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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



1117 他人の目がこわい hako 2010/08/17 01:37
はじめまして。hakoと申します。

私は、中学〜高校くらいにかけて、よく人に指を指されて笑われたり、顔や風貌のことで色々嫌なことを言われていました。
今、25才ですが、いまだにその時のことを思い出して辛くなることがあります。
今、悩んでいるのは、人の目がこわくて見れなくなる、というか、たとえば普通に職場の人(同性・異性問わず)と喋っていても、ふと目を見ると、その人の本音が見えてしまうような気がしてしまって、「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と思ってしまうんです。街中にいるときも、こっちをチラっと見てくる人が気になってしょうがありません。イライラして勝手にキレそうになってしまうこともあります。(こっちをチラチラ見てくるような人は、容姿が普通〜自分より上の人に対しては、同じことをしないという気がします)
他人の、無遠慮な視線に過剰に反応してしまいます。容姿で悩んだことなさそうな、電車や道で下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性に対する嫌悪感もすごくあります。死ねばいいのにと思うこともあります。

過去の、「自分の知らないところで自分が(容姿から)判断された」経験が、トラウマになっています。
初対面の人(得意先の人〜コンビニの店員に至るまで)とは、ほとんど目をあわせられません。

容姿のコンプレックスから、職場では「自分はひたすらへらへらしていなければ、人から受け入れてもらえないんだ、仏頂面のブスと思われて、誰からも相手にされないんだ」と思い込んでいます。笑いたくもないのに笑っている自分が嫌になります。

視線恐怖(嫌悪)を克服するために、心の持ち方のようなものがあれば、アドバイスお願いします。
整形などで顔を変えることはできますが、かろうじて変われたとしても、心の問題や、憎しみは消えないと思うので…

お忙しいとは思いますが、宜しくお願いします。
1119 根本的なところから認識の”ズレ”があるんです(誤変換多く校正しました) kagewari 2010/08/18 21:16
意外な事と思うかもしれませんが『容姿』とは極めて心理的なものです、
もう一段この話には奥行きがあって『容姿』は文化や時代で変遷します。
後段の話はこれだけの説明ではまだ理解が十分では無いと思うので補足しますが、それこそ未開の民族の中には素直に異文化の人間からはおぞましい位容姿をピアスのようなもので変化させ(場合によっては目をそむけたくなるくらい)人としての外観を損なっているとしか言えない文化習俗を持つ部族も実在します。
簡単な差異はファッションに見られるように一時代の流行は異時代の常識では笑い者であったり、これも不確定なものです。

つまりこの世には普遍的に『容姿が云々』などという差異は構造的に存在しないんです。
あり得るのは時限的であったり、仮想上の流行論的な変遷(ここには多分に共同幻想が関係します)の中の誤差のようなもので、
(現実ルネッサンス時代であれば現代社会のモデル体系は顔を歪めて忌避されるでしょう)
 ↓
■ここからが本題です
 ↓
「それは大いに社会適応であるとか共同幻想社会との関わりの中で発現している”極めて主観的な着眼”である」

ここまでの説明で更に理解が別の方向に流れていると思うので説明を続けますが、
当該する文明社会における”美意識”というものは(ここにも大いに共同幻想が関係しますが)芸術的昇華を前提とすれば存在するでしょう。
そこから逆算するならば、
 ↓
「容姿なるものに差異があるとするなら、その時代の文化の名において美男美女だけである」
(人類が歴史的に延々と繰り広げてきた容姿関連の話は「半分は健康状態の判断」「半分はSEXアピールに対する文化としての集団心理」です)

更に付け加えます、
上記の”美男美女”の概念はレア(希少性)という価値論の根本に関わる論理的結果に過ぎません。
(数的に過半数を超えれば”普通”に評価が下がる)
言ってみれば”社会的評論”などいうような代物に近い、

何を話しているのか訳がわからないところあると思うので、対比で表してみましょう。

「社会的評論としての”美”は言い換えれば公的論理である」
「容姿の差異における”醜悪”は主観である(その合理性を証明できない)」

ここまで話してもまだ意味が不明でしょう、
更に説明を続けます。

「自分は美しいと主張すれば社会がそれを認めない限り(一般的意味の)ナルチシスト(自己愛主義者)に過ぎない」
「自分は”醜い”と思うことは、その段階で”被害認知”と等価であるため結果として(心理的意味の)ナルチシズム的な社会不適応的な現象でしかそれを証明できない」

私が言わんとしているのはですね、
仮想上であろうと論理的結果だろうと、人の醜悪を「自分ひとりで勝手に主張したところで何の証明にもならない」って事です。
”醜い”であると反論しやすいでしょうから逆で説明しましょう、

■「私の容姿が美しいあまり人の視線が気になり視線恐怖になってしまいました」
構造的にはhakoさんの言っている話は上記と等価なんですよ。
(自分じゃまったく気がつかないでしょうが鉄板でそうなんです)

これは近代共産主義が台頭した時の「プロレタリアート革命論」にも近い話で、
「私は金持ちだからとそれを証明するのは難しいが、自分は貧しいと主張するのは容易である」
「しかし、私は貴族階級であると主張する事は(それが事実であれば)絶対である」
わかりますか?
後段の話の貴族階級(アイデンティファイ)の証明は共同幻想(階級社会)ですよね?つまり主観ではないから絶対になる。

悪魔の証明じゃありませんが、
「そうですね、それは確かに美しくは無いかもしれない(レア度により成立する美男美女論)」
こう話すことは誰にでも容易です。
以下の説話も等価の同文であるのがわかります。
「いえいえ家なんかたいした事無いですよ、せいぜい中流の下ってところですから」
”金持ちではない”であるとか”美しくはない”はアリなんですよ、
何故なら『レア度により成立する法則』の逆さだからです、
(金持ちの証明や美男美女の証明は自分ひとりではできない:だから長者番付やミスユニバースがあるんですみ←社会的証明)

構造的に説明できない=構造的に否定もできない
ので、
 ↓
「そうですね、それは確かに美しくは無いかもしれない(レア度により成立する美男美女論)」
こう話すことは誰にでも容易です。
以下の説話も等価の同文であるのがわかります。
「いえいえ家なんかたいした事無いですよ、せいぜい中流の下ってところですから」
”金持ちではない”であるとか”美しくはない”はアリなんですよ、


ここでようやく話はつながったかと思います。
>「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と思ってしまうんです。
 ↑
この論旨は成立しないんです、端的に言えば”事実認定できない”。
実は話している当人hakoさんにもそれがわかっているんです。
ですから「思ってしまうんです」という文法になっている、
わかりますよね?「思ってしまうんです」の背理は→「違うのに」或いは「必ずしもそうとは言えないのに」或いは「それは濡れ衣なのに」
※本文の意図は”違う””そうとは言えない”が「人が自分を見下している」にかかっていますが(そこは別途後述します)、文章全体のロジックとして前段の括弧無い全体に”思ってしまう”が掛かっている。
ここでも「いえいえそうだとしても”容姿が劣っている自分”を私は(思ってしまうで)否定していませんよ」という単純な反論あるかもしれませんが、この論旨はナンセンスなんですよ、この被害認知の肝は自分の容姿では無く、それを根拠として(その証明が容姿になっている)自分が周囲から見下されている事が問題のコアであり、仮に100歩譲ってあなたの容姿が劣っているとしてもその結果周囲の人物が概ねあなたを見下しているのでは無いのだとしたら(思ってしまう否定)被害認知と容姿は無関係であり結果容姿どうこうを始まりとする話は成立しない事になる。

注)実際にここは以下により証明
>整形などで顔を変えることはできますが、
これに関連する複数の事実がありますが(プライバシーに関わるので公開掲示板ではこれ以上詳細は言えません)、仮に(簡単に言い換えれば”美人”に変化しても)その状況が事実関係として実体を伴って変化しても、全く問題は解決しないのです。これは事実です、
そして根本的な反証として
「実際に”美しい”事を根拠としてそこから以降の話の流れはhakoさんと全く同じ論旨の悩みを訴える事例は少なくありません」事実です。
(美しいに始まる構造を説明しだすと今回の同じ分量の説明が必要なのでそこは省略します、4時間ほどもらえれば容易に説明できます)


事の発端は?
>中学〜高校くらいにかけて、よく人に指を指されて笑われたり、顔や風貌のことで色々嫌なことを言われていました。

この話は実体として「(その発端に根拠が不鮮明な事で有名な)いじめ」に近い現象です。
掲示板の過去ログを読んでいただきたいのですが、いじめ論って奴の大半は「既に社会的共同幻想が崩壊しているのにそれに適応しなければと強度のストレスがかかっているだけでなく、文部省なりの方針で時の権力によって寿司詰めで管理されている”群れ”と、何らかの原因(メンタルなど)でそのストレスの埒外にいて社会との関係に個人的事情で関係性が保てない個人との衝突」です。
つまり『相互にお互いがお互いに対する意識はそれぞれの事情で全く噛み合わない』ため、非常に解決が難しい。
それだけでなく、そもそも現代社会(共同幻想は崩壊)において、問題のある社会(学校制度)を保守する方向で問題を解決するのだとしたらそれは別の意味で本末転倒になります。
(いじめる側には意味の無い共同幻想適応を止めさせなければ根本的解決になりませんが、それにはクラス制度そのものを破棄しなければならないので構造的に文部省が動かない限り解決にはならい:無理に解決しようとすれば本末転倒になる→ですから現状はいじめられる側はフリースクール等に避難・いじめる側には”打つ手なし(彼らには強度ストレスが以降も継続)”な状態です)
※特に「いじめ論」は過去ログに多数論証がありますから読んでみてください。

さて、となるとですよ?
今この今です、hakoさんは何をしているのでしょうか?素直に定義してみましょう。

「相談の形で、自分個人でできる解決策は何か無いかヒントなりを求めている」となります。
言い換えると
「自分個人のサイドからこの悪循環を止めるアイデアなりはないだろうか相談してみよう」

<一度や十度ぐらいでは必ず上記説明”読み違えています”からここまで相当回数反読してください>

再び本題です。
この誤解「容姿が劣っていると”思ってしまう”」
そして、前段説明の
『金持ちの証明や美男美女の証明は自分ひとりではできない:だから長者番付やミスユニバースがあるんですみ←社会的証明』
 ↑
この部分が
 ↓
>中学〜高校くらいにかけて、よく人に指を指されて笑われたり、顔や風貌のことで色々嫌なことを言われていました。

事の発端にかかり(社会的評価を下されたと思い込んでしまい)、誤解が環を広げているんですよ。
冷静に考えればわかります、
いじめの心理は社会心理として”異常な状態”であり、彼らは決して「冷静な審査委員でも無いし統計分析する官僚でも無い」
株式やらの世界で言えば『風説の流布』です。
簡単に言えば「デマである」、

■事実の認定は慎重に行わなければなりませんが、
この際hakoさんの実像としてその容姿がどうであるとかには全く意味ありませんから(異論ある場合には前段の説明を100回くらい読み直してください)心理的側面として非常にやっかいなのはむしろ以下の部分です。
 ↓
>イライラして勝手にキレそうになってしまうこともあります。
(『「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と思ってしまうんです。』をデ・コード編集します)
 ↓
>「結局容姿が劣っている自分は見下されているんだ」と勝手に(どうしても)思ってしまうんです。
>電車や道で下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性に対する嫌悪感もすごくあります。
 ↑
ここまでの説明を前提に考えれば「すでに的外れの濡れ衣」であることは明白で、
(重要なことですが、”電車や道で下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性”は誰しもが普遍的に不快であり、取り立てて問題ではないとうか、、それは問題は問題なのですが、疑いようの無い個別の事実なので(自分と関係無くこの世には不快なものがあるという論)それ自体論議のテーマにはなりません)

なのに、これがエスカレートしています。
 ↓
>死ねばいいのにと思うこともあります。

わかります?
私の説明にあるように、壮大な”前フリ”は実は論旨にもなっていないし、根拠としてもバラバラだったり事実関係がつながっていない。
それらの”前フリ”は何のためにあるのか?
これが言いたいからがための”前フリ”なんですよ。
 ↓
■『死ねばいいのに』

一見この動機は不特定多数に向いているように(それこそ)思ってしまいますが、全く違うんです。
”前フリ”でどれほど苦労していることか、
様々な話を連ねて(と言っても本人はまったくそうだと思っているし、その反対に以降に続く結論は無為意識で全く自覚が無いのですが)、『死ねばいいのに』の方向を異性の集団に向けているんです。


この(『死ねばいいのに』対象)大反転の鍵は”性差”ですね?
ここで全てが繋がるんですよ。
>「結局容姿が劣っている自分」
この意識には自分自身の性差なるものが深く関係している。
性差って何か?
子供が大人になるって事です。
他者に快感代謝的興味関心が沸き、自分自身のSEXアピール(前段美醜論の話読み直してください)に強い関心を持つ、

これに拒絶があるんです。
(だから発端が「中学〜高校くらいにかけて」=思春期なんですよ)
自分が大人になる事ですよ、
『死ねばいいのに』
と思っている対象は思春期で「ガツガツ大人的快感を求める(チャラチャラした男性)みっともなく目立つ若者」です。
(一般的には彼らのような”群れ”は少数で実際みっとも無いので周囲は逆に気にも止めないのですが←それがみっともない若者にもわかるので、大声出したり騒音出して暴走したり”気に止めろよ”みたいなアピールするんです:これは幼児性サディズムと同じ構造:暴力のネタ元)

この心理の背景には、自分が性的に大人になる事に対する嫌悪感のようなものが被っている。
言い換えれば「自分が性的に大人になる的な世界」に対して『死ねばいいのに』と思っている、
 ↑
しかしこれじゃ文章になりません。
深層心理は何を思っているのか?
>心の問題や、憎しみ

この答えは子供時代の人間関係にある筈です。
(大人にならない=子供であり続ける=親子関係等に代表される子供時代の人間関係は心理的に無限に継続)
「無限に継続」
>憎しみは消えない

だから「憎しみは消えない」(自分が子供であり続ければ=親子関係等に代表される子供時代の人間関係は心理的に無限に継続)
様々なルートを辿って、その心理が「所謂”たちの悪い若者達”(特に男性)」に性的拒絶を梃子の原理として反動的に投影されている。

加えて、hakoさんのそんな心理は隠せませんから(共同幻想適応系の人格は潜水艦ソナーのようにそういう違和感に神経質なぐらい敏感です:それが何のことかはわからないが違和感を感ずく敏感さは共同幻想適応人格はとても強いんです:社会通年的にわかりやすくいえば”オバサン社会の心理”のような特徴は、共同幻想適応系人格全般に見られます)、周囲はそこに違和感を感じ、
(それを彼らが好感と感じる事は考えられませんから)
むしろ彼らの側から(彼らの集団心理における潜在意識として)無意識的ですが、hakoさんから(俺らが)嫌悪されているとか、蔑視されていると受け取られ、実体としての社会の中でも諸問題が派生する。

極端に言えば
「死ねばいいのに」がそのまま文字通り見透かされることはありませんが、
少なくともhakoさんが嫌っているような雰囲気は(hakoさんが隠しているつもりでも)大半のケースで「薄々バレています(限りなく”バレバレ”に近い)」

それこそ人の興奮は(遠赤外線として実体伴うって説もあります)、相手に伝わるもので、その対象者が潜水艦ソナーのように(見かけと違って)繊細なぐらい神経質(ビビリ)だったら?
(怖いホラー映画を観ていて本気で怖くなったので、大声出したり無理に笑ったり、歌いだしたり→下卑た笑い声をあげているような、チャラチャラした男性)

特に関係があるわけでも無い人物に「死ねばいいのに」と思われているんですよ。
(声まで聞こえないが”なんか変な感じ”としてそれが相手にバレている)

これじゃ悪循環は止まらない。
「自分個人のサイドからこの悪循環を止めるアイデアなりはないだろうか相談してみよう」
と思うんでしたら回答を探す事です。
 ↓
>死ねばいいのにと思うこともあります。

「死ねばいいのに」:この心理は子供時代の人間関係の中の何処からきている心理だろうか?
1120 Re:根本的なところから認識の”ズレ”があるんです(誤変換多く校正しました) hako 2010/09/11 20:10
ご回答、ありがとうございました。何回も読みました。きちんと
理解できているかどうか怪しいですが、レスを読んで思ったことを書きます。

「死ねばいいのに」というのは、kagewariさんの言う通り、思春期から今までに起こったことと照らし合わせて、この世の男性全員に思うことです。
ちゃんと意識はしてませんでしたが、そう言われて、ああそうなんだと思いました。
容姿の悩みと、容姿(が一番の原因だと自分では思います)によって男性に攻撃されてきたことは、今まで誰にも言えませんでした。私にとって、男性は敵なんです。攻撃されて当たり前、だから自分を守らなきゃいけない。個人的な性格とかそういうもの云々より、まず第一に、男性の、男性としての性質が嫌いです。怖いです。どんなにいい人そうに見えても、やさしそうに見えても、やさしくても、結局男性は、自分より弱い(と判断した)ものにはどこまでも残酷になれる生き物だと思っています。この世の男性の99.99%くらいは、です。

私は容姿をあまり着飾らないので、男性にとっては、男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。たとえば、私が整形して着飾って「女」になったら、寄って来る男がいるかもしれません、でも私はそれが気持ち悪いです。女を強調するのは私が今まで心の底で「死ねばいいのに」と思ってきた男に、自分からエサを撒くようなもので、そんなのはとても嫌です。だから大人(=女性)になりたくないのかもしれません。性的な目で見られることも、気持ち悪いです。

男性からしたら、そりゃこわいし、はあ?って感じですよね。これも言われてみてはっとわかりました。道ですれちがった女に「死ねばいいのに」と思われるんですもんね。
でも私は、その道ですれちがった会ったこともない私のことを何も知らない男に、「ぶち殺すぞ、ブス」と言われました。そいつは坊主頭の高校生か大学生っぽい感じでした。その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし、完全に無防備でした。
言われた瞬間、「あ、来た!」と思いました。なんていうか、今まで起こったことの集大成だこれは、みたいな感じがしました。で、ぱっと振り向いて、「うるっせえよ!!!!!」ってキチガイみたいな声で叫んでやりました。
そのあと、自転車で走りながら(自転車に乗ってたんです)、動悸がして、喉が震えて、泣きました。言い返したけど、怖かったし悲しかった。いつもこうだったなあ、って思いました。すいません、話が長くなります。これは、今日起こったことです。

「なんでなんでなんで?」って、いつも考えるんです。理不尽なことが起こると。
その時の相手の気持ちも、本当は考えたくもないけど、考えてしまうんです。
当然なのは、私がそこに存在しなければそれは起こらなかった、私の容姿が女として普通かそれ以上なら「それ」は起こらなかったってことです。
坊主頭の男はクズだと思います、そんなクズにぶち殺されなきゃいけないほど自分はブスじゃないと思います。でも、その時の、ありとあらゆる状況が、その坊主頭の精神状態が、私が外へ放っていたすべてのオーラが、そいつに「ぶち殺すぞ」と言わせたんです。女性に「ぶち殺すぞ」なんてすれ違いざま言われたことなんてありません。いつもいつも、そんなことをするのは男です。男性の性がそうさせるんじゃないですか?自分よりも劣っているものへ、弱いものへ、異性として自分の益が発生しない者へ。どこまでも残酷になれる。

憎しみは消えない、っていうのは、私がこれから先どんなに満ち足りた人生を送れたとしても、幸せになることがあったとしても、「ぶち殺すぞ」という言葉を、声を、あの時の目をはっと思い出しては、苦しくなって泣くんだろうなってことです。私があの時されたことをそのままそいつに仕返すのは不可能です。私にとっては大事でも、相手にとっては取るに足らないちっぽけな出来事なんです。
日々が過ぎれば過ぎるほど記憶が重くなっていく気がします。
いきなり思い出しては、発作みたいに苦しくなって泣いてしまいます。
その苦しみにどう立ち向かえばいいのか、どう打ち勝てばいいのか、わからないんです。
長々と本当にすいません。しかもkagewariさんが男性であるということを度外視して書いてます完全に。
いろんなことがあって情緒不安定すぎて、正気を保っているのが苦しいです。
(いろいろ、原因があるんですよね、私自身に)
1121 概ね理解されているんだと思います kagewari 2010/09/13 16:30
理解された上であれこれと抑制が効かない状況(文章の破綻)になっている。
今回の返信の中のいくつかの文章は、ロジカルという概念で言えば「文章レベルで破綻していて」=「事実や・自我の本音、そのどちらでもない」と断言できます。
つまり、そういった認知は脳内でも認定されていないし、現実にも存在しない(本音ではない)。

■リアクション(『被(こうむる)』構造)として、そうなっているだけです。
 ↑
これ何のことか解説しますと、
ロジカルとして存在するとか、脳内で認定されるとか、本音であるとか、こういった現象は主体的に(あるいは個別に)「独立してその概念や論理を保持できるもの」です。
わかりやすいイメージで言えば『補助輪無しで走行する自転車』

しかし今回の文章の大半(概ねすべて)は自己完結性のある論旨が一つもないのです。
 ↓
>その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、
>でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし、完全に無防備でした。
>「うるっせえよ!!!!!」ってキチガイみたいな声で叫んでやりました。
>当然なのは、私がそこに存在しなければそれは起こらなかった、私の容姿が女として普通かそれ以上なら「それ」は起こらなかったってことです。
>男性の性がそうさせるんじゃないですか?自分よりも劣っているものへ、弱いものへ、異性として自分の益が発生しない者へ。どこまでも残酷になれる。
>憎しみは消えない、っていうのは、私がこれから先どんなに満ち足りた人生を送れたとしても、・・・
>いきなり思い出しては、発作みたいに苦しくなって泣いてしまいます。

この論旨の形を維持するための(それこそ数学的に言えば必要十分条件)前提は何か?
・自分の容姿
・男性差別
今回の文章を試しに「男性」という言語を「○国人」という言葉に置き換えてみてください。」
レイシストのいわれなき人種差別の文章そのまんまです。
つまり『論旨は同じである』
人種差別主義者の心理がルサンチマンなどを発端にする投影(本来の解決すべきストレス元は自分の側にある)であるのは言うまでもありません。
通常人種差別主義者は階層的に「貧困層」であったり、極端な民族主義者のような内面に強迫性を認めざるを得ない人格で派生します。
(リアルなナショナリストは文化的に自国の保守性を信念として重視しますが多民族を人種差別的な偏向で見ることはない)
歴史的な大問題である第二次世界大戦当時のドイツにおけるユダヤ人差別(欧州にユダヤ人差別が恒常的に存在しているのは事実ですが)これがエスカレートした背景は、当時のドイツがベルサイユ条約などの第一次世界大戦の国家賠償などで経済的に困窮状態であった事が遠因であるのは言うまでもありません。
又、米国における黒人差別で有名だったKKKは”プアホワイト”と呼ばれる階層抜きには語れない。

こういう論旨には必ず『スケープゴート』にあげられるような事件がまことしやかに広がります。

(自転車が倒れないように)論旨を維持するために(人種差別を合理的に説明する自己完結性のある論旨など存在しないので)「何かの証明」であるとか「これが証拠だ」のような”補助輪”が必要なんですよ。
(たとえは飛躍しますが、わかりやすい実例として畑違いの犯罪心理学の話から考えてみると、はた目から見てまったく動機不明の不特定多数の他者に傷害を負わせる通り魔的犯行もほぼ100%が内面に元となる動機が別個にあって、犯行動機はその投影に過ぎないため(それを現実の犯行に及ぶ決断をするという部分は犯罪者特有の心理で行為に及ぶ分は強迫とは関係ありません)、犯人自身も後から「どうしてそういい犯行を犯したのかはっきりと動機がわからなかったりする」=それはあたりまえです。不特定多数の人物に傷害目的の動機が成立するなんて世界は人類のどこにも存在しません。こういう場合に最も多く聞かれる証言「○○なら誰でもよかった」はその動機が投影現象に過ぎない証明です。「○○なら誰でもよかった」の○○は、時に『男性』だったり時に『女性』だったり時に『子供』だったり時に『○国人』だったり本当に『誰でもよかったり』様々です)

奇しくも今回登場するエピソードは、かなり高い確率で前回私が「容姿の悪さ」などの事実関係を何か自分が発言するロジックの前提として証明する事は構造的に不可能であることを証明したからですよ。
つまり「容姿の問題と男性」という強迫的幻想は非常に不安定になり、論旨自体を維持するのが難しくなった。

困った強迫心理には、それ(容姿で話を構成できなくなる不安)を補完するために「これが証拠だ」なるエピソードで意地でも「容姿の問題と男性」という強迫的幻想を保守しようとそれを衝動化する動機があります。


■思うに上記の「困った」という部分が一番理解難しいところなので補足しますが、
 ↓
脳内では快でも不快そのどちらでも『興奮は100%快感分類』なんです。
当然それが恒常的に続いたり慢性化すれば”快感依存”になります、
(万引きを繰り返したり、アル中になったり、性依存症や当事者には一時的にも不快という依存症は枚挙にいとまがありません)
卑近な例ですが性倒錯におけるSMであったり、一般的にはジェットコースターやホラー映画もその外郭にあります。
私は脳生理学方面の専門じゃありませんが、脳内快感物質(脳内麻薬でもいいですよ)のひとつであるドパミンは快感物質ですが暴力的衝動時にも分泌するなど(大ヒットする映画の何大要素みたいに思い出してくれれば簡単『性・暴力・スリルとサスペンス』)、強い興奮とその代謝は端的に言えば『快感経験』であり、脳の役割として快感記憶の再獲得が求められますから(動物における本能のコアのレベル)それが習慣化すると一種の依存症になります。
(見方を変えれば鬱病も一種の依存症なんです。他にも自傷や自殺衝動の反復など全てその類型といってもいい)


『性の拒絶による轟轟とした憎悪のような興奮』
 ↑
これは性行為(広義の性衝動なのでこれはダイレクトにSEXの意味ではありません”着飾る”や”男性の出世”なども含む文化全般に至る性衝動と考えてください)の代償満足として対比関係を構成しているんですよ。
(動物としての性衝動を『心理的性の嫌悪』により抑圧していますから、自我はバランスを取るために『男性への敵意や嫌悪や殺人衝動』などによりこれを代償満足の形で代替している。しかし、性衝動のような現実世界では無く一度内向へ抑圧された衝動は反動であるとか強迫特有の誇大・肥大などのバランス係数をへて極大化し(正面にある本質的行為が抑圧されて別の行為による代替なので極端じゃないと交換できない「アイスクリームがダメならお菓子を100袋買ってこい!」)自我のバランスを取っているが、極端な興奮は過剰な快感依存ともなりこの興奮獲得が恒常化・慢性化する)
 ↓
「男は皆死んでしまえばいい」

近代における米国南部における”プアホワイト(荘園の黒人より食えない貧農層などが実在したんです)”が、
「黒人は皆殺しにすべきだ」

現象・構造としてどういう二次的派生心理かわかりますよね?
上記は両者ともに本音ではありません。


■次に『無意識』と『自意識の抑圧』を理解してください。

知らない間に何かしているときに
「○○さん何してんの?」
「えっ?」
と、驚く時に
「無意識にやっちゃった」
という場面ありますね。
(厳密に言えば錯誤行為みたいなものなんですが)

簡単なモデルですがここに「無自覚にロジカルで知的な行為が、まったく知らないところで行為化される」事が証明されます。
(その極端な例が伝統的心理学におけるフロイドの夢分析になります)
極端に言えば自意識が抑圧されている状態は極度に集中力が低下している状態と同じです。
(今何をしているのかも自覚が無いレベル)

そして、
>その時、私は別のこと(家族のこと)でいろいろあってすごく気が立っていました、心の中が陰鬱で塞がっていました、
この状態の興奮レベルは、ヤケ酒で強い酒を飲み酩酊状態とかなり近いレベルに自意識は後退(抑圧)していると見ても大外れじゃありません。
ご自身それを証明しています。
 ↓
>完全に無防備でした。
=「完全に無意識で(自意識が抑圧されていて)はっきりいって自分が何をしているのかもはっきりわからないぐらい私は動揺しており」

この場合ですね、
 ↓
>でもすれ違った男を睨んでいたわけじゃないし
この記憶が100%正確では無いことが証明されているんです。

家族の問題等での憎悪や興奮は(無意識に)ほぼ間違い無く顔に出ていたでしょう、
且、常々家族に起因する心理問題が内向世界で変質し『男性』へ投影固着している人物が、
(しかもそれを証明する理由として「容姿」を振りかざしていたが、よく考えると「自分の容姿が悪いことは証明できない」と説明うけたばかりでその根拠は不安定になっているときに)
男性とすれ違った、
そこで同時に何か無意識に独り言でも言っていたとしたら?

同様のケースを私は枚挙にいとまがないぐらい知っていますが、
100人が100人「チラっと見ただけで、誰もジロジロなんか見ていない」という証言のほぼ100%は周囲が呆れるぐらいジロジロ見ているのであって、
『性への嫌悪』を抱える女性の一部には性的暴力の被害者に「無意識に全く自覚なく」自ら確率の高い選択をしたり、
特にDVの大半は暴力を受ける女性の側にも強迫心理が関係します(父親に対するコンプレックスなど)、
(DVの被害が拡大するまでなかなか離婚が選択されないのはそれが理由:共依存の一種だからです)


『本当に被害にあったじゃないか!もう証明の必要のない間違い無い証拠だ』
(しかしそれが男性全般を殺戮してもいい理由では到底ない事は説明の必要ありません)
心理的には、この補助輪があれば(少々「容姿の証明が揺らいでも」)十分男性への憎悪や殺意を構成できるんです。
(脳内は現実では無いですから)

又、容姿で証拠を固めようとする場合があります。
>私は容姿をあまり着飾らないので、
この状態はそれが暗示されているだけですが、
拒食症による異常な痩身や、
過食症が関係する極端な肥満。
このように容姿を(心理的興奮の証拠を固めるため)健康を害するレベルまで貶める場合も少なくないのはご存知でしょう。

拒食や過食の場合でも(社会との関係であるボーダーではありませんが)男女関係などの境界における問題として発現することが多いって流れに関してあえて説明しなくても理解いただけると思います。


■繰り返しますが
今回の返信の中のいくつかの文章は、ロジカルという概念で言えば「文章レベルで破綻していて」=「事実や・自我の本音、そのどちらでもない」と断言できます。

個別に話し出すときりがないので、
典型的な箇所で証明しましょう。
(同様の矛盾は各所で散見され、結論日本語の形になってますが実は全て意味を成していないって話に繋がるんです)
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
 ↑
この状況の人物に男性が興味もつ筈無いですよ。
(心理的にも穏やかで何の気配も表に出していなければ存在すら確認されないでしょう)
簡単ですよ、
男性は女性に惹かれるのであって(そのキャッチコピーのひとつがセクシーで美しい)、そもそも人類が歴史的に女性が女性らしい容姿に変形し(他のサルと比べてくださいよこれほど雌雄で外見上の差異があるのは派手な容姿で繁殖原則を構成する鳥類の一部ぐらいです)、さらに化粧をすることで、男性を自然界では到底不可能な労役に付かせたんですよ?
(動物の本能には自分が死ぬかも知れない戦争や家族全員が食えるような労働を継続したり住宅ローンを支払い続ける行動原則など存在しない)
原始時代のその原型が進化して広義の文化として現代の人類もその系譜にある。

イスラム教で女性全員に外出時にヴェールを被り容姿を見せないようにしているのは「男性を守るため」です。

根本的矛盾は
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
>たとえば、私が整形して着飾って「女」になったら、寄って来る男がいるかもしれません、でも私はそれが気持ち悪いです。
そして現状男性への憎悪や殺意がある。

おかしいと思いませんか?
この心理状態が成立するためには、
理由はどうあれ)男性全員は私が歩けば皆振り返り・・・
とならないと対象が男性全般って話の定義は成立しません。
心理の根っこが”性への拒絶”や”性への嫌悪”であるため、結果論的に対象が男性全般になるんですが、
容姿はともあれ「男性の側を性悪説として成立させるロジック」が自分固有の容姿(いい悪いどちらでも)になると、これ発端や前提を自分を中心にしなければならず(いい悪いどちらで)、
『私の○○が○○だから、男性全員は○○だ』
○○の内容が何であれナルチシズムである事わかりますよね。
いい悪いどちらであってもこういう構造そのものが”自己中心型”で”強迫性特権階級意識”となります。

まったく自分でも思ってもみないロジックに完全に陥ってしまっています。

参考までに「容姿がいい」方を強迫の梃子にして『男性全般を蔑視』状況を成立させる女性の場合「自分は何もしていない」「人間関係を円滑にさせるために善意で話かけただけ」と発言しますが、き取り調査するとほぼ100%「一般常識では明らかに自分から男性を誘惑」していて(これは共同幻想社会にバレバレ、というか”目にあまるぐらい”明快)、実態は自分から男性を過剰に誘惑して(本人は自意識抑圧でまったく自覚がない:記憶がないレベル)、男性といえば色恋沙汰となり⇒待ってましたとばかり『男性は汚い女性を性の道具にしか思っていない』という構造で『男性全般を蔑視』状況を成立させるケースも珍しくありません。
(性依存症であるとか、不倫関係以外の男性関係が無いなど様々なパターンあります)
上記の様に『容姿』に関しては、着目いいでも悪いでも同じ『男性全般を蔑視』状況が成立するのは『性の拒絶や性の嫌悪』の反動や投影的発現として典型的なパターンです。

勿論問題は自分自身の『性の拒絶や性の嫌悪』であり、二次派生の男性云々は全て派生的幻想で全く意味が無い。
『性の拒絶や性の嫌悪』があるのは、大人になることへの拒絶で、自分が誰かの子供であり続ける事への強迫的執着(激しい不快興奮や強い快感依存的など”不快パターンでも快パターンでも”そのどちらでもあり得る)であるとか、自我が『現実世界』である「時間の経過(大人の年齢)」を拒絶し、内向(自意識抑圧)自我が無意識的幻想寄りの現実との乖離に陥っている証明です。



>私は容姿をあまり着飾らないので、
 ↑
これはですね、現実化を避けているんですよ。
果たして着飾ったらどれぐらいの男性が私に興味をもつだろう。
に比べて、何故か「私は容姿をあまり着飾らない」とすると、
不思議と
男性全てが私をって話が始まり、、


仮にですよ?
彼を睨み付けた時(本人の自覚は視界に入っただけ現実は睨み付け)の状況が、
「汚い男性め!私を犯したくってしょうが無いんだろう、このブタが。男性は全員ブタだ死ねばいいのに」
こういう心理が無意識に顔に出ていたら?
男性から見れば、
「(着飾らないので男でも女でもない容姿を意図的にしている人物に)そもそも100%あるワケないだろ、うんで、その上何言ってんだあんた。すれ違っただけの人間になんてこと言うんだよおい、それは明快な侮辱であるだけで無く喧嘩売っているより悪質だろ」
だとしたら?
>「ぶち殺すぞ、ブス」
この言葉もどこまで正確かは推定の範囲内ですが、
そもままの文言だと仮定して解釈すると、
「男でも女でもない容姿の人物相手に俺が無我夢中で追い回すとかってあるワケ無いだろ(俺が幼児性愛偏向倒錯の所謂変態って意味かよ)、いかにもそれが男性的ってさ、ってことはあんたは自分で私は女性としてどんな男性も無我夢中って意味になるのわかってる?おかしーーだろおい。だって”ブス”だろ(男性は”無我夢中”がトンデモ級の言いがかりだって意味ですよ)。しかも赤の他人に死ねばいい最悪だってあんたさ、どういう喧嘩の売り方なんだ(あんたの殺意が明快なので殺される前に)ぶち殺すぞお前。」

ということですよ。

■根本的なところは本来上記の説明は必要ないぐらい明白で、
以下を繋げてみれば簡単です。
>男でも女でもないただの弱い生き物に見えるんだと思います。
=『子供』
私にやたらと関わってくる(家族)
そして思春期に発現する『性への拒絶』は「反抗期の不全」であり=親子関係における強迫心理の証明である。

つまりこの憎悪の元は、母親か父親のどちらかとhakoさんの間のエディプス的な強迫心理が本質で、男性がどうしたこうしたってのは派生的な物語に過ぎないって事です(本質的な問題から自我が逃げるための幻想)。
注)女性全般を女性がヘイトする形の心理に陥るケースもあり”性への嫌悪”出現の形も様々ですから、hakoさんの状況が現在男性ヘイトだから単純に発端が父親との関係であるかのように早合点するのは間違いです。ここは詳細に考えないといけない部分なので(又同様のケースは何らかの形で夫婦そのものの共依存関係が成立している場合も多い)。


■ご自身自分では気がつていないしょうけれど(目の端っこに薄っすら見えている程度かもしれません)
上記私が説明した事は『おおよそhakoさんは承知』していて、
実は説明の必要の無い話なんですよ。

今回唯一有効な破綻していない文章があります、
以下の2行の文章です。
(端的に言えば返信は以下の2行だけでよかったんですよ)
 ↓
>いろんなことがあって情緒不安定すぎて、正気を保っているのが苦しいです。
>(いろいろ、原因があるんですよね、私自身に)

hakoさん自身それ(前段の私の説明)を薄々わかってたってことです。
(だから上記の2行がある)
ここが全ての問題のコアです。
1123 Re:概ね理解されているんだと思います hako 2010/10/21 03:41
お礼を言うのが遅くなりましたが、返信ありがとうございました。
自分が、無意識に或いは意識的に、異性に敵意を撒き散らしているんだなってことがわかりました。自意識過剰で、「(ブスなのに)自分が無条件に良く見られたい」ってどこかで思ってるんだと思います。そんな自分がすごい恥ずかしいです。
あれから、男性とすれ違う時は、注意しています。また何か言われたらどうしようってびくびくする時もありますが、kagewariさんにはっきり言ってもらえたことで、ずっと自分の中でしか問答できなかったことに、ひとつ区切りをつけることができました。ありがとうございました。

そして、kagewariさんの言う、

私にやたらと関わってくる(家族)
> そして思春期に発現する『性への拒絶』は「反抗期の不全」であり=親子関係における強迫心理の証明である。

に関して、すごく思うところがあり、今回また相談させてもらいたいです。

自分で考えてみて思い至ったのは、「私は母親以外の人間には誰からも愛されないかもしれない」っていう恐怖があるんです。
kagewariさんの分析に当てはめていくと、上記の恐怖(不安)を「やっぱりそうだろう」って何がなんでも実証したいがために、醜形恐怖だとか、異性が憎いとか、人間不信だとか、何をやっても結局うまくいかないんじゃないか、とかそういうことを思ってしまうんじゃないか。「ほら、お前は結局誰からも愛されない、何もうまくいかない、結局母親以外お前をかまってくれる人はいないんだ」って感じに。
母に対しては、とてもひと言で言えない複雑な感情があります。
母親として、これ以上無いって程お世話になった(高校生〜21歳くらいがピークでした。醜い自分への整理できない感情と、それに付随する色々な出来事で荒れていました)、どんな醜態をさらしても見捨てずにいてくれた、って感謝している反面、すごく嫌だなって思う時があります。感謝して申し訳ないって頭では思っていても、会うと横柄な態度をとってしまったり、話していてイライラしたり。あと、依存するのがすごく怖いです。
4年くらい前、一人じゃなにもできない(くせに横暴)な自分が嫌で嫌で、実家の一駅先に部屋を借りて一人暮らしを始めました。母と同居していたときは衝突が絶えなかったし、上記の「母親以外からは誰からも愛されない」をどうにか払拭したかったんだと思います。
「家族(母親)には頼りたくない、母はいつか死んでしまう、一人でも生きていけるようにならなきゃダメだ」って強迫のように思って、不自然に関わりを無くそうとしていました。
でも心はいつも不安定でした。母と関わっても、関わってなくても、問題や不安や自己嫌悪は際限なくやってくるし、騒音トラブルと近隣恐怖が2件続いたことで神経もまいってきて、一人でいると過去のトラウマもよみがえるし、死にたいとよく思うようになりました。今はだいぶ落ち着いていますが。

母とは普通に接したいんです。でも、今もなかなかできません。性格も趣味もまったく違うし、私の精神的なことは、理解できないんだろうって思います。表面上は、私のことが心配とか、やっぱり可愛い、とか言うけど、こっちから何か真面目に話そうとすると「なんでそういうこと言うの?」とか、「そんなの当たり前じゃん」的なことを即言われたり。「なんでこの人はこういう風に言うんだろう…言いたいことが伝わらない、話ができない」ってずっと思ってきました。ふとした瞬間にすごくイライラして何も話したくなってしまう。昔みたいに横柄な態度を取りそうになってしまう。
私が調子がいい時に母の具合が悪かったり、母が何かしようって言った時私が鬱の真っ最中だったり、状況が合わないんです。こうしよう、ああしようって思っていても、うまくいかないんです。
でも母は「家族だから、たった一人の子供だから」って言葉を掲げてくる。
なんでこんなにも母親に対して色々思っちゃうのかわかりません。
性格が合わないなら合わないで、それはしかたないことなのに。

私には姉が一人いますが、姉は私と違って社交的で友達も多く、母親や家族(私)に対して執着していないように思います。もしかしたら不満もあるのかもしれないけど、絶対に口に出さないって感じです。大人なんです。私が、思春期にあまりにも横柄な人間だったからか、「もうあきらめた」って思ってるようにも思えます。姉とは数年ほとんど口をきいていません。姉とのことも悩みです。

なんで普通のことが普通にできないんだろうって思います。
普通は、家族と(気があわなくても)それなりに折り合いをつけてやっていくものだろうし、普通は、近所の人とも普通に接することができるだろうし(私は近所の人が怖くて、挨拶が苦手です。「あそこの家の駄目な子供だ」って疎まれてる気がして。自分でも異常なくらいだと思います。克服したいです)、でも私は、やらなきゃやらなきゃって思ってやっとできる(もしくは思ってもできない)って感じです。

家族や近所のこととなると感情がコントロールできなくなります。理性をどんなにかたく持っていても、逆らえないんじゃないか、この「うまくいかなさ」に呑み込まれるんじゃないか、って怖くなります。不安でしかたないんです。

今、金銭的な理由と、どっちにいても精神が不安定なら戻ったほうがいい、という理由で、実家に戻ろうとしています。
でもまたうまくいかないんじゃないか…と恐怖にかられます。
思ってると実現してしまうような気がするので、恐怖を掘り下げて考えないようにはしていますが。

家族とのコミュニケーションと近所付き合いをうまくやっていくには、どうすればいいでしょうか?不安なことは深く考えないほうがいいんでしょうか?
長くなって申し訳ありません。
アドバイスがあれば、教えてください。

1124 本文の前に前書きあります、前書きを十分に読んでから本文読んでください。 kagewari 2010/10/21 18:29
公開掲示板での返信には外郭的となる限界ありますので、
そこを前提に以下読んでください。

■今回のレスはかなりショッキングな内容となっているかもしれません。
■必ずある程度心理的に平静で余裕のある時に読んでください

又、記載内容の表面的部分で自我が興奮して内容を判断できなくなる可能性もありますから、
十分に繰り返し「底に書かれている内容」を読み取ってください。
直線的な意味以外の”関連性”や”関係性”ここが重要です。

それから以下を読んで、急いであれこれ考えないでください。
推理小説のように緻密に、冷静に「何がどうなってこうだっかかも」と辿るように考えましょう。
その先の結論は簡単にすぐわかるような場所にはありませんから、
読んだ後、その直後に考えても「何も結論は得られない」ぐらいのテンションを保つ事。

又、抑圧された記憶が時間経過の中で解除される(何か思い出したみたいな)事もあります、
ですから「とにかく結論を急がないで遺跡発掘ぐらいの時間的スパンで考える」、

以上条件を十分徹底の上、以下読み進んでください。





(あえて行間空けます)









<本題>
さて、話のメインはここですね。
>「私は母親以外の人間には誰からも愛されないかもしれない」っていう恐怖があるんです。

恐らく100%この話がボタンの掛け違いの始まりだろうと、
現実は『逆さま』だと高度の確率で推定できます。
 ↓
「人を愛するなどの感覚(自立する大人でしか共有できないので)が欠落している人物の代表格が母親」だからです。

で、
強迫心理のコアは(幼児期にも母親の言動の異常さに薄々気が付いていたのに)
母親との共依存関係(互いの強迫心理を担保にする相保障みたいな多重債務関係)への固着が強迫心理のコアで、
「同一化」とかで表現される事もある依存関係が成立してるため⇒その条件が成立するためには常に自分は”子供”でなければならないため、母親との共依存関係を強迫的に肯定するために全てが順番に並んでいる。
(絶対条件のような強度優先順位が『母親との共依存関係』となっている)

これを肯定するために「全ての男性社会への殺人衝動」が二次派生している。
そんぐらい(矛盾や無理難題が噴き出すほど)この『母親との共依存関係は歪に偏向している』って事です。
(それを正当化すると自動的に男性社会全体をヘイトする事になるレベルって事です)

「結局母親以外お前をかまってくれる人はいないんだ」と強引にこれを成立するために
 ↓
『醜形恐怖症』が必要とされた(或いは呼び出された)

ほぼ100%hakoさんの”段階的本音”(強迫心理の解体過程の中間状態って意味で”本当の本音”じゃありませんよ)は、
「死ねばいいと思っているのは男性では無く母親」ですよ。
>すごく嫌だなって思う時があります。
 ↑
こっちが本音


母親との決して離れない関係を無理くり肯定するために、子供が自分の個体自立を犠牲にして『母子一体』の強迫心理を捏造した。
こういうケースの主犯(これいい悪いって意味では無く関係性の意味ですよ)は”母親”でしょうね。

犯行の手法は以下
娘を醜い子だとその評価を間接的に定着させ、社会と娘が自立的関係を築く(=自分から離れる)事を恐怖し、特に性的自立により自然に娘が大人の年齢になって自分の手元から離れる事を避けるため、人間の外見ってものはどういうものでとかの人生訓を語るのと反対に「外見に悩む娘を庇う」という巧妙な手法で外見恐怖を正当化し(実はお前の外見は醜いと言っているのは母親である)、20の年齢の超えても尚『過干渉』という『虐待関係』を成立させ、娘は自分自身の性的自立(年齢)すら外見恐怖の中に織り込むほど(性差が目立たない=子供のような服装)自意識や自我の発育を『抑圧(弾圧)』し、押し込まれた生への欲求(生きるモチベーション)は閉塞状態となり(簡単に言えば便秘)、その反動で(抑圧されている部分を被害と計算してそれに応分に敵うような弁済として)「男性社会全員が死ねばいい」という偏向に至る。

※男性社会全員が死ねばいいこれの暗韻は=「世界が自分と母親だけになればいい」

ところが決定的な論理矛盾は、
男性社会全員を殺すと、自分の『醜形恐怖症』の根拠を喪失します。
つまり母親に庇ってもらう必要が無くなってしまう。
(簡単に言えば「ド・ナンセンス」)
「狼がくるぞ」
こういうデマを飛ばしている首謀者は「ほぼ間違いなく母親」でしょう。


母親は『自分自身(母親)の不安や強迫から逃れるために子供との依存関係を必要とし』
子供を自分の強迫心理正当化の道具として”取り込んだ”(憑りついた)。
■当然強迫心理ですから「自分が何をしでかしているのか」母親にもわからんのですよ、
無意識にこういう母親像でここまで彼女はきてしまったんです。

>でも母は「家族だから、たった一人の子供だから」って言葉を掲げてくる。
 ↑
典型的な「嘘っぱち」です。
(しかし彼女(母親)は心理的に全く自分の嘘(欺瞞)に自分でも気が付いていない)

>私には姉が一人いますが、姉は私と違って社交的で友達も多く、母親や家族(私)に対して執着していないように思います。もしかしたら不満もあるのかもしれないけど、絶対に口に出さないって感じです。
 ↓
傍目から見ていて、
「これはマズイ私は逃げよう」と彼女なりに直観したのでしょう。

>今、金銭的な理由と、どっちにいても精神が不安定なら戻ったほうがいい、という理由で、実家に戻ろうとしています。

これはお勧めしませんね、
断固一人暮らしを続けるべきです。
所得的に困るようなら地方自治体の福祉相談窓口に相談してください。
(福祉請求のアリバイ的に心療内科や精神科に一度通って診察カード作る方が何かと安心かもしれません)


母親の人格にどういう(彼女なりの)問題があったのか?
それは彼女(母親)の子供時代の情報や特に彼女(母親)の夫婦関係の情報が必要になります。
(男性蔑視の元ネタは彼女(母親)の深層心理になるのじゃないでしょうか)
個人を特定するプライバシーに及ぶ部分もあるので、有料メール以外ではこれ以上は難しいのですが、
表現として間接的というか、個人を特定されないように上記情報があればその先も「ある程度まで」ですが分析可能です。

彼女(母親)の人生には”何かが”ある筈です。
そして今回の返信にも何故か登場しない”父親”、
今後はあまり自分の事を考えずに、
「問題を抱えつつここまできてしまったある夫婦の物語(サーガ)」
ここに集中して自意識マター(自発的自立的思考)を投入していけば心理的フェーズが変わると思います。
2057 【57】Re:本文の前に前書きあります、前書きを十分に読んでから本文読んでください。 hako 2011/3/4 22:25
お久しぶりです。お礼が遅くなり、すみませんでした。本当にありがとうございました。
数ヶ月間、kagewariさんにいただいた返事を読んで、ずっと考えていました。

kagewariさんに言われた「死ねばいいと思っているのは母親」、ってところで
最初すごいビクっとしました。
考えていくうちに、そのひとつのピースがはまったことで、わけわからなかったことが
少しわかったというか、それを認めたら、今まで死にたい死にたいって発作のように
苦しくなっていた原因のひとつがわかったような気がしました。
「私は母親のことを死ねばいいと思っているような人間」だから、「死にたい」です。そうなってたんです、多分。
母親のことを死ねと思う自分なんて死ねってことですね。そういう自分を認められないし意識すらできないからわかんなくてただ苦しかったんです。
意識したことで、少しだけ、パニックに対して耐性がついたような気がします。
でも精神の波がすごくて、死ねばいいって思ってると思ったとたんに、「殺したい」とか
も出てきます。負の感情にとりつかれて頭の中に殺されそうな時があります。
ふっとスイッチが入っちゃって、「あーまたきた…」ってなります。今は普通なのでその時のことをうまく言えません。
自分の中にある無意識の脅迫を、意識化して整頓していけば、パニックに陥った時に
対抗できるんでしょうか?

自分の中で膨大ないろいろなことがねじれていて、そのことで自分が苦しんでるって
わかるんですが…ねじれすぎててどこから手をつけていいやらって感じです。

なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
ねじれすぎてて、あれもこれもあーあれもだ、って過去の記憶がよみがえって、最終的に、
私さえいなければこんな感情は生まれなかった、最初からいなければよかったって。
で、それがそのまま私の中の母の意識にかぶさります。
それが、強烈な被害者意識になって、母に対する反発心になってます。
この人には自分から何かしたいと思えないって思うことで、母の意識(お前なんて別にいなくてもよかったのに)に対抗しようとします。
もちろんそんなこと母にはいえないし、本当はどうなのかもわからない。
もし母が本当の本当はそう思ってたとしても、「慈愛に満ちた母親役」を捨てない限り、彼女は認めないでしょうし。
そしてそんな愛憎ごっこを繰り返すのは嫌です。(冷静な自分は、そんなの時間のムダだ、前に進めって言ってる)
私が子供の自分を捨てれば、普通の娘役を演じることができればいいんでしょうけど、
むずかしいです。
言えないことが言えないまま溜まっていって、どこにも行けない時はどうすればいいんでしょうか。

悲しいことや、楽しいことや、その日あったこと、普通に言いたかったんです。普通に言えたらこんなふうに抱えることはなかった。
でもできない、絶対にできないってわかります。なんでできないんでしょう。
虐待されたわけじゃないし、ひどいことを言われるわけじゃない、でも私は母を死ねって
思います。こんなこと誰にも理解されないと思います。共感なんてしてもらえないし、説明もできない。

「醜さ」が重なってきます。自分の醜さに死ねって思うのと同じように私は母親に死ねって思います。どうしてこんな醜く生んだの、っていう意味じゃなくて、もっと根本的に、
「生まれなければ」って思ってしまう。
いやなことがあると全部「生まれなければ」に思考をつないでしまう。

先日、母親に、母親の家族のことを聞いてみました。「何かある」のは確かだと思います。
母も母でうまくいってないんです。
でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
客観的に母のことを見たら、私は母に同情してしまうだけだと思います。
これ以上母をかわいそうって思ってしまったら、断ち切れなくなります。
私が母についていろいろ考えるようには、母は私にたいして感情を持ってないですし。
(なのに母と娘の交流を迫ってくる…断れない。嫌だなーと思いつつ接し、また自己嫌悪)

父親に対しても(父と母の関係についても)、いろいろ思うことはあるんですが、話すとまた長くなってしまうので。

自分がなんかものすごい罪をしょってるみたいな気分なんですよね、ここ数年。罪悪感と、被害者意識がものすごいです。重苦しい。
いい加減、自分を解放してやりたいです。

やっぱりまとまりがない内容になってしまいました。すいません。
でもこうやって自分のことを話せて、聞いてもらえる場所があることに、救われます。

2058 【58】まだまだ理解的にアレなところアリですね。 kagewari 2011/3/5 22:21
重要な勘違いはココ
 ↓
>「私は母親のことを死ねばいいと思っているような人間」だから、「死にたい」です。そうなってたんです、多分。
>母親のことを死ねと思う自分なんて死ねってことですね。

いえいえここの始まりの部分だけは全然違ってます(180度級に)。

順番を追って考えていけばそう難しい構造では無い。
1)情報的に公開掲示板上では推論の域を出ませんが”仮説”として、一義的にこの物語の発端は『母親の人格上の問題である』。

2)幼児期にhakoさんは、その(母親の)何かに気が付いたが(乳幼児が母親との間で致命的に関係がこじれたらマジに死を意味しますから)、生存本能としても強引にその違和感を合理化し「否が応でも母親との関係を優先させる事実認定を行った」←この段階で現実から乖離(母親の人格を疑問視するのが正解ですが、それはなかなな乳幼児の判断可能な幅に含まれない)、現実から乖離し『結果論として絶対母親を肯定してしまうようなロジック』を自我に組み込んでしまった。
(つまり「極端に無理のある母親の肯定と依存」この認識の歪み(誤解)が2次派生として関係の無い男性社会全般への殺意に表面化していた:火山の噴火口を強引に塞いだら関係無い場所でマグマがあふれ出たみたいな話です。)

3)心理的な問題は「時制のズレ」である。
実年齢は20歳過ぎている(親が誰だの普段考えない年齢です)のに、母子関係などを意識してしまう(=内面に幼児人格がある)、

4)脳内で時制のズレがある=自分の脳内では「今でも6歳のままの自分」が”フラッシュバック”している。

5)話はここで一巡し→『乳幼児が母親との間で致命的に関係がこじれたらマジに死を意味しますから』
実年齢は20歳過ぎている人物ならごく一般的な「自分が大人の年齢になる(=少年は男性へ少女は女性へ)」のような自立独立が”非現実”でえあるかのような錯覚(脳内では6歳がフラッシュバックしてますから)となり、
 ↓
公共事業で飯食っている中小零細建築会社が、
「親会社である大手ゼネコンとの関係が切れたら死ぬしかないと思い詰めるように」、
(もう説明しなくても意味わかりますよね)
母親との関係やら依存やらの不快がある時、脳内に幼児期の自分が”フラッシュバック”しているって事で←これはまったく誤解です。現年齢は全然違うのですからね。
(もう談合の時代じゃないし、そういう不正が残る方がおかしくて、中小零細も親会社からの発注だけ受けるのでなく時代は平成なんですから、自主独立の立場で自分でマーケットにアクセスする方向を考えるのが”現実”です。)

内面の情動を言語化する時に「死にたい」という言葉を選んでしまう誤認(現実との乖離)のキモは、

『癒着と談合』→家族社会で言えば『依存と内向』です。

※前述の”フラッシュバック”を私は現象として”ノスタルジー”と呼んでます(語彙的には微妙に違ってますが)。
一種の錯覚です。(現実には存在しない事象ですから)条件反射とは微妙に違っていて、トラウマ論で説明した方がわかりやすいでしょう。
あるホラー映画を観て凄く怖かったとします。そして、その映画に登場したシーンと同じ日常生活の場面で”映画の途中で感じた恐怖感が再現する”ような錯覚です。(そもそも映画で感じた恐怖感は事実から乖離したお話での恐怖なのにこれが実生活で再現される事が”可能性としてあり得る”ところがポイントです←発端となる事実関係が存在しないという意味ではありません。幼児が見て怖いと思うものと成人が見て怖いと思うものは違いますよね、それだけでも幼児心理が仮に継続しているとした場合、現実認知があれれも無い方向に行っちゃうことは想像できるでしょう。)

※又依存性の部分を補足すると、まさにそれは『中毒』と同じですから、副作用で気持ち悪くもなり二日酔いも酷い『家族社会酒の悪酔い』なるものを幼児期に飲んでしまい、この行為が内向性により構造的に解消されない場合(端的に言えば外の世界に流通しているカフェオレであるとか煎茶であるとか20歳超えてから飲むリアルのアルコールなどに志向が向かわないというような『内向性抑圧』←勿論これは広い意味で見れば外の社会に対して自立独立の立場で個人で関心をもって外交的に活動する事が総和的に抑圧されているって事です)、その内向性により構造化=『家族社会酒の悪酔い』を依存的に継続反復する事になり→その『家族社会酒の悪酔い』下でアルコール中毒となり、切れると禁断症状出ると考えればわかりやすいかと思います。

起きている現象は”個別”に見ていけば全て心理学的に説明がつくことで、これを渦中で混乱中の主観で見てしまうと「誤解が誤解を生む」ようにややこやしい誤解になってしまうワケです。(一種の複合でありコンプレックスでありルサンチマンである)

■そもそもこういうような家族社会のメンタルな問題を発現している組織は既に破綻しており(家族は下手すると夫婦が結婚した時から破綻していたのかもしれない)”彼女”を「部長や取締役」のようなタイトルで「母親」と認識すること自体本来無理があるんです。
彼女を「独立しているひとりの女性」として見ていかないと(母親と認知した瞬間フラグが立って強迫的思考にのまれます)ジャーナリスティクに事実関係を確認できないでしょう。
 ↑
あくまでも推論の範囲ですが、
今現在hakoさんの中で記憶だと思っている事実関係の正確性は「著しく確度が低い」って事です。
(ジャーナリストの報道では無く、興奮した関係者の多分に誤解を含む偏向的事実認定)
おそらく「母親の人物像」「父親の人物像」「(家族問題かから一歩身を引くことに成功したと推定される)姉の人物像」これらは”ほとんど事実と違っている”筈です。

ボタンの掛け違いですよ、
(第二次世界大戦を”侵略国日本”を発端に分析するのと、”帝国主義時代のアジアの小国”を発端に分析するのと、”米国のモンロー主義と覇権主義の相克”を発端に分析するのと、結果に対する見方は大幅に違う)

自分の記憶も不確かな「幼児期」に、無理のある事実認定をしたのじゃないか?
(母親の無条件肯定など)

>そういう自分を認められないし意識すらできないからわかんなくてただ苦しかったんです。
ここで言うべき「そういう自分」というのは、
事実関係をありのままに認知・認識できなかった自分の苦しい立場(その後現実社会への認知がえらいことになってしまうワケで)を意識してやらんと、本当に私には幼児期があったのだろうかという『記憶の証明』すら怪しくなるって事です。
(捏造された歴史を信じてしまったら→存在証明そのものが捏造になってしまう。)


>自分の中にある無意識の脅迫を、意識化して整頓していけば、パニックに陥った時に対抗できるんでしょうか?
できます。
それは「誤解」だからです。
大雑把に言えば、
「その不安(パニック)は、自分を3歳児だと勘違いしている自分が3歳児の迷子の幼児が感じる不安を再現しているからである」
(あえて乱暴な誇張加えて説明しますと、無意識に「いい歳して赤ちゃんの衣装着てオムツプレイに興奮している自分の姿」が見えたらですね、アチャーっと思うでしょう誰だって。個人的趣向でオムツプレイ愛好家ならこれ話別ですが、)

鏡を見ればどんだけ無理しても「映っているのは3歳児では無い」ですからね。
ここで相談当初の『醜形恐怖症』と話が重要にリンクしいてることわかりますよね?
「その鏡には年相応の女性が映ってちゃマズイ」んですよ。
大人の女性としての自分を拒絶し(内面の3歳児が私こそ本当の自分で在ると主張し母親を探せと命令する)。
「自分の内面の3歳児の自分という幻影」←こいつが強迫心理のロジックです。
(前述の話から関連させれば→『家族社会酒の悪酔いの味』が(フラグとなって)「3歳児の苦悩」という映画を呼び出している(リンク))

何故こんな自分にとって何の得も無い矛盾した現象がおきるのかと言えば、
ここに戻る。
 ↓
ボタンの掛け違いですよ、
(第二次世界大戦を”侵略国日本”を発端に分析するのと、”帝国主義時代のアジアの小国”を発端に分析するのと、”米国のモンロー主義と覇権主義の相克”を発端に分析するのと、結果に対する見方は大幅に違う)
 ↓
順番を追って考えていけばそう難しい構造では無い。
1)情報的に公開掲示板上では推論の域を出ませんが”仮説”として、一義的にこの物語の発端は『母親の人格上の問題である』。

この最初のボタンを「幼児の自分がかわいくないからである」などようなとてつもない飛躍の中で(勿論何故そんな事が起きるのかと言えば無条件に母親の人格を肯定するためです)、その後の歴史(現実認知)が全部”現実から乖離”してしまい「あっちの世界の話」みたいになってしまっているって事です。

所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。


>なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
なんでかって理由は簡単です
幼児に「難しい大人の判断」なんて無理だからです。
考えられることって言えば社会性も見発達な幼児にとって「結果論的自己中心的認知」しかできません。
「なるほどね、お母さんもまー言えば女だ、そうしてみてみるとさわからなんでも無い事はあるわいな、ま、しかし君さその認識はどうかと思うよ。その偏向の元ネタはあなたの子供時代の事でしょう。その話をさ自分の家庭で蒸し返すような振る舞いがあるから私が困るんですよ。気持ちはわかるが、こっちはまだ幼児だから、そこまで大人の判断で”気持ちもわかる”みたいな度量でいろってそりゃ無茶だから」
 ↑
なんて台詞を吐ける幼児は「そうそういませんよ」
「ママ私が悪いの?私はいい子?」とかね、幼児の思考の大半は自己中心的です。
(てかそうならざるを得ないケースが多い:これはメンタルな現象が社会学的背景にある証明なんですが、そういうリスクが『核家族化』などのある種内向社会化によって促進した。本来の核家族の意味は「家族社会の解体」なんですが、過渡期においてその意味を理解できない親世帯は「小規模な内向世界に無理くり昭和の共同幻想を再現しようとして」云々など構造的に無理が生じやすいんです。)

端的に言えば、集落の中誰と誰が個別に家族だなどの線引きも無く、大きな建造物の中で氏族社会のように多数の女と多数の男と誰の子供だかよくわからない多数の子供がいて、村の長が話をまとめていて、子供は他の子供や(自分の母親は特定できないので)母親集団の誰かに世話をされている。
こういう原始共産制のような環境では「メンタルな問題は発生しません」。
(幼児に構造的な自己中心性が発現しない←自己中心性そのものは”当初”発現してはいるんですが、あっという間に社会性外交性へとシフトして相対的現実認知に以降します。)

※この辺までの説明で、以降「いやなことがあると全部「生まれなければ」に思考をつないでしまう。」までの説明になっている筈です。

<各論に戻ります。>
>母親に、母親の家族のことを聞いてみました。「何かある」のは確かだと思います。
言えばこっからが本題です。


ここからはシリアスな要素が多く含まれます。
認識を進めるためにあえてエキセントリックな表現になっている部分もあります。

(あえて行間空けます)


>母も母でうまくいってないんです。
>でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
>客観的に母のことを見たら、私は母に同情してしまうだけだと思います。
 ↑
それは自分自身の内面に疼く「強迫心理のハッタリ」ですよ、まー脅しって奴です。

「私は広島に原爆投下したエノラゲイのパイロットの証言を聞きたくありません。私はパイロットに同情してしまうだけだと思います。」
それは無いから(笑
しかしですよ、パイロットが原爆開発したのじゃありません。勿論軍の命令だった、
(アインシュタインの証言やその後の反原爆運動なども重要でしょう)
それは同情とか情状酌量の材料にはならんでしょう、

事実を知るってことはそういう事です。
ひょっとすると本当の主犯は「祖母」かも知れない。
(原爆問題考える時、それは「マンハッタン計画」ってものを歴史的に見て初めてわかるように。)
『何故原爆投下が行われたのか』
こういう重大なテーマの時に、感情論云々が入るスキマはありません。それ以上に「知るべき事実の方が重い」からです。

といっても(ここも大変誤解されやすいのですが)、
刑事のように聞きまわって、事実を足で調べるなんて事は重要じゃありません。
「彼女(母親)はどういう事実が見えず、どういう事実をどんな風に歪めてしか見えない人間だったのか?」という彼女の歴史的足取りが概ね理解できればいいのです。
(一部推定が残っても構いません)
その認識が固まる事が、
 ↓
>なんなんだろう、結局は私一人がねじれてるだけかも、って思うんですよね。
 ↑
こういう誤解を完全停止・解体させます。

てか「事実」がわかるって事です。
推理ドラマのクライマックスにおける謎解きと同じですよ。
(誰かの濡れ衣が晴れ、真犯人がわかる。)

>これ以上母をかわいそうって思ってしまったら、断ち切れなくなります。
 ↑
かわいそう(今でも無条件肯定が解除されないので)と、思うから
>でも、深く理解したいとは思えません。正直深入りしたくありません。
彼女は無罪放免ってことで「任意同行」で引っ張って事情聴取する事すら躊躇しているって事です。
(まさか強制捜査で逮捕しろなんて言ってませんよ)

更に言えば、前述でおさえてありますが「事実関係は一部推定でもいい」のです。
本当に聞き取りやら任意で話を聞かなくちゃいけないって事でも無い。
これは捜査じゃありませんから。

重要なのは「深入り」ですよ、それこそ、
「歴史的に本当は何が起きたのか?」事実を深く考えるって事です。
それが逆の意味で”当事者責任”ってもんです。
※メンタルからの離脱として”リハビリ”として「反抗期をデバッグする」というのはこういうプロセスです。


>私が母についていろいろ考えるようには、母は私にたいして感情を持ってないですし。
>(なのに母と娘の交流を迫ってくる…断れない。嫌だなーと思いつつ接し、また自己嫌悪)
 ↑
説明は簡単です。
私の推定が確かなら彼女(母親)には子供はいません。
何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
(6歳から12歳の少女に、自分の子供なんて認知を求めても無理あるでしょう。)
彼女は「少女が想う”母親ファンタジー”に酔っているだけ」であり、
自分が母親役の時には子役が是非とも必要になり、
しかし彼女のドラマも勿論自己中心ドラマですから(そもそも他人の事などあまりよくわからない)、
実際に子役の役者さんが誰だとか、子役の役者さんとの個人的関係がどうこうって関心事項では無いでしょう。

その少女の関心事項は「お母さん(或いはお父さん)私も母親できる(あなたになれた或いはあなたの妻になれた)んだよ」なのかの知れないのですから。

ひょっとすると「(家族問題かから一歩身を引くことに成功したと推定される)姉」は、
「あーあーあーこのホームドラマのシナリオはぐずぐずだわ、ダメだこりゃ。(特に母親役の女優は誰よ?事務所の社長呼んで来いっての)アタシはこのドラマは降板して大部屋の端役からやり直すわ」そういう着想があったのかもしれませんからね。
(そこまでスルドイ視点が彼女の幼少期にあったとは考え難いので、何らかの後遺症のようなものはどこかに引きずっているでしょうけれど、こういう認知は彼女固有のパーソナリティーという意味でもありません。偶然姉は何かが暴露されるようなエピソードに遭遇したのかもしれないからです(母親役の女優が台詞を忘れて口パクになった事件を見たとか)。話を聞くってとっかかり的には最初にお姉さんと腹割って話すってのがお勧めかもしれないですね。言えば同じ世代の同じ家族時代で子役やってた”戦友”ですから。)

■ひとつ安全装置としてなんだか家族社会の不全のようなものがあると悲劇的であるとか当事者は被害を受けているかのように誤解されてもいけないので、ここを補足します。
(半分ブログの原稿ネタみたいな話なんですが)
その被害認知はベースとして『共同幻想系の保守的認知に強迫的に追随(ステレオタイプ)する認知』が引き起こしている錯覚で、

参考までに文化的変遷のある事例を挙げておきます。
昭和のアニメ(この時代は映像も”マンガ”と呼んでいましたが)では、家族社会をベースにした物語が多くありました。
(主人公の親兄弟も重要なキーパーソンであるような進行)
しかし90年代以降でしょうか、
日本のアニメや漫画の主人公は(少年漫画なので主人公が中学高校生多いのに)「何か”適当な理由”で家族と同居していない設定(少年少女なのに一人暮らし)」が非常に多いです。
親が登場してもサブキャラでおおよそ親に見えないような設定(めちゃめちゃ変わり者だったり)であったり、大半の物語は「既に独立している少年や少女個人の視点」で語られます。
海外で日本のアニメが評価されていく時代とそこは符号していて、
所謂共同幻想崩壊後の社会を先取りしているワケです。
(物語の進行に主人公の家がどうだとか家族が誰とか邪魔なだけで設定としてほとんど必要が無い)
そして現代社会、
ようやく民主党が「児童相談書マターの親の”親権停止”」や「子供手当を事情によっては(親では無く)子供個人へ支給」の法改正に着手しています。所謂昭和における『家族社会共同幻想』もある種明治維新の時の富国強兵政策による捏造であって(モロに幻想)、実体を伴わないものです。
(江戸時代の習俗から自然な流れで派生していない←見ようによっては江戸時代の方が個人が自由だった部分あるぐらいです)

のように、誤解は幾重にも重なってますから、十分に時間をかけて慎重に考える事です。

(日本の現代アニメの話には更に続く要素がありまして、物語が少年少女だからという部分はあるにせよ、ほとんどの主人公が「仕事」していません。『家族社会共同幻想』もある種明治維新の時の富国強兵政策による捏造←ここに被るんですが、GNPの増加に邁進する時代は終わり、現代社会は”フリーエコノミー”と”ネット社会”の時代であり、自分が何の職業人であるみたいな属性は(既婚非婚も同様に)現代のアイデェンティティー論的には二次的要素でたいした意味が無いのです。勿論『共同幻想保守系の就職』を意味するような社会適応論が既に時代遅れであるのもここに被ります。)
2059 【59】Re:お久しぶりです hako 2011/5/7 18:22
お久しぶりです。
また時間が空いてしまいましたが、返信ありがとうございました。
いつもありがとうございます。

kagewariさんに言われたことは、過去や記憶を遡っていくと、
「ああそうか」というふうに、そこもあそこも、というふうに
あてはまる点が多いです。まだまだ整理中ですが。

結局、つらいのも苦しいのも「過去のこと」なんですよね。
過去のトラウマがフラッシュバックしているだけなんですよね。
精神発作的な感じになると、「落ち着け、今はつらくない、今は大丈夫」
と言い聞かせることで、ひどい時期のスパンが短くなった気がします。

今回は、私の目線から見た家族(親族)像を書きたいと思います。
あれがこうだからこう、というようにいっきに繋げることができないので、
箇条書きします。

登場人物は、祖母、母の妹、祖父、父、姉、母です。


祖母
・今は認知症で家から少し離れた介護ホームにいる。(ほぼ寝たきり、人の顔もわからないし会話すらできないレベルです)
・私が高校生くらいの時に認知症症状があらわれて、介護ホームに入ってからどんどん悪化した。
・昔は県外(私や母の生まれ故郷)に住んでいた。
・母が言うには、母が子供の頃から、母よりも母の妹と仲が良かったらしい。
・おばさん(母の妹)のお金の無心が悪化して、逃げるように母の住む今のところに越してきた。
母談「あのままあっちにいたら、おばあちゃんは無一文になっていた」とのこと。
・私が中学校の頃は一年くらい、一緒に住んでいた。でも私は祖母のことを軽くみていて、
あまり関心がなかった。自分の(学校)生活のほうが楽しかった。
・結局家の近くに住んだり、県外の親戚のところに行ったりしたけど(時系列があいまい)
最後は家の近くに住んで、そこで認知症になった。
認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。

祖母が認知症になってから、((なる前も)おそらく関係が相当こじれた=絶対に何かあった(お金の貸し借り以外に)と私は思うのですが)、
おばさん(母の妹)は一度もこちらには来たことないです。介護の手続き等はずーーっと母が一人でしています。
私は、最初の頃は自分のことでいっぱいいっぱいで、母が色々苦労してるのも祖母の認知症がひどいことに気づいたのも、「完全にひどくなってから」でした。
母には「あんたはあの時反抗期だったからね」と言われました。祖母に対してはいまさら何を言っても無駄だけど後悔しています。祖母のことは、私は特に好きでもないし嫌いでもありませんでした。(=やっぱり家族(親族)に愛情がもてていない)
祖母は寂しかったんだろうと思います。若い頃は家族の家計を助けるために苦労し、家庭を持ってからも、とにかく人のために尽くすことが一番な人だったそうです。
自分が楽しむことは二の次だったそうで、旅行もほとんどしたことがありません。
以前、母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、結局することがなく、母とぼんやりするだけでした。
ある日、介護ホームに行って、母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た時、すごく嫌な気分になりました。
私は所詮「嫌々行っているんだ」と気づき、祖母も嫌々来られるくらいなら来ないほうがマシだろう、と思い、それ以後、ぱったり半年くらい行かなくなり、今に至ります。

所詮、私は「家族なのに冷たい」と言われたから行っていただけです。
自発的に今の祖母に会いたいとは思いません。ひどい人間だとも思います。
ただ、もし祖母が元気な頃に戻れるなら、もっと、もっと、色んな話をすればよかったと思います。
ちゃんと話したことがなかったから、私の祖母に対する印象は「好きでもないし嫌いでもない」んです。
私は身内に対しても人見知りで、祖母に対しても心を開いていませんでした。


母の妹(おばさん)
・結婚していて、子供が二人(姉弟)がいる。

小学校の時は家族でおばさんの家に泊まりにいったこともありました。普通のいとこ同士として接していた気がします。その頃は祖母もおばさんと同じ県に住んでいました。
私はおばさんに対して、今でもあまり悪い印象をもっていません。小学生の頃もった印象は「さばさばしている人」という感じです。母が実質一人で祖母の世話をしているのを見ても、だからおばさんはひどい、とは思えません。
数年前に子供が妊娠したからお金を貸してほしいという内容の電話がかかってきて、多分母は断ったのだと思うのですが、それ以後、絶縁状態です。
母は、直接的にはおばさんに対しての不満を言いませんが、匂わせるように、「なんで自分の母親に対してこんなに冷たくできるんだろう」とか、「昔から、成績は良くないけど人に甘えるのはうまかった」ようなことを言っていました。
先日、姉が入籍したので、それをきっかけにおばさんと連絡を取ってみたらどうか、と私が言うと、「またお金を貸してと言われそうだから無理」、「昔からそういうことを報告し合う関係じゃなかった(祖母が向こうにいたことでかろうじて関係が保てていた?)」と言っていました。
母は妹(おばさん)に対してコンプレックスがあるんだと思います。母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
それが、今の母の人格に至る原因の一つのような気もします。
私はよく母に、「ずるくない」というところを褒められます。「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」と。私は内心、なんだそれと思いますが。
それって他によっぽど褒めるところがないっていう意味なんじゃ…っていう。ちなみに「ずるくないからいいよね」と会社の同僚にも言われたことがあり、
もはや、わざわざ言われるほど「私はそんなにずるくないのだろうか(?)」と思ったりします。世渡りが思いっきり下手ってことですよね。


祖父
・私が幼少期の時に病気で他界
・母曰く、祖母は自分達に対して怖かった。そんな祖父に従う祖母を見るのが嫌だった、と聞いたことがあります。
・祖父は祖父の家族(後妻)と折り合いがうまくいかず、絶縁状態だった

小さい時に亡くなってしまってあまり覚えていませんが、祖父に対しては、すごく優しかったイメージしかないです。
いつも欲しいオモチャやお菓子を買ってもらって、家に帰ると、「買っちゃだめって言ったでしょ」と、祖母が祖父を怒っていた記憶があります。



・あまり喋らない
・たまにおもしろいことを言う

ので、「不思議で変でちょっと面白いけどとにかく喋らない人」という印象です。
生まれてこの方、父と真面目な話をしたことがないです。そもそも話しません。
母と結婚してから父はずっと働いています。
こちらに関心が無いのかとも思いますが、それで不満ということもなく、
昔から一貫して変わらないので、まあそういう人なんだろうなって感じです。
そんなだから、喧嘩になると母に一方的に言われっぱなしです。父は金銭感覚が乏しいらしく、
喧嘩の原因は主にお金のことなんですが、見てて思うのは、
この二人(父と母)はずーっと同じことを繰り返しているということです。
感情的に(=非論理的・子供)わめき散らす母と、それに対して何も言わない(論理的に反論することができない)父、ずっとその構図です。
だからいつまで経っても何も解決しないというか。

kagewariさんが仰る通り、母は子供が一部に混ざっているんだと思います。ヒステリーを起こした母は論理的なことが何も通じません。
こっちがびっくりするくらい、突発的な行動を起こすことがあります。(かばんの中身をいきなり逆さまにして全部出されたり)
子供の頃は、口論になるとまさに子供(母)対子供(私)、みたいな構図になってしまって、とりとめがつかないことがよくありました。
なので、母が祖父に対する嫌悪感で、父のような良く言えば穏やか、悪く言えば朴念仁みたいな人を選んだのは
もしかしたら失敗だったんじゃないか、と、自分で今分析してみて、少し思います。
母のヒステリーに対して「君はOOだけど、OOはOOじゃないか」というふうに、言葉で論理的に諭せる人(大人)であれば、
きっと今よりうまくいったんじゃないか、と思います。
父に対する不満のしわ寄せ(何を言ってもこの人は何も言わない、手ごたえが無い)が、家族(私)にきてるのかも、とも思います。
本来、夫婦で解決すべき問題が、家族全体に蔓延してしまっている、という気もするんです。(=私は母が重いと感じる)
でもこれは私に都合のいい、勝手な解釈かもしれません。
でも、父の無防備に、母のヒステリーが緩和される時もたまにあるので、母と二人きりよりは、三人でいるほうが安心します。

あと、もう一つ父に対して私の中で重大なことがあって。
私は父に、思春期(高校〜短大くらい)にかけて、ものすごく冷たかったんです。母に心配されるほど一時期ひどかったです。
私は父と顔と骨格がそっくりなんです。顔も、骨格も、思春期がコンプレックスのピークだったので、
父を思うと憎しみが湧くことがありました。今も、自分の顔と骨格のことを思うと愕然としますが、父に対して冷たくしたことは、反省しています。
私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
私は未熟な人間で、自分がひどい目にあわないと、人に冷たくしたことを反省できないんです。
(男性に、なんでここまでされなきゃいけないの、っていう被害を受けたことは、そのまま父にしていた態度のバチなんだって思ってました)
今は、父との関係は少しずつ元に戻りつつあります。でも、父は私に不信感をもっていると思います。
「元の元」には戻れないとは思いますが、私の容姿と父は関係ないので、反省して、できるだけ普通に接していきたいです。



・中学頃までは、成績優秀で、優等生
・高校以降、いい子でいることに疲れたのか、自由な感じ
・超現実的で、向上心が強くて、外交的
・友達が多くて、人から信頼されるタイプ
・最近、入籍して県外へ引っ越した

姉にできて私にできないことが多すぎるためか、姉に対してコンプレックスがあります。
中学くらいまでは、仲良しでした。家族の中で唯一まともに話せる相手でした。
でも私が高校に入って、外見のことやら何やらで思春期をこじらせて、次第にうまくいかなくなりました。
「姉は自分(私)のことを恥ずかしい妹(不細工・要領が悪い)だと思っているんではないか」という被害妄想を抱くようになりました。
姉の友達に笑われることがありました。私は、いつも姉と自分を比べて、自分の友人関係が乏しいと思っていました。
最近入籍しましたが、その報告も、姉本人ではなく母から聞きました。姉の結婚相手とも一度も会ってません。
母は、姉と自分を重ねている(優等生)のか、姉に対しては、なんだか普通なような気がします。
私に対するように、不自然な感じが無い。(私のような出来の悪い人間にはどう接していいかわからないから不自然になる→その態度が私の怒りに触れる)
「普通ってこうだよね〜」って感じです。母と姉と二人揃うと、私は何を言っても冷笑されているような気がします。また被害妄想です。
姉とは、それこそ入籍するって言って家族が集まるまで、本当に口を聞いてませんでした。
「どうせ見下してるんでしょ(なけなしのプライド)」と、「こんな妹で申し訳ない」っていう、なんていうか、自意識過剰っていうか、本当にこじれてますね私。
kagewariさんの分析を踏まえると、姉は「家族ごっこから手を引いたから客観的にふるまえる=私にはそれが自然に見える」→つまり、根本的には
姉も私と似たような葛藤を、昔は抱えていた、ってことですよね。多分そうだと思うんです。
あと姉は外交的なので、(これは私とも母とも違う)家族から外の世界へ視線を置くことができたんだと思います。
家族からの自分の評価=異常 から、友人や恋人からの評価=正常な価値観を手に入れることができた、ということでしょうか。
私は、「家族」というものを嫌悪してるにも関わらず、姉は、もう家族から抜けてしまったんだ、もう私とは関係が無くなってしまったんだ(ものすごいまた被害妄想な思考なのはわかってます)と、例の精神発作的な症状の時に思ってしまって、寂しくなることがあります。
姉はきっと私の関係ない世界で幸せに暮らしてるんだ、って羨ましいし、なんで姉はそうなのに、私は…(過去が蘇る&母親がまだいる!!)って暗い方向に
向かってしまいます。
でも私は私でがんばらなきゃいけないんですよね。今を変えるために。
姉の結婚相手と会うのは勇気がないので今は無理ですが、とりあえず、近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。



・思春期、内向的な優等生だった。(自我を抑圧していた?)
・父親(私の祖父)が嫌いだった=男性嫌悪?
・妹と信頼関係が築けなかった(「OOちゃんは、(不器用だけど)ずるくないからいいよね」=妹はずるい)
・小学生高学年くらいで、精神年齢が止まっている(もちろん一部)
・精神年齢=「子供が抱く家族のイメージ」を継続したまま、ここまで来てしまった(正されなかった)
→小学生くらいの時に、自我の成長が止まってしまうような何かがあった。(何かはわかりません)

母が祖母の面倒をずっと一人で見ているのは、誰も手伝ってくれないから(私も父も姉も)と言う理由と、妹に対する復讐の意味もあるのかと、
考えすぎかもしれませんが…思います。
もし私が母の立場だったら、そんなにちゃんと何もかもやらないで、手を抜くところは抜きます。(ひどいのかもしれないけど)自分を優先します。
でも母は、「何の文句も言わずに一人(だけ)でやってる」をこっちに匂わせてくるっていうか。私が怖いのは、母の無意識なんです。
私はほぼ自分のことしか考えてません。でも母は、ほぼ自分のこと以外しか考えてないと思います。
私が重きを置いているのは「精神」ですが、母は、精神(自分の気持ち)はおざなりで、「行動」します。
だから何か言われた時に、私は精神論以外で、母に反論できません。私は何も行動してないから。
こうやって、私が考えて考えても悩んでも、母にしてみれば、「そうやって考えてもあんたは何も行動してないじゃない」となります。
確かにそうなんですが、そう言われると私は、「じゃあやりたくないことは極力やらなきゃいいじゃん(=無意識を私に巻き散らかさないで!)」って、
最後には言いたくなります。行動してることがそんなに偉いのか?やりたくないことを我慢してやってることがそんなに偉いのか?って思います。
もっとちゃんと自分のことを考えてよ!って思います。私がどう思ってるとか、母は知りたくないでしょうけど、私が母の立場なら、
考えます。
それらが、すべて子供の精神がさせているなら、母は「今」、なぜそこまで子供でいなければならないのでしょうか。
子供の時に、大人でいなければならなくて、だから今精神の退行が起こっているのでしょうか。(子供である私に向けられている)
それとも私の思うこと自体が偏りすぎてて抽象的で伝わらないのでしょうか。

母の思い出で、昔、母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。(誕生日を忘れられて泣くのは小学生くらいまでだろうから、
>何故って彼女はおそらく「6歳児〜12歳の少女」だからです。
このkagewariさんの分析と合っていて、思い出して「あっ」と思いました。

あと、忘れられない夢で、母が私の部屋に殺菌するように水を撒き散らしながら、私の眼前に、傷がついている手首を突きつけて、「私はあなたのためにここまでしたの!!」と叫ばれました。夢を見た当時(思春期)は何が何だかわからなかったけど、今はよくわかります。
私にとって母は「そういう存在」(実際の母とは別に、あくまでも私の意識の中で)だってことです。
そういうことや、今までの全ての記憶によって、ものすごい母に対して強迫があるんです。
私が何か言おうとするとヒステリーになって泣き叫ぶ、私を見ようとしない、上っ面の家族に固執している、等です。
そして可哀相(そこまでしなきゃ自我を保てなかった可哀相な過去があった)です。
少し前、kagewariさんに相談する前、道端で、母のことを考えていきなり泣いてしまったことがありました。

その頃、とてもとても苦しかったので、その苦しみや、思春期の記憶や憎しみを思い出して、トラウマ=フラッシュバック化して、
もうわけがわからないので、「死にたい」&「母など死んでしまえばいい」となっていたんだと思います。
だから一緒に暮らしている時はわからなくて、今一人暮らししていてどんどん過去が蘇るんだと思います。

>所謂世界史やる時に”自虐的大日本帝国悪質史観”に立ってしまった結果、なんとかおおよそその後の日本の歴史は強引なこじつけでも何でも説明可能だが、世界史の中でそれを説明しようとすると”矛盾だらけで”全く説明がつかなくなり、説明に困って「こうなったら日本なんか無くなればいいのだ」のような意味不明な方向に認識が流れているようなものです。

↑まさしく、わかりやすいです笑


長くなってしまいましたが、
こういう調子で、自己分析していけば、いつかは母との葛藤と決別できるでしょうか?
私の解釈で、間違っているところがあれば教えて下さい。
あと、今後、母と(母の少女的自我がこれからも治らないとして)どういうふうに接していけば良いでしょうか。
今は、なんかもう、メールで「いついつどこかへ行かない?」と言われただけで「ひっ」って感じです。
誘われた時点で、断る選択肢は無いのでは、と思ってしまうし。
今の時点では、実家と実家の近所は「過去の暗黒期が詰まった伏魔殿」って感じで、よっぽどのことがないと行く気にはなれないです。
自分の中の偏ったシナリオで、
・母は私のこと(正確には母娘関係)にしか興味がなく、内向的で、外との繋がりを持たず、私と交流を持ちたがる。(私も母も楽しくないのに!!)
・私がこのまま母を避けていくうちに、母は祖母のように認知症になり、私は姉にも頼れず、母が祖母に今そうしているように、母の面倒を見なければならなくなる。
という不安があります。
私が一番怖いのは、「母と私と二人だけの世界」です。
この負の連鎖をどうにか断ち切りたいです。
縁をすっぱり切れればいいのかもしれないけど、一生は結構長いみたいなので、現実的に無理です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


P.S
このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
相変わらず何やかや葛藤を抱えていますが、これからは以前のように、気軽にその言葉を口にしません。
犠牲になった人の上に今自分が立っていることを絶対に忘れません。
本当に、生きたいんです。死にたくない。
たくましく生きたいです。
3月11日以降、色んなことが自分の中で変わりました。
kagewariさんに相談させてもらったことも、自分の中で大きな大きな節目です。
ここまで正直に自分のことを書くのも、聞いてもらうのも、初めてです。
本当にすみません。
本当にありがとうございます。
2060 【60】Re:お久しぶりです kagewari 2011/5/9 0:15
非常にいい線いってます、かなりあたってます。
(というか非常に需要な事実関係が抑えてありますね)

今回は各論では無く、いただいた情報を元に大きな枠組みを(推論ですが)組み立てます。
それがあれば思うに(現在の理解力がれば)hakoさんには以降の詳細を事実認定として継続していけると思います。
枠組みにおける大きな骨子は、

■母親には祖母との間に非常に大きな同一化(猛烈なママゴト興奮とでも言いましょうか)と権威化(極端に言えば神格化)がある。
(彼女の父親への嫌悪には二面性があると思います。男性コンプレックスの象徴として性的な嫌悪であり、神格化されている母親を従えるなどという大それたことを平然する人物に対する感情的反発。)

大きく話の根本を切り分けます。
>母は、成績は良かったし優等生だったけど人に甘えるのは苦手で、消極的だったんだろうと思います。
 ↑
厳しく必ずしも気軽に話ができないところのある母親(祖母)を神格化しているが故に「成績は良かったし優等生だった」と祖母に盲信したが、コミュニケーションが取れず(幼児性自己中心認知からか祖母の真意を理解できず)、大人同士が普通にコミュニケーションすることことを彼女(母親)は『ずるい』と思い込んでいる。(或いはそう思いたかった、何かの宗教教義に盲信するように。)
繰り返します、
彼女(母親)は社会で大人同士が円滑にコミュニケーションすることことを『ずるい』と呼ぶんです。
(私なんか言われたとーーりに、勉強して優等生で、、、なのに○(妹)はズルい。お母さんと普通にしゃべって、、普通に、、)


行間空けます
(以降には少なからずショッキングな指摘がありますので精神的な余裕がある時にゆっくりと反読してください)


母親と良好な関係にあったのは叔母(母親の妹)であり、
(借金ネタにはこの際大きな意味が無いと考えてください、これは”目くらまし”のネタまきです。少なからず借金が事実であってもです、)
彼女(母親)はそれ(神格化された母親が妹と仲良く暮らすことが)許せなくなり、
何らかの理由や経緯の中で『母親を妹から引きはがした』
 ↓
その結果
hakoさんを手元から話さずに”母親役(猛烈なママゴト興奮)”を演じ(自己愛的興奮)続け、挙句の果てに母親自身は無意識ながらも結果hakoさんを心理的に追い詰めているように(明らかにhakoさんの強迫ネタ元主犯は彼女です)、

母親に心理的ストレスをかけていた、


行間空けます
(以降には前述以上にショッキングな指摘があります。又一部はまだ私が個人的に考えている心理学によるもので学会などで認められていない理論も関係しますので、推論であることをこころにとめておいてください。又、精神的な余裕がある時にゆっくりと反読してください)


祖母が認知症を発症した背景には、
話が通じない娘(彼女)との間の強迫ドラマ(hakoさんを心理的に追い詰めているように)が関係していると思います。
※学会含めて認知症とメンタルの関係は証明されていませんが、少なくとも認知症のリハビリ過程には心理学的アプローチ(関係性の構築:話が通じる)が効果があることは社会的にも認知されているでしょう。←『その逆があるとしたら』と考えてください。

そして(やっぱり妹と違ってちっとも母親と話がうまくできない、母親(祖母)を独り占めしてもちっとも嬉しくなれない。←しかし妹が母親と楽しく会話するのだけは断じて我慢ならない。絶対許せない、)、
自分の行い(母親の拉致)が額面通りにうまくいかなとみるや(彼女の脳内ドラマでは感謝した母親(祖母)が涙流して抱き寄せてくれる的興奮が想定されていたのに)、「これじゃまるで私が悪者だわ」と、
 ↑
上記のこころの動きは一部が認識されても大きくは彼女(母親)にも無意識である(自覚が持てない)ことを忘れないでください。


<話は戻ります>

「これじゃまるで私が悪者だわ」と、
自分の行いが母親想いの素敵なお嬢さんであることの証人を求めた。
(現場に連れてきてその行為を見て賞賛するような人間が必要だ:証人)
>母に、私が自分のことでいっぱいいっぱいで介護ホームに行かないことを「家族なのに冷たいなあって思ってた」と言われました。それがショックで、私は母と言葉の通じなくなった祖母のところによく行くようになりましたが、

実体はというか事実はこれです。
>母が祖母の食事を食べさせて(いつもは職員さんに任せている)、あまりにも食事させることが難しくて、私がよそ見している間に、食事をビニール袋に入れて捨てようとしてるのを見た


母親(祖母)は、
>認知症の初め「母の妹(おばさん)が家に来た」(来てないのに)とか言っていて、おかしいと思ったらしい。
妹にいて欲しかったのに。

更に言えば、
母親(祖母)がおかしな事(妹と会いたいなど)を言う前にhakoさんには母親(祖母)を会わせず、
彼女が自分の美しい行いの証人としてこれを証言させるためhakoさんを母親(祖母)に会わせたのは、
>「完全にひどくなってから」でした。

以下は都合のいい屁理屈です。(嘘といってもいい)
>「あんたはあの時反抗期だったからね」
(正直なところ、母親(祖母)とうまくいかず、自分のシナリオでは「酷い妹から母親を連れ戻した」という話が破綻(母親は妹といたかったのかもしれない)しているところを見られるワケにはいかない)

■借金の話注釈つけます
こういっては何ですが、
祖母本人は特別資産など残す意思が無い場合、彼女(祖母)は字自分の老後で全額使い切っていんですから、好きなように使えばいいのであって、最後亡くなる時に無一文というのが「使い切り」的には一番彼女にとっての贅沢になります。
”無一文”になっ困るのは『相続する人』なんじゃないですか。


<父親について>

彼を彼女(母親)がスカウティングしたのは、無口で論理的に何か言い返したりしない(マチズモから遠い)男性だったからでしょう。
(男性シンボル的なのが父親(祖母の夫))
仮に彼が論理的に彼女をたしなめたら?
『逆上して手が付けられない状態』になったと思います。
(何かこの状況に現状と比較して好転の余地があるとするなら→早い段階で母親は心療内科か精神科に相談することになっていたかもしれません。)
彼女にとって彼は問題を暴き出さない都合のいい男だったのだと思います。

私の推定ですが、
彼は随分早い段階から問題の本質(妻の心理的問題)を知っていたと思います。
しかし昭和のこの時代、メンタルであるとか心理学などこれはよっぽどの文化人類系知識層の話で(一般的には精神科しか基準が無い当時で、更に当時の精神科は監禁に近い入院状態などおおよそメンタルに不適格な医院の噂も絶えなかった時代です)、
「彼に何ができますか。」
私はひたすら耐えてきたんだと思います。
>わめき散らす母と、それに対して何も言わない父
何もかも腹の中に納めて、
ずっと、ずーっと、彼は耐えてきた。
(彼の過去に過失があるとすれば、妻の状況を温存することは子供達のメンタルに大きな影響が起きることを察知できなかった事ですが、これも心理学的知識無く想定することは大変難しい。)

>父に対して冷たくしたことは、反省しています。私が冷たかったので、父も私に対して、距離を置くようになってました。
 ↑
間接的にですが、この心理を醸成したのも「母親と父親の関係」だったように思います。
hakoさんは無意識に母親に同調し、彼に罵声を浴びせる側にいたんですよ。
(同時にここには醜形恐怖の原型がある。←私の以前の返信に「それを必要とし捏造したのは母親ではないか?」の推論があったことを思い出してください。)

姉はどこかのポイントで「このシナリオはおかしい(欺瞞ドラマじゃないか)」に気が付いたのでしょう。
>近いうちに、姉と二人でゆっくり食事でもしたいな、と思っています。
 ↑
大きな一歩です、
■大変大きな意義ある会談になると思います。


<単体論ですが>
元来家族は血縁というだけで(会社でいえば”縁故採用”はむしろ如何わしい枠ですよね)、
人権論的には「血縁だけはあるが他は赤の他人」です。
(近代以前のように継ぐべき家督相続や伝統ある生業などがあれば別ですが:この場合血縁というより同族会社の構成員という社会属性が上位)
それこそ何かの縁で特別話したことのない親族や特別親しくない家人と親しくないのは『自然』です。
hakoさんが以前祖母と個人的にそれほど親しくないとか、彼女(祖母)に何かしてこなかったなどは「全く関係ありません」ので。
(それこそ親しくも無いのに血縁だからと見舞いにこられる方が普通に考えて迷惑でしょう。)


<まとめですが>
>母の誕生日を私が忘れていて、「今日はママの誕生日!!!!」と大泣きされたことがあります。
 ↑
これは衝撃的ですね、、
(ガチで単独者の私は家人の誕生日をひとりも覚えていませんし、親しい友人の誕生日も覚えられません(数字に弱いところありまして)、極端に言えば自分の誕生日忘れていることすら珍しくありません。)


hakoさんは認知症心配されていますが、
彼女(母親)は、以前から人格障害ぎみの状態が慢性化しており、昨今は躁鬱傾向にあると思います。
今の状態で心療内科通院していて全く不思議ではありません。
(深刻と言う度合から言えば、現状ここまで事実関係を理解されているhakoさんより遥かに深刻だと思います。)
しかしやっかいなことに、カウンセリングは鬱や恐怖症であるとか内向化傾向などには(会話が成立するので)効果も大きいのですが、会話が成立しない(場合によると嘘と事実の区別がつかなくなる)場合、心理的な自我問題の軽重では無くって対処の方法が限られる(コミュニケーションが取れないとか心理的問題に本人自覚が無いと精神科しか方策が無い)、
この問題は彼女(母親)自身のプライバシーですから彼女が自分で選択する事には違いが無く、周囲がどうこういっても仕方がありませんが、
父親に事実関係を話しておく、
(彼はある程度察知してきたと思います)
同時に彼女の子供時代の実体をあれこれと考える(叔母(妹)さんと話すのも効果的に思います)。

hakoさんはこの件に関与しなくてもいいし、
仮に関与するにしても周囲の認識をある程度は統一させなければいかんでしょうから(父親、叔母、姉)、
気持ちこの問題は父親に任せる形で、とどめておくところでいいと思います。
(繰り返しますが血縁ってだけで人権主義的には→家族は他人です。各人のプライバシーは人権として血縁者でも委託が無い限り侵害できない。)


>このたびの大震災で、私はカウンターをくらったように「死にたい」と思うことが無くなりました。
>本当に、生きたいんです。死にたくない。
>たくましく生きたいです。

心理学的に言えば(といいますが私の追い求めてきた心理学の世界から言えば)

■生きるとは『抗(あらがう)』ってことです。
(実存主義における”反抗的スタンス”とはそういう事です。←時間を後ろに進めてしまうのが『被(こうむる)』)


今回はかなりショッキングな内容となっていると思います。
時間をおいて、余裕がある時に何度も繰り返し読んでください。
そして、関係他者と話をすることは大いに意味があります。
ジャーナリズム的に証言を集めることは(全てじゃありませんが)事実を浮かび上がらせるひとつの手法であることに間違いありませんから。
(※あまりに聞き取りに偏重しないことにも注意してください。誰しも微細な偏向ベクトルを残しているのが人間の自我には自然なことですから。)
2071 【71】Re:強迫行為?について はこ 2011/9/12 23:19
返信、ありがとうございました。
いつもお礼が遅く申し訳ありません。

前回kagewariさんにしていただいた分析によって、
話にすっと一本筋が通ったように思えました。
自分の中で終わりの見えなかった世界の出口がやっと見えてきたというか。

>母親と良好な関係にあったのは叔母(母親の妹)であり、
>(借金ネタにはこの際大きな意味が無いと考えてください、これは”目くらまし”のネタまきです。少なからず借金が事実であってもです、)
>彼女(母親)はそれ(神格化された母親が妹と仲良く暮らすことが)許せなくなり、
>何らかの理由や経緯の中で『母親を妹から引きはがした』

>祖母が認知症を発症した背景には、
>話が通じない娘(彼女)との間の強迫ドラマ(hakoさんを心理的に追い詰めているように)が関係していると思います。

ショッキングでしたが、頭の片隅ではその可能性も考えていた気がします。
認知症になる前の祖母には、いつも怒るような(叱るような?)口調で話していた母が、
認知症になった後の祖母には、赤ん坊にするような態度で。
誰にも邪魔されない文句を言われない母親と自分だけの世界を手に入れた、って
(無意識で)思ってるのかな…って。
もしそうだったらと思うとおそろしくもあり、でも色んな要因が重なり続けて
そうなったわけで、やるせないけどどうしようもないし誰が悪いとかいう話にもできないし、
もう何も言えない(知らん)と思いました。


>「なるほどね、お母さんもまー言えば女だ、そうしてみてみるとさわからなんでも無い事はあるわいな、ま、しかし君さその認識はどうかと思うよ。その偏向の元ネタはあなたの子供時代の事でしょう。その話をさ自分の家庭で蒸し返すような振る舞いがあるから私が困るんですよ。気持ちはわかるが、こっちはまだ幼児だから、そこまで大人の判断で”気持ちもわかる”みたいな度量でいろってそりゃ無茶だから」

仰る通りで、私は母の問題からの自分の問題を解決しなければならないのであって。

たとえばこのような祖母や私との強迫ドラマを、母が本当にまったく何の疑問(あるいは違和感)もなく、無意識でやっているのだとしたら、母は私にとって巨大なモンスターになってしまいます。
私は母(自分の頭の中でモンスター化した母親像)に、果たして太刀打ちできるのか?
しかし、思うに母は多分とっくに気づいているんですよね。私が母を避けていることも、
自分の描いた家族像と実際の家族が全然違うってことにも。
気づいているのに気づいていることを認めようとしてないように、今は見えます。
(もしくは本人がそれを疑問視していない場合は認めなくても問題ないのでしょうか?)
そうなると、私はますます母のメンタリティが不明になってくるというか、
目的は何なの?みたいに思ってしまいます。

このへんで一本通った筋がまたぐらつくというか…。


>「狼がくるぞ」
こういうデマを飛ばしている首謀者は「ほぼ間違いなく母親」でしょう。

思い返せば、母は私が何かしようとすることに、いつも「懐疑的」か「全く無関心」かの
どっちかだったように思います。「ほんとにそれでいいの?」とか、「そんなこと無理に決まってる」とかほぼ絶対にありえない(悪い)ことを「いや、こういうケースもあるから気をつけろ」とか言われたり。私がそれでもやろうとしたことで母の意にそぐわないことは「ああ、じゃああれもこれも全部やれるもんならやってみろ」という態度でした。

母が無意識にそれをやっていたとは到底思えないので、
それが故意であるとしたら、私は自分の弱い部分を徹底的に母に利用されていた、ってことになります。
母にとって「ずるくない」私は、物言わぬ家族のパーツにするのに都合が良かったんでしょうね。
最近の母がもっぱら私に見せる顔は、「一人で苦労している自分」「かわいそうなところのある自分」「情緒不安定な自分」ですが、それは私が母を避けはじめたからであって、私に反撃される(たとえば母から離れる)のをおそれているんではないか?と思います。

果たして母はどこまで気づいていて、どこまで本当は狡猾で、どこまでが無意識なのか、と思います。

少し前の話ですが、数ヶ月ぶりに実家へ帰ると、ドアを開けたらいきなり玄関(家の中です)に、母の自転車が置いてあって…。当たり前ですが玄関は自転車が置けるほど広くなく、今まで自転車が置いてあったことなんてなかったです。ものっすごいびっくりしちゃうんですよね、なんだこれ?って。すごい異様に見えるっていうか、不安にさせられるっていうか。この人は大丈夫なのか…?みたいな。(なにこれ?って聞くと、母は「雨が降ってたから」←?? と言ってました)
もしかしたら、全っ然関係ない話かもしれませんが。笑
なんか…今度は何だ?みたいな、とにかくこわいんですよ。母が。

もし母が情緒不安定なんだとしたら、ますます私は母に対して憎しみを口にできない、言っても通じないことになります。※現時点で私は母に自分の思ってることを言うつもりはさらさら無いです、それを前提として。

母への怒りの抑圧(=実は死ねばいいと思っている)があるんです。
その怒りは、今でもいつでもふきだしたがっていて、場合によってはその時周りにいる人に
迷惑をかけます。(過去に、男性世界に死ねばいいと思っていたように、あっちこっちに飛び火します)
しかし母にその怒りはぶつけられない。
言ってもどうしようもないのと、私が仕返ししたら、さらに巨大な仕返しをされるようで
こわいんです。

最近はこのことを意識することによって、「今のこの怒りは不当な怒りだ(この人と関係ない)」と自分を静めることが少しずつですが、できるようになりつつあります。

でも、葛藤の本質?に気づいたにもかかわらず、
強迫行為が激しくなってるんです。

・不安でしょうがなくなる、ありとあらゆる不安が自分の中から引き出される
・周囲(隣人)が全員敵に思える
・大人がこわい(←自分は大人側の立場なのでおかしいということはわかっている)
・1日に何度も手を洗う
・顔や頭皮を引っかいてしまう、髪を触るのがやめられない
・一人でいると、常に緊張している、動悸がする
・自分は死ぬんじゃないか?と思うことがある
(道を歩いていて、ただの石がなんか大きな虫に見えたりして、仰け反るほどビクっとする)
・ある時ふっと何もかも嫌になって、何もできなくなってしまう

↑は、強迫心理の最後の抵抗、みたいなものなのでしょうか。
(何度も手を洗うのと髪を触るのは昔からありました)

私は、幼い頃母に「私(母)を捨てたら殺すわよ」みたいな恐ろしい暗示をかけられていたとでも
いうんでしょうか…。
それとも私にはまだ自分が絶対に気づきたくないような真実があるのでしょうか??

最近は、会社で一人で昼食をとってる時と、外の風にあたっている時が唯一落ち着きます。
何をしていても、急かされているような、朝あと1分で家を出なきゃ遅刻するみたいな
気分なんです。

なんででしょうかね?

今回姉のことも書きたかったんですが、長くなってしまったのでやめます。


おいそがしいところいつもすみません。


>■生きるとは『抗(あらがう)』ってことです。

ものすごく心にじわっときます。
ありがとうございます。刻みました。

2072 【72】【現在の進捗状況】的に考えてみましょう。 kagewari 2011/9/14 20:41
順調です安心してください。
「事実関係の明瞭化と整理」ここはほぼ鉄板で進んでます。
(具体的かつ詳細な部分は”歴史的興味”があれば別ですが、個人心理学レベルとしてはほぼ十分完了に思います。)


重要な部分を抑えておきますと、
>ドアを開けたらいきなり玄関(家の中です)に、母の自転車が置いてあって…。当たり前ですが玄関は自転車が置けるほど広くなく、今まで自転車が置いてあったことなんてなかったです。ものっすごいびっくりしちゃうんですよね、なんだこれ?って。すごい異様に見えるっていうか、不安にさせられるっていうか。この人は大丈夫なのか…?みたいな。
 ↑
こういう認識が自然にできるようになっていることは大きな進歩で、『強迫メガネ』みたいなものでしか事実関係を見られなかった状態は完全に脱しています。

むしろ後段に登場する『強迫心理状態の残滓』
(ほとんど後遺症みたいなもので放っておいても徐々に解消していく類のものになっているんですが→それを温存保守する構造が瓦解しているため。)
そこいら辺をトレースすると、
以下あたりの認識が「ちょっと違うかな」と思います。
 ↓
>母が無意識にそれをやっていたとは到底思えないので、
>果たして母はどこまで気づいていて、どこまで本当は狡猾で、どこまでが無意識なのか、と思います。
>たとえばこのような祖母や私との強迫ドラマを、母が本当にまったく何の疑問(あるいは違和感)もなく、無意識でやっているのだとしたら、母は私にとって巨大なモンスターになってしまいます。
>私は、幼い頃母に「私(母)を捨てたら殺すわよ」みたいな恐ろしい暗示をかけられていたとでもいうんでしょうか…。
>それとも私にはまだ自分が絶対に気づきたくないような真実があるのでしょうか??

『無意識』
これがどういうものなのかって捉え方がまだまだリアルに認識されていないですね。
「夢遊病」との対比で考えてもらえればよくわかると思うんですが(あるいは自意識が完全にショートしている認知症状態における自我の可動プロセスとか)「人はそれほど自由に動機形成というかロジカルな動きをできない」のと同時に「保守的な過去事例の反復や”投影”による仮想過去事例の反復においては自意識が抑圧されていても”さも意識的にそうしているかのように”動作可能」なんです。
専らここには高度の無意識領域を形成する『共同幻想』との関係抜きには語れないのですが、
それだけでなく、人間の脳には膨大な記憶領域があって(逆に言えば自意識はそれを完全に掌握していない)、受験などのテストがいい例ですが「覚えているのにその時意識的に思い出せない」これ普通にありますよね?
これはつまり、脳内無意識領域には膨大なファイルがあって(トラウマ現象のように関連性として自意識判断を飛び越してリンクが生き続ける場合もある)、これは投影だけでなく(事実関係の認識:類似反射など)認識にも影響与えます。

これに対する上での『自意識マター』というのは、インデックスの管理じゃないですけどOSレベルでフォルダのツリー構造やら「削除扱いフラグ」など「アドミン権限で指揮権を発動する」ようなものなんです。
しかし、共同幻想系の枠組みの中強度の強迫神経症状態の自我には「そうかんたんに自意識マターになることすら難しい」事になり(永遠の自意識共犯:無意識的ロジックを追認するだけのような状態)、主導権を持っているように見えて(感情的に騒ぐ様子などはそんな風に見えがちですが感情的とか興奮というのはどちらか言えば”反射”なので自我状態は無意識的である証明になります)

ちょっと正確性においては問題なんですが着想を生かしやすいというか、
無意識を甘く見ないために、
■映画『犬神家の一族』(市川崑の1976年版)
参考として上記映画を観てください。
(構造は全然違うんですが、私が言っている「無意識に」って表現は上記映画における高峰三枝子演じる母親の説明のつかない行動級のロジカルというか実行可能性を意図しているものです。なんというか「それはそのとおり無意識でもあり得る」のような、)

逆にいえば「それが全く無意識だからこの話は怖い」んですよ。
(違う意味で)
「なんちゃらサーガ」と呼ばれてみたり、
仏教哲学が「カルマ」なんて呼んで恐れたり、
それを知ったものが”トンデモオカルト話”と勘違いしちゃう級の代物です。
(心理学的には「それほどでも」で説明できちゃいますが、)

そうですね今回のテーマというか課題としては『犬神家の一族』観る事が一番大きいかなと思います。
(勿論TVなどでも再三再放送されているのでご覧になった事あると思いますが、それでも課題意識を持って改めて観てください。)


さて、話は戻って今後のスタンスですが、
>もう何も言えない(知らん)と思いました。
 ↑
これが正しい選択です。
以下と重ねるとわかりやすいかと、
 ↓
>>母への怒りの抑圧(=実は死ねばいいと思っている)があるんです。
>その怒りは、今でもいつでもふきだしたがっていて、場合によってはその時周りにいる人に迷惑をかけます。
>もし母が情緒不安定なんだとしたら、ますます私は母に対して憎しみを口にできない、言っても通じないことになります。※現時点で私は母に自分の思ってることを言うつもりはさらさら無いです、それを前提として。

抑えるとかそういう話じゃありません。
「狼が来るぞ」で、
「ゲッ狼が」とこれをインストール(幼児における誇大性でさらに凄い狼ってことになっている)しているから、狼話の流れで「なんてことを」とか怒ったりするワケですが、
この話は「そもそも狼などいなかった」のであり、
更に言えば言った当人は「狼なんか言ってないわよ」と全く自覚はありません。
(極端に言えば記憶にすら無い)
あり得るのは「時々今でもある”あの妙に不快で耐えられない感じ”が”その時”にもあったかもね」のようなものなんです。
それを傍目で見ているだけならまだしも、
当事者として言われる立場だった人間は「あれやこれやの大騒ぎ」となったのですが、
言うならばこの物語の全体像は、というか”落ち”は『人騒がせな奴』なんですよ、
(これが残念な事にと申しますか本当にそうなんです←だから逆に恐ろしい。)
(今回とは全く関連ありませんが)巷で昨今問題になっている「実子虐待殺人」なんてのも事の発端は『人騒がせな奴現象』なんです。
(これが大規模に拡大して同時に本人に犯罪フラグが別途あると事件性に話は拡大します。注:犯罪フラグと心理的要素は全く別の論議です。)

■つまり”はこ”さんに取るべき正しい反応なんてものがこの世にあるとすれば

「は〜〜。。。」

溜息とも落胆ともなんとも表現のできない「は〜・・・なんだそれ」以上でも以下でもない。

そして「もうねやってられないから」となり、
 ↓
>もう何も言えない(知らん)と思いました。
 ↑
これが正しい選択です。

ですから、
 ↓
>最近はこのことを意識することによって、「今のこの怒りは不当な怒りだ(この人と関係ない)」と自分を静めることが少しずつですが、できるようになりつつあります。

そうじゃなくって、「怒るところも無しかオイ。。。」なんですよ、
(勿論個人的に「ったくコノヤロー」的に怒るのは正しい反応ですが、怒るにしてもニュアンス違うのわかりますよね?)

実際得体の知れない興奮(場合によると怒りと捉えられている)の元ネタは「おっき過ぎる狼」にあるのであって、
当事者同士のなんといいますか利益関係によるものじゃありません。
話を簡素にしてしまえば「最大級の判断します。アンタとは取引停止だ、」←これが最大級なんですよ、
(既に大人になるって過程なので”はこ”さんは独立事業主なワケで)
 ↓
ですから「取引停止とした過去のお得意さん」の事を後からアレコレ言っても始まらんのです。
(勿論個人的に「ったくコノヤロー」的に怒るのは正しい反応ですが、怒るにしてもニュアンス違うのわかりますよね?)

ここで見えてきますよね?
■「取引停止だコノヤロー」がちゃんとできておらず、自分自身も(まだもって依存的に)『この世に親子関係なんてものがあるのだと今でも思っている』から(親子関係なんてものは幼児のファンタジーみたいなもんですよ→現実世界にはホントの話悪魔なんてものもいませんし)まだまだ残滓が(幽霊みたいに)時々顔出すんです。


「え、マジ、そういうことってアリ?は〜・・・なんだそれ、もうねやってられないから」
ここがまだまだ十分じゃ無いのですよ。


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