け容れ
る理由です。「ダークサイドが見えすぎて辛い」というニュアンスの表現です。
 この意図も含んでこれはトータルで一人の人格の物語とも言えます。
 「ダークサイドと天使」「その事実を知る者と知らない者」
 「葛藤と自意識」   「社会と個人」

 見方を変えると「常識的盲目は幸福か?」が語られているように思うのです。


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