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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



838 嫉妬について 2007/11/08 14:34
私は境界例と診断され、現在はほぼ、症状は軽減しております。通院はしておりません。
私はかなり嫉妬深く、旦那が女性を見るたびに、激しい憎悪が沸いてきます。
そのために旦那と一緒にいることが苦痛で外出を楽しめません。

この嫉妬についての自己分析は
母親自身も自分の旦那に対して嫉妬深く(母親は分裂病だと思われます)私に対しても競争心(父に対して)があります。母親という役割を果たしてもらったというより、一人のライバルであったと思います。
母親は未熟で現在も少女のように父に依存しております。
私自身、6つ下の弟がいて、弟に対しての嫉妬心も抑圧していたように思います。
いい子でなくてはいけない、という観念があり、昔から母に代わり、世話をしていたと周囲からも聞き、自分も記憶はあります。
弟に対しても「よい姉」でいたい、とつよく願っています。

旦那は片親で強烈な母親依存があり、母親が第1優先で私は2番目といった感じです。(この母親は摂食障害など薬物依存があり)
母よりよい妻ではいけない、と私と母親を比べ、私が劣っていたら安心する、ようなそぶりがあります。しかし、旦那は母親が周囲より年老いており、それに対してコンプレックスがあり、綺麗な母親代わり、を求め、美人に執着し、恋焦がれるにも関わらず、自分の自信のなさから行動はおこさず、結局、自分の彼女に対しては不満ばかりある、といった恋愛を繰り返しています。

こういったことから、
「愛してくれない人に惹かれ、その人を振り向かせることに必死になる」
ことになりますが何度か繰り返しています。

母親に代わる美人を追い求める旦那に嫉妬して苦しい、状態になっています。
自分に満足できない、自信がないことが根本にあるかと思います。
その背景には母親との関係を投影しているように思いますが、
この先どう考えて見つめていけば嫉妬が軽減するのか教えてください
840 まず重要な事ですが kagewari 2007/11/09 00:50
環境そのものに無理があります。
お話伺って、冬さんには連想キーワードとして「父・母・夫・女・彼・彼女」的なものに、自我構造的に認知の偏り(感情的興奮)があるので、同状況下で正確な事実認定は厳しい(感情的興奮によって)状況で、
それは個別にに冬さん自身固有の問題でもあり、同時にその夫にも多分に強迫傾向があるんですよね。
そもそもこの(極度に強迫的な連想のある)人間関係(結婚や嫁姑)で、通例考えられる結婚や恋愛はまず人間関係における形として”現実”にはなり得ません。

「”現実”にはなり得ません」の言葉の意味をを補足解説しますが、
つまり意識的偏向で、『それがあるがままに事実関係を認知できない(実際のスケールを超える興奮)』→自我による各人の現実認知の脳内イメージが甚だしく現実から乖離する。という意味です。
言い換えれば「現実世界に実存していない」に近いものですよ、

ちょっとわかりにくい表現になっているので、経済で考えてみましょう。
「それいくら?」
「5千円です、」
「そんなもんが5千円!ありえないだろう」
「ありえるも何も値段が5千円ですよ」
「俺には売る商品ネーってか」
「品物はここにありますよ」
(渋々5千円の買い物をし)
「酷い店だよ、二度とあの店とは取引できない」
取引になってないですよね?
取引は実存していないんです、
商取引って現実でもない。
そこにあったのは、「感情的に興奮させられる”ネタ”」です。

一番わかりにくいのは、
>旦那は片親で強烈な母親依存があり、母親が第1優先で私は2番目といった感じです。(この母親は摂食障害など薬物依存があり)
>母よりよい妻ではいけない、と私と母親を比べ、私が劣っていたら安心する、ようなそぶりがあります。しかし、旦那は母親が周囲より年老いており、それに対してコンプレックスがあり、綺麗な母親代わり、を求め、美人に執着し、恋焦がれるにも関わらず、自分の自信のなさから行動はおこさず、>結局、自分の彼女に対しては不満ばかりある、といった恋愛を繰り返しています。
>母親に代わる美人を追い求める旦那に嫉妬して苦しい、状態になっています。
>自分に満足できない、自信がないことが根本にあるかと思います。

何故この人物と”結婚”したのですか?

たとえばですよ、
彼の個人的事情はこの際別として、
彼が有名なサッカー選手で、冬さんが彼の絶大なファンで何かのきっかけで彼と同棲する事になったとしましょう。
この場合、特別に結婚の形である必然性はどこにもありませんよね?
その彼がサッカー日本代表の中田選手だとしましょう。
彼の言葉ですが
「結婚って意味がよくわからないし、制度としてもその必要性があるとは思えない」
当然中田選手とは結婚しません、
こうなると、「夫が」という理由をトリガーにする(冬さんの背景には「母親自身も自分の旦那に対して嫉妬深く(母親は分裂病だと思われます)私に対しても・・・」な感情的になるリスクがあるのですから)興奮レベルは幾分でも低い筈なんです。

極端に言えば、感情的な興奮や自分自身の自我の問題に一定の解決があるまで「結婚とかは考えないでおこう」(そもそも晩婚化や非婚等昨今の世の中では特別結婚は重要視されていませんし、中田選手じゃないですが結婚しなければいけない必然性はどこにも存在しません。あくまで個人の自己責任による選択です。)、であってもおかしくないですし、

今回の場合も、「これは疲れるから離婚しよう」と考えても全然アリですよ?
お話のどこを読んでも「夫が彼でなければならない理由」と「結婚を選択し続けなければならない理由」が語られていないんですよ。
私、読み取る事もできませんした、
『この夫と、この結婚環境』これがパッケージのように公然の常識であるかのような流れになっています。
ここの個所も
 ↓
>この先どう考えて見つめていけば嫉妬が軽減するのか教えてください
「この砂漠という環境でどうやって水を確保したらいいのか教えてください」
に近い文章になっています。
前提条件が固定的に過ぎます。
本来その前提となる環境に「どうしたらいいだろうか?こうなっあらこうなるがその時は?」のような方向に優先的に考えが及ぶ方が自然なのです。
■そして、その理由(彼を選んだ理由や結婚を選択した理由)の中に「嫉妬」に纏わる”鍵”が隠れている筈です。
841 Re:まず重要な事ですが 2007/11/09 14:11
自分でも驚くほど核心をつくお返事で・・・・
なんとなくそうかな、と思っていたところはありますが、
はっきり直視したような気分です。
ふわふわしているような・・・これなのかな?と気付こうとしていますが、周りの淵がぼやけているような感じです。


> お話伺って、冬さんには連想キーワードとして「父・母・夫・女・彼・彼女」的なものに、自我構造的に認知の偏り(感情的興奮)があるので、同状況下で正確な事実認定は厳しい(感情的興奮によって)状況で、
> それは個別にに冬さん自身固有の問題でもあり、同時にその夫にも多分に強迫傾向があるんですよね。
> そもそもこの(極度に強迫的な連想のある)人間関係(結婚や嫁姑)で、通例考えられる結婚や恋愛はまず人間関係における形として”現実”にはなり得ません。

すいません、はっきりとはわからないですが、
「父、母とはこうでなければならない」という断定的に決め付けていて
もっと曖昧なものであるのに、「本当は、普通は、こうである」と思い込んでいる(理想をあてはめている)ということのように考えました。

> 何故この人物と”結婚”したのですか?

この部分が私には核心をつくところに思います。

元々彼から「結婚を前提に」という強い彼の言葉で付き合いだした仲で(今思えば私が仕向けていた気がします)付き合って間も無く子供を授かり、その「今すぐにでも結婚したい」という言葉は本心ではないことに直面し、かなり理想化していて(彼自身も自分を理想化していた)彼の現実の姿に徐々に直面するに従って失望と喪失を繰り返し、私自身、妄想(思い込み)と現実の間をしばらくさまよっていたように思います。

本当は私を愛しているはず→夫となる人は私を愛していなければならない→愛してくれないと幸せになれない(一般的に)、と思い込みがありました。
とにかく現実を直視したくない、認めたくない、というのはありました。

Kageさんに指摘されて気付いたのは
「私は親から自立できるのなら(実際はできていないのですが)結婚という形で経済的にも精神的にも開放されたい」
「とにかく親から離れればいい、世間体にも結婚というかたちに納まればよい」
「結婚できるなら誰でもいい」
「結婚=世間的によいことで認められている」
「結婚すれば親から良い娘と認められる」
「親と一緒に暮らすのは耐え難いから経済的に依存できる相手がほしい」
という偏りがあり、実際、自分の「子供のままで甘えたい」という問題であるあらゆる事を旦那の責任にして自分を正当化したい、という自意識が隠れていたと思います。
私の今までの人生はいわゆる「全て他人のせいにしたい」が占めていたと思います。(これはうすうす気付いてはいました)

「結婚」そのものの状況に意義があり、本来は「結婚できた」だけでも感謝すべき状態であるのに、
まさか「結婚」に強い思念があるとは思っていなかったです。

もうひとつ気付いたのは
「自分で自活する能力がない」
「自活できるわけがない」
「自活したくない」
「依存したい、子供のように無条件にかくまってほしい」という思念があり、
また、「お前には社会生活できないだろう」という父親の言葉を理由に「父が言ったから」と自分で働くことを止めていたということも気付きました。

都合よく甘えられる環境が「結婚」であり、
「仕事をしたくない」「お金を稼がずに生きて生きたい」という
未熟な考えが潜んでいたと思います。

母は祖母に「不憫な娘を早く嫁に出したい」と思われていたこともあり、お見合いを繰り返しやっと父に出会えたこともあり、父に対して下僕のように従っており、(これはまさしく子供のように依存したいという私の思念のヴェールを外した本能のような)
「こんな母親や愛されていない結婚は嫌だ」と思っていながら、同じような人(父も早くに祖父を亡くし母子家庭です)を選び、「これじゃいけない!」と反発しながらも「結婚がなくなり親の元に帰るのは耐え難い」という葛藤があったと思います。
この反発しながらも「同じような人を選択した」のは「自分が劣っている」という信念を証明してもらえ、劣っている自分に責任をとって無条件にかくまってほしい、といった意識なんでしょうか。

でしたらば、「自分は劣ったままでいれば、他人に責任をとってもらえる。」
「苦労せず楽して生きて行ける」「劣っていなければ楽して依存して生きていけない」「子供のままで劣っていることが快」ことになるような気がします。
ですから夫に「怒鳴られる」ことが快なような気がします。

夫に嫉妬をする=自分以外の子供をかくまうことをゆるさない=生存競争に勝たねばならない   ということになるような・・・・


> 今回の場合も、「これは疲れるから離婚しよう」と考えても全然アリですよ?

実際に考えました。
旦那に病的な義母に対して、この義母に逆らうことは「結婚生活の破談」につながると思い、がむしゃらに尽くしていまして私の娘(妊娠中も振り回されていました)にまで被害が及ぶようなら義母に逆らおうと(=離婚を意味すると思っていました。実際義母から「やっていけないわ」と脅し文句は言われていました)
そこから旦那を変えようと必死になりました。
つまり、義母と離れなければ離婚という選択を迫った=邪魔者(義母)を排除したい=結婚を邪魔する恐れを無くしたい=破談になるような女性(嫉妬の対象)を無くしたい、と考えたように思います。と同時に
「早く見切りをつけて次の対象者を探したい」ということも考えました。


> 『この夫と、この結婚環境』これがパッケージのように公然の常識であるかのような流れになっています。

まさしくその通りです。


> 本来その前提となる環境に「どうしたらいいだろうか?こうなっあらこうなるがその時は?」のような方向に優先的に考えが及ぶ方が自然なのです。
> ■そして、その理由(彼を選んだ理由や結婚を選択した理由)の中に「嫉妬」に纏わる”鍵”が隠れている筈です。

自分自身に直面した気分です

今の状態(旦那の義母と私や娘は絶縁状態)であり、すこぶる幸せでありますが、「失う不安」が強く、我儘な自我がでてきているのかな、と思います。
844 補足しますね kagewari 2007/11/11 16:05
>周りの淵がぼやけているような感じです。
>はっきりとはわからないですが、

最初に伺った昔の家族時代のお話で、十分に家族的意識の強迫がある事は明白です、
家族的強迫があるという事は、家族的属性=言葉で言えば「夫、妻、子供、姑、兄弟、姉妹」等の家族階級呼称が関わる人間関係に強迫的なロジックが介在して感情的興奮(自意識を抑圧するための処罰的道徳意識)を伴ってしまうために、現実に発生している現象に見合った認識を保てないのです。

>旦那が女性を見るたびに、激しい憎悪が沸いてきます。
 ↑
これが
 ↓
脳内の現実認知では「自分の無意識領域の”あるべき世界(後述します)”の破壊」と同格となっている。

このような過剰な認知(主に自分が被害者になる前提がキーとなる過剰な現実のデフォルメ)は、家族的属性全てのキーワードで連想すると考えておいて大きく外れる事は無いでしょう。
つまり
 ↓
>今の状態(旦那の義母と私や娘は絶縁状態)であり、すこぶる幸せであります

同一視されている”娘”は、”=私”なのでカウント外、
問題が起きている家族属性呼称は「夫(父親)」だけです。

今起きているのは、
>「とにかく親から離れればいい、世間体にも結婚というかたちに納まればよい」
>「結婚できるなら誰でもいい」
>「結婚=世間的によいことで認められている」
>「結婚すれば親から良い娘と認められる」
>「自活したくない」
>「依存したい、子供のように無条件にかくまってほしい」

つまり自分の無意識に隠れている、家族の強迫構造の内向的な小世界(深層心理における現実から乖離した現実)は、当然その当時の現実(昔所属していた家族)の現実からも乖離しストレスなので、それ(デフォルメされた幻想)を「現実の形になぞらえよう」という意図が『私の結婚』であり、これは全て私の設計による空想(強迫的理想)の実現でなければならず、『現実ではあってはいけない』のです。
一見矛盾するようですが、矛盾しているから強迫なんですよね。
こんな台詞がありますね
「夢の実現」
ここまでのお話読んでいたあだければ、この言葉の持っている妙な意味合いに気が付いてもらえると思います。
「実現したら現実」ですよね、それはもう夢じゃない
つまり夢の実現とは夢の終わりを意味するので、未来永劫実現する夢など無いのです。
本来的な意味は「夢ぐらい(到底実現しないだろうと身の程を知る的謙虚さで)に考えているが実はリアルな目標の実現」があるだけです。
「夢でしかないと思っていた」のは嘘で「本心ではその可能性があるとリアルに信じている」
本音はやはり「リアルにその可能性に賭けている”目標”だから実現する」夢という表現は照れ隠しの意味である場合もあります。
しかし、「夢の実現」という言葉は広く好んで使われます。
一種のパラドックスなんですが、そういった矛盾をロジックとして自我が取り込み保有し得る証明のひとつです。
その言葉に本当に”そのままの意味”で足元をすくわれるリスクだってあるんです、

>とにかく現実を直視したくない、認めたくない、
おそらくここでいう「現実」は→自立して生きる自分でしょう。
無力で劣っているテーマに成功すれば、相対的に相手は誰でも「夫は飛びぬけた権威者」になるんですから。
同時に劣っている自分には保護される権利が発生します。

話は戻りますが、この”企画(夢想)家族”の最大のボトルネックは「現実(本物)の夫がいること」です。
彼が現実世界に実存する事を実感するのが、他者との関係であり(自分だけのと関係であれば内向的世界は壊れない)、「他人の女を見ただけ」で十分破壊力があるのだとなります。
極論以前所属していた家族の世界の中で、その強迫により自意識は抑圧と言う形で強烈なストレスにあったのであって、

その本音は「家族はもうこりごり」なんですよ。
抑圧されている自意識の本音は、「とっとと独立し、自立する大人になりたい」です。
ところが、そんな”自意識”の本音を抑圧しているものは「自分を子供のように無条件にかくまってくれる象徴化された(現実には存在しない)家族」です。→「今の家族には不都合があるから、結婚によって乗り換えたい」
この象徴化された雛型には、無理のある両親を誇大に正当化した結果(この権威性が自意識を抑圧する根拠となります)、誇大に正当化された両親の子供(私)は、それはそれはとても恵まれた身分と待遇を受けるだろう、そしてそれが”あるべき姿”となる。
>父に対して下僕のように従っており
ここで母親を正当化しようとすると、相対的に「父親はとんでもない権威の体現者」でなければなりません。
>「お前には社会生活できないだろう」という父親の言葉を理由に「父が言ったから」と自分で働くことを止めていた

ここには二重性があります。
>母は祖母に「不憫な娘を早く嫁に出したい」と思われていた
 ↓
その母親(祖母)を正当化するためには、できそこないの女でなければならず
 ↑
>父に対して下僕のように従って
彼女は自分を「不憫な娘」と呼ぶ母親を正当化した。

その母親の強迫的行動を(現実の姿は「その家族の在り方の首謀者は母親」であり父親はスカウティングされている→その裏にいるのが祖母)
 ↓
>「こんな母親や愛されていない結婚は嫌だ」
とすっかり誤解し、
(ここの不快認知の背後には、自分が劣っている事を証明する必要すら無い権威者との間の結婚への夢が隠れているのでしょう)

と考えると、母親世代の裏側も見えてきます。
そもそも
「お見合いを繰り返しやっと父に出会えた」→「単に押し付けられた」
「父に対して下僕のように従って」→「母親(祖母)の正当化のため強迫的に従った」
父親を愛していないのは母親であり、母親の強迫構造を保守した結果守られたのは「自分の子供を不憫な娘と呼ぶ母親(祖母)の正当性」です。
抑圧されていたのは不憫等と蔑まれた彼女(母親)の尊厳(自意識)でしょう。
自立性を抑圧する事は「幼児性」と同義ですし、母親(祖母)を意識し続ければ自分の属性は子供であり時制がズレます。

>「自分が劣っている」という信念を証明してもらえ
 ↑
『不憫な娘』の証明
そのご褒美が「母親は未熟で現在も少女のように父に依存しております。」
 ↓
>この義母に逆らうことは「結婚生活の破談」につながると思い、がむしゃらに尽くしていまして
母親の強迫との相似

しかし、この夢想の最大のボトルネックは「現実」です。
そもそも人間は平等なので自分が劣っているとか、その延長で保護してらえる権利がある等という発想はナンセンスですっかり現実から乖離しているのですから、他人がこの空間に介在(夫がよその女性を視界に入れる)するだけで(そもそもナンセンスなので)この空想は容易に破綻するのであって、
同様に今回の家族の首謀者も母親(冬さん)です。
 ↓
>元々彼から「結婚を前提に」という強い彼の言葉で付き合いだした
(スカウティング)
彼に強圧的な母親が存在する事は、彼の象徴的権威性の裏付け(正当性)になっているかも知れません。

つまり結婚というのは、その強迫を実現する夢想のための「道具」なんであって、必然の要素でもある。
本来「お金を稼がずに生きて生きたい」等という人はいません(福祉等で保護が必要なのは別ですが、これも事実上権利として自らの力で手に入れた収入である事は同格です)。何故なら「リスクが高すぎますから」
「無一文の世界旅行に挑戦」するようなものです。
よっぽど自分で稼ぐより大変ですし、度胸や力量優れた能力を必要とします(挑戦なんですからね)。
或いはお金が全てスポンサー頼みなら「所謂ひも付き」なんですから、自由にお金を使う喜び自体を感じる事もできません。「かっぱらっても自分の稼ぎでお金が欲しい(原始時代なら食料を確保したい)」と考えるのは普遍的原則でしょう。
「結婚という形のビジネス(収入源を確保する)」も確かに結婚詐欺として存在しますが、このケースも詐欺の力量はやはり自分で稼いだという実感として残るのですし、動機は「お金を稼ぎたい(原始時代なら食料を確保したい)」です。生存権に関わる事ですから、

「お金を稼がずに生きて生きたい」という言葉に集約されているのは
>「自分が劣っている」という信念
稼いでしまえば、「劣っている」という純度が低下しますからね。

そもそも言葉としてもおかしいですよね、
■「自分が劣っている」という信念
信念ならばそれは外交性ポジティヴの形である筈で、その目的が「自分が劣っている」なんですから。
答えは簡単です「自分が劣っている」事の証明がポジティブな目標なんですよ(本来劣っている等在り得ないので)、
そうでなければならない→「いい子でなくてはいけない」=「自分が劣っていなければならない」
誰のために?

ここは「劣るポーズにより父親に依存する母親と、調子にのって母親を下僕のように従わせる抜けた父親」という夫婦関係(両親の権威)そのものを守る(正当化)ためなんじゃないでしょうか。
それが、
>母親という役割を果たしてもらったというより、、
の「在るべき母親の役割」のように認識されている。
「母親の役割」
なんかおかしいですよね。
「母親の責任」ならわかりますが、”役割”なんですよ。
逆から見れば役割を果たす事が期待されている
一体どんな役割なんでしょう?
理想の家族(自分を特別扱いし擁護する環境)のための機能(脇役)としてなのか?

ですから(自分が劣っている等100%本音じゃ思っていやしないので)、
>あらゆる事を旦那の責任にして自分を正当化したい、という自意識
■これは違うと思います。
「あらゆる事を旦那の権限と見なして、それに従う事で自分が劣っている事を正当化したいという無意識」でしょう。
自分が劣っている等思っていないので、『正当化する必要性がある』
旦那に叱られる事は、快感でもあるが同時に不快(叱られる快感は虚偽なので)でもある。

ですから
>今の状態、すこぶる幸せであります
これは非常に危険ですね、
冬さんにではなく、『お嬢さんに』です。
今彼女が擬似的に見ている世界は「あらゆる事を旦那の権限と見なして、それに従う事で自分が劣っている事を正当化したいという無意識」の夢です。彼女にとってそれは(現実から乖離した)現実の雛型になる。
強迫は再生産され、デフォルメの過程を二重に踏む事で食物連鎖のように強迫は拡大します。

先ず間違い無く、彼女がちょっと女らしく見え始めれば
>私自身、6つ下の弟がいて、弟に対しての嫉妬心も抑圧していた
同様、彼女は現在の冬さんの嫉妬の悩みのテーマでもある「他人の女」として頭角を現します。
>母親自身も自分の旦那に対して嫉妬深く私に対しても競争心があります。
再生産です。

さて、長い話になっていますが、話はかなり複雑で、
グラフィック関係の用語の”レイヤー”ってご存知ですか?
セル画じゃないですが、何枚ものDATAを重ねてひとつの絵にするものです。
どうにも何パターンかの強迫が、複数のレイヤーのように重なりあっていて、
一連のストーリーとして、どうも繋がらない部分がある。
断層というか、
ちょっとおかしな言葉で恐縮ですが、「ひとつひとつの強迫の間に”けじめ”のような境目があって、分断されている」ような感じです。
これは、冬さんの母親の態度の曖昧さや一貫性の無さが強迫構造を薄く幾重にも重ねるような形に形成してしまった結果なのかもしれません。

ともかく、冬さんにおける強迫構造の認知とお嬢さんの現実世界の回復は「同一線上」にありますから、
現在置かれている認知の偏向については、可能であればお嬢さんにもオープンにする形で考えていく事を薦めます。ぶっちゃけ情報公開して相談する形でそのまま語りかけてもいいのじゃないでしょうか、
今いきなり「離婚すべきだ」というのは動きとして甚だ過激過ぎる部分ありますから、ひとまず現在の結婚は脇へ置いて、構造全体を俯瞰で見る思考が必要に思います。
強迫構造の開放を確認するバロメーターは「劣ってなければならない」や「自ら自立する欲求が無い」等の矛盾するロジックの変化によってとなるでしょう。
846 Re:補足しますね 2007/11/12 14:43
初めは「わからない」感覚でしたが、だんだんはっきりとした輪郭が見えてきました。

> >旦那が女性を見るたびに、激しい憎悪が沸いてきます。
>  ↑
> これが
>  ↓
> 脳内の現実認知では「自分の無意識領域の”あるべき世界(後述します)”の破壊」と同格となっている。

つまり、「私、そこに(思い込んでいる現実)いなきゃいけないのよ!邪魔しないで」と意識に訴えるために、嫌悪、拒絶がおこるのかと。(曖昧です)


> 本来的な意味は「夢ぐらい(到底実現しないだろうと身の程を知る的謙虚さで)に考えているが実はリアルな目標の実現」があるだけです。
> 「夢でしかないと思っていた」のは嘘で「本心ではその可能性があるとリアルに信じている」

無意識はそれを叶えようと必死になっている、といったことととります。

> とにかく現実を直視したくない、認めたくない、
> おそらくここでいう「現実」は→自立して生きる自分でしょう。

驚いています。私、自立したいんですね〜
自立やればできるんだと思います。(実際前から思っていました)
それに言い訳に言い訳を重ねていることになりますね。

でもまだなにかもやのような違和感があります。
脳が反発して認めたくないのでしょうか・・・・。

> 話は戻りますが、この”企画(夢想)家族”の最大のボトルネックは「現実(本物)の夫がいること」です。
> 彼が現実世界に実存する事を実感するのが、他者との関係であり(自分だけのと関係であれば内向的世界は壊れない)、「他人の女を見ただけ」で十分破壊力があるのだとなります。

「ああ、この人の妻なんだ・・」と実感させられる苦痛。
本当はこの人の妻でいたくない。
自分の世界に浸りたい。ということですね。

> 極論以前所属していた家族の世界の中で、その強迫により自意識は抑圧と言う形で強烈なストレスにあったのであって、
> その本音は「家族はもうこりごり」なんですよ。
> 抑圧されている自意識の本音は、「とっとと独立し、自立する大人になりたい」です。

これこそ、「呆然」といったところです。。。

「家族はこりごり」少し違和感があります。
本当にそう思っているのか、と反発している気がします。

「家族をもちたい」というこの「家族」は「夢の家族」であって現実にはない「家族」なので、ないものを求めようとする「強迫」がある、といったところですね。
つまりないものを探す。本当はほしくない。
「家族をもちたくない」という反道徳的意識を
なんとか道徳的意識に変えて、(実は叶わないようにしたい)実現しようとしている、ということでしょうか。

> 誇大に正当化された両親の子供(私)は、それはそれはとても恵まれた身分と待遇を受けるだろう、そしてそれが”あるべき姿”となる。
> ここで母親を正当化しようとすると、相対的に「父親はとんでもない権威の体現者」でなければなりません。
> その母親の強迫的行動を(現実の姿は「その家族の在り方の首謀者は母親」であり父親はスカウティングされている→その裏にいるのが祖母)

うすうすは勘付いておりました。
私の人生は母親の思うとおりにきたと思います。
実際、母親が強迫観念になっていると思います。

> と考えると、母親世代の裏側も見えてきます。
> >「自分が劣っている」という信念を証明してもらえ
>  ↑
> 『不憫な娘』の証明
> そのご褒美が「母親は未熟で現在も少女のように父に依存しております。」
>  ↓
> >この義母に逆らうことは「結婚生活の破談」につながると思い、がむしゃらに尽くしていまして
> 母親の強迫との相似

その通りです。
祖母と過ごす機会がありまして実際この祖母と母親の関係性を直視することがありました。
この直視が私自身、「違和感」を感じるきっかけとなりました
「なんとかしなければ!」と強迫的に感じました。(何か隠れている気がします。)

そのとき感じたのは
「母は祖母の前だとできない子供を演じなければならない」
「母は祖母の前だと結婚して幸せである、と思われてはならない(父とうまくいってないと思われたい)」
「父の悪口を言って安心させている」
「私がいるのに母は私の母親ではいけない、祖母の子供でいなければならない」(私は母親でいてほしかった)
「祖母は威圧的である。母は反抗したことが数回しかない。(一回もないかもしれません)」「母のこと(身なりなど)をとにかく注意する」
「私は祖母が立派であると思っていたが、祖母は威圧的で権力者のように感じた」
「祖父は分裂病で母は祖父が嫌いである(祖母に嫌われたくないために嫌っていたと思う)」
「祖母が祖父と結婚した理由わからなかったが、祖父があまりに駄目な人間であったからだと思う。」(祖母は自分が被害者でいたかったから)

とこの母子関係の異常さを感じました。
「よく私は気付いたな、よかった」という安心感もあります。
同時に「よく生きてこられた」とも感じます。

> しかし、この夢想の最大のボトルネックは「現実」です。
> そもそも人間は平等なので自分が劣っているとか、その延長で保護してらえる権利がある等という発想はナンセンスですっかり現実から乖離しているのですから、他人がこの空間に介在(夫がよその女性を視界に入れる)するだけで(そもそもナンセンスなので)この空想は容易に破綻するのであって、
> 同様に今回の家族の首謀者も母親(冬さん)です。
> つまり結婚というのは、その強迫を実現する夢想のための「道具」なんであって、必然の要素でもある。

私が旦那をスカウトしたわけですね。
自分が加害者でした。加害者でいたくなかったのですね。

> 答えは簡単です「自分が劣っている」事の証明がポジティブな目標なんですよ(本来劣っている等在り得ないので)、
> ここは「劣るポーズにより父親に依存する母親と、調子にのって母親を下僕のように従わせる抜けた父親」という夫婦関係(両親の権威)そのものを守る(正当化)ためなんじゃないでしょうか。
> ですから(自分が劣っている等100%本音じゃ思っていやしないので)、
> 自分が劣っている等思っていないので、『正当化する必要性がある』

はっとします。
自分が自意識過剰で「自分は特別だ」と思っていて
それを表には出せない(恥ですから)何かしら特別に見てもらいたい、と思っていて
それを自発的に外に向けられず、「被害者」という形をとって注目してもらいたい。「悲劇のヒロイン」でいたい。ということですね。
母に「自分を見てほしい」、という欲求があったのでしょう。

自己表現をする場所=被害者であり、それで快感を得ていたのですね。
びっくりです。。。。。

> これは非常に危険ですね、
> 冬さんにではなく、『お嬢さんに』です。
> 今彼女が擬似的に見ている世界は「あらゆる事を旦那の権限と見なして、それに従う事で自分が劣っている事を正当化したいという無意識」の夢です。彼女にとってそれは(現実から乖離した)現実の雛型になる。
> 強迫は再生産され、デフォルメの過程を二重に踏む事で食物連鎖のように強迫は拡大します。

これは祖母と母を見ていて思いました。

> 先ず間違い無く、彼女がちょっと女らしく見え始めれば
> >私自身、6つ下の弟がいて、弟に対しての嫉妬心も抑圧していた
> 同様、彼女は現在の冬さんの嫉妬の悩みのテーマでもある「他人の女」として頭角を現します。
> >母親自身も自分の旦那に対して嫉妬深く私に対しても競争心があります。
> 再生産です。

納得です。娘が幼い今でも感じます。


> これは、冬さんの母親の態度の曖昧さや一貫性の無さが強迫構造を薄く幾重にも重ねるような形に形成してしまった結果なのかもしれません。
> ともかく、冬さんにおける強迫構造の認知とお嬢さんの現実世界の回復は「同一線上」にありますから、
> 現在置かれている認知の偏向については、可能であればお嬢さんにもオープンにする形で考えていく事を薦めます。ぶっちゃけ情報公開して相談する形でそのまま語りかけてもいいのじゃないでしょうか、

レイヤーはわかりやすい例です。
娘は幼く、乳幼児です。
どう育てていくかが一番課題でありまして、自分でも本を何冊も読み、できるだけ改善して(連鎖を断ちたい)いきたいと努力しております。
現在、かわいい、心から愛しい、と思っておりますが同時に「申し訳ない」という気持ちがこみあげております。
「ごめんなさい」と気が付けば言っています。気付いて「ありがとう」と言っています。このアンバランスな感情が再燃なのでしょうか。

「産んでごめんなさい、被害にあってしまってごめんね」
と感じ、
「生まれてきてくれてありがとう、あなたのおかげで気付けたよ」
「今まで生きていてよかった」「愛されるって気持ちいい」「自分が好きだ」と自分の自信が回復しているのも感じます。

「私っていい母親だな」と最近は思ったりします。

> 今いきなり「離婚すべきだ」というのは動きとして甚だ過激過ぎる部分ありますから、ひとまず現在の結婚は脇へ置いて、構造全体を俯瞰で見る思考が必要に思います。
> 強迫構造の開放を確認するバロメーターは「劣ってなければならない」や「自ら自立する欲求が無い」等の矛盾するロジックの変化によってとなるでしょう。


多分自分は「自分で自分を好き」なんです。
でも「好いてはいけない」と教えられ、「劣っていたら生きていける」「注目される」と教わったのかのしれません。
徐々に自分を好きになりかけているきがします。
847 Re:補足しますね 2007/11/12 15:34
いま、気付きました。。。

「自分を大事に優先的に考えたい」です
「自分を大事に自分の為に生きて生きたい」です。

自分を大事にできない状況になると嫌悪感がでてきます。
850 何か構造に符合しない”隙間”があります。 kagewari 2007/11/14 09:39
若干読み違え的な部分もあるんですが、そこは瑣末な事なのであえて説明の必要無いと思います。
ポイントになるところは、
「軽さのようなもの」です、
ここは前回も触れいるところなんですが、やはり最も重要な部分に思います。
強迫構造が幾重にもなっている(一枚一枚は軽い)ところが、そうさせているのかもしれませんが、話のテーマとして語られる雰囲気というか、
流れが

そもそも「どこか軽い」
各個に断裂していて、局面局面で次に干渉しないような隙間があるようです。

薄く容易に形を変える防衛ラインのようになっていて、局面では真剣に考えた事でもその場その場(各個撃破的というか局地戦的というか)の現場対応の中で「右や左に流れている」感じがします。
”認識”と”知識”の開きのような、というか、
トータルで深部に関わりが無いように(保守)幾重にもラインがあるようです。
言い換えるなら、「軽くなるように何点か強迫の分断ラインができている」んです。
私は、前回最初書き込まれた相談内容の全体像の拡散性を意図して、かなり長文でレスをしました。
これはその全てに認識の整理を行う事で、ひとつの方向性に修練される(共通するキーワードへ転じる)必要性を感じたからです。
しかしその返信を読んで「これは’レイヤー構造”的な分散化傾向そのもに意味がある」と考えて間違い無いでしょう。

ここは「修練されていく方向」というパターンの構造じゃないですね。
論点を明確化するためにはむしろ『選択的に絞る』方が適切です。
ここ一点に
 ↓
>「私っていい母親だな」と最近は思ったりします。
>徐々に自分を好きになりかけているきがします。
>「自分を大事に優先的に考えたい」です「自分を大事に自分の為に生きて生きたい」です。
>自分を大事にできない状況になると嫌悪感がでてきます。
 ↑
これは全て同じ意味です。

そこに語られる内容は”特権階級意識(特別に大事にされるべきだ的な)”ですね。
主体的に生きるという事は(大事なのは公然の事実なので与件)『いかに当事者意識や自己責任を肯定的(ポジティブ)に認識できるのか』にかかってきますが、『夢想的環境を保守しこれの継続のために手を尽くす事』が『大事にする』って言葉を意味しているんだと思います。
「好きになりかけている」の言葉の意味は「今の状態、すこぶる幸せであります」が満足度(むしろその妄想の実現が問題)として認知されている事の証明で、
前回も触れていますが「劣っている」という言葉の論理矛盾は(前回説明しましたが「劣っている」という言葉の意味がポジティブになっている点)”特別”に近いキーワードだからこそポジティブな意味に成りえるんでしょう。

本来強迫が一貫性のある流れがあるなら「こんなに頑張っている」だとか「自分だけがこういう」等の”特別扱いされるための有資格”がもっと明快なんですが、そこで「劣っている」という言葉が選ばれる。
ここに”隙間”があるんです。ですから、劣っているという言葉が選ばれている事に力点を置くと余計に振り回されてしまいます。

「自分は特別扱いされるべきだ」→「それができない状況になると不快感が出てきます(嫉妬)」
「すこぶる幸せな状態」→「自分を好きになります(満足)」
■一番やっかいなのは、強迫的妄想の実現に「形の上では結婚という装置を利用してほぼ成功している」事でしょう。
これは同時進行でレスが続いているnakaさんへの返信に書きましたが、激しい不快な症状や強い不安感は確かにそれ自体が問題に見えますが、実体は強迫構造のストレスに抵抗する自意識が発現しているからこそ起きるもので、その自意識には強迫の実体を認識する事はできませんが、不快なストレスとしてこれを意識する事はできる。
しかし、形の上で一時的に強迫的妄想の実現に成功すると(あくまで一時的なもので必ず破綻します)その間は問題の本質を自意識が感覚として容易に捕めない。察知できてもその『印象が軽い』んです。


前回のレスから拾うなら、
>私が旦那をスカウトしたわけですね。自分が加害者でした。加害者でいたくなかったのですね。
彼を巻き込んだ事への、心情(共依存的話なので謝罪や罪の意識はどうかと思いますが)、
彼に対する心情が全く語られませんね。
それがあれば、”夫婦という立場を離れて”率直に彼と話し合うって考えもその延長に浮かぶ筈です。
>娘は幼く、乳幼児です。どう育てていくかが一番課題でありまして、自分でも本を何冊も読み、
私は今の問題のある結婚の構造そのものが環境としてお嬢さんを強迫的な傾向に追い込む確立が非常に高いという話で、これは冬さんご夫婦の問題であり、厳しいようですが「どう育てていくか」ってレベルじゃありませんよ。
親は無くても子は育ちます(如何に強迫的な家族意識の環境から子供を守れるかであって)、
お嬢さんに謝ったりする必要はありません。彼女は勝手に「あなたの子供として生まれてきた」のですからね。
ここへの対処としては、先ず自分自身の心情を彼女に対してもオープンにして、問題を直視し、お子さんを「他人の独立した人格」としてその独立する個人の部分を尊重できるのか、という事です。どうやって共依存関係の中に巻き込まないようにするか(変な”役割”を与えない)なんです。
自分の問題の解決こそ子育てにおける最も重要な部分であるのは確かなのですから。

ご主人と真剣に語り、自分自身の生き方なるものを見つめ、お嬢さんが言葉を話すようになれば「ここはちょっと普通のお家とは違うかも知れないね、でも大丈夫あなたも立派なひとりの人間だから。私は親じゃないかも知れないけれど個人としてね、ひとりの女とてあなたにできる事はしてあげたいと思う。だから話したい事があったら何でも話して欲しい」のような会話ができるだろうかって話しです。
確かにその時に、ご主人とこれまでとは全く別の関係が構築できればいいですが、
そうでなければ長期的は今の婚姻関係は何らかの形で見直すべきでしょう。

現在の問題に対して、俯瞰で見て認識を明快にしていくには、
「今の状態には偶然や無理を強いる事によって擬似的に強迫的妄想の実現になっている部分があり、これ(一部強迫構造が満足している)が不快感の一貫性の無さの正体であって、強迫構造がレイヤードに見える原因に思います。
その隙間を見てしまうととどうしても認識が軽くなってしまいます。ここには十分注意してください。

この立ち位置から自分自身を見つめれば、一番最初の相談「嫉妬」というレベルの問題は、その結果としての現象に過ぎない事も認識されてくる筈です。


最後に個別的な部分のレスとして一点のみ説明します。
>「愛されるって気持ちいい」
この掲示板では再三『被(こうむる)』といいう言葉で、受動系表現の内向性や強迫性に触れて説明してきました。
特に女性解放や社会進出はまだ完全とは言えません。その結果以前の封建主義的性差別の影響で、普遍的とも言える強迫が女性一般にかかっているのは確かで(随分と改善していると思いますが)、今もって「愛”される”」という言葉が頻繁に使われます。本来はこの「愛される」は以前の封建社会下で明快に身分が低かった女性の立場から来ている発想で(寵愛を受ける)、人間関係が平等であれば一種の差別表現なんです。
「自分から愛するって事があっても、愛されるって現象は存在しません」
「愛される」って言葉が表現しているのもは、「(愛するを動機に)自分には何ができるか」を発端に行われる自発的自立的行動の確認(自信)であり、その認識の共有(信頼)の結果、個人的に感じる感情でつまり”主観”ですが、本来これは言葉になりません。
社会的は「彼は仲間に愛されているね〜」等ありますが、これは「人気者」って意味ですからね。
問われるのは、自分の意志で何がしたいかで、何をされるかって事ではないのです。
855 Re:何か構造に符合しない”隙間”があります。 2007/11/15 14:30
> 主体的に生きるという事は(大事なのは公然の事実なので与件)『いかに当事者意識や自己責任を肯定的(ポジティブ)に認識できるのか』にかかってきますが、『夢想的環境を保守しこれの継続のために手を尽くす事』が『大事にする』って言葉を意味しているんだと思います。

この夢想的環境というのは「自立できないことを正当化する環境ですね。」

> 本来強迫が一貫性のある流れがあるなら「こんなに頑張っている」だとか「自分だけがこういう」等の”特別扱いされるための有資格”がもっと明快なんですが、そこで「劣っている」という言葉が選ばれる。
> ここに”隙間”があるんです。ですから、劣っているという言葉が選ばれている事に力点を置くと余計に振り回されてしまいます。

じっくり考えました。
苦しくなって頭が強い拒絶反応がおこり、脳が疲労するような頭痛、
きっと抑圧してきたものを、自意識がでないように、脳が抵抗するために戦っているような感じです。

そうやって考えていくうちに
「女であることの劣等感」に出会い、まさしく「男になりたい」と思った感覚が起こってきました。
「あ、そうだった!」と記憶が再現し、これで一時、すきっとした感覚になり
ましたが、これだけではない気がします。

> ■一番やっかいなのは、強迫的妄想の実現に「形の上では結婚という装置を利用してほぼ成功している」事でしょう。
> 彼に対する心情が全く語られませんね。
> それがあれば、”夫婦という立場を離れて”率直に彼と話し合うって考えもその延長に浮かぶ筈です。

おっしゃるとおりで、私は旦那を「愛してはいません」それに気付き、
旦那が喜ぶようなことに遭遇すると嫌悪感になります。(自分が大事にされるべき)
「嫌いな人と結婚なんてしてまでわざわざ一緒にいるのに(これだけで苦痛)、相手の利益になることを提供している、なんでこんな奴に、もっと優遇されるべきだろう私」というような。。。
これで嫉妬=嫌いな奴のために自己犠牲になっている状態といえるのかな、とおもいます。

過去ログを見返していて、はっと気付いたのは
「理想的な父親」を求めている自分です。
「理想的な父親」=旦那ではないし、理想的な父親=現在の父親ではなく
それに直視すると嫌悪感が沸いてくるのかと。。。
夢は夢でなければならなく、実現したら夢ではなくなるから、ということでしょうか。
今までの連鎖を完成させて、母を正当化させなければならないといったことでしょうか。

> 私は今の問題のある結婚の構造そのものが環境としてお嬢さんを強迫的な傾向に追い込む確立が非常に高いという話で、これは冬さんご夫婦の問題であり、厳しいようですが「どう育てていくか」ってレベルじゃありませんよ。

はい、嫌いな人と結婚をし、嫌悪感を旦那(娘の父親)に持ち、娘を妬み、再生していくということになります。自己犠牲を娘にもさせることになります。
本当にその通りです。

> ここへの対処としては、先ず自分自身の心情を彼女に対してもオープンにして、問題を直視し、お子さんを「他人の独立した人格」としてその独立する個人の部分を尊重できるのか、という事です。どうやって共依存関係の中に巻き込まないようにするか(変な”役割”を与えない)なんです。
> 自分の問題の解決こそ子育てにおける最も重要な部分であるのは確かなのですから。

娘を見ていると母がどうおもって葛藤してきたのかがわかり、涙が出ます。
娘は私が泣くと自分が悪いとおもっています。
その姿を見ると、「ごめんね」という気持ちがこみ上げてきます。
母が強迫に駆られていた時に、私は「不安」でいっぱいでした。
与えてほしいときに与えてくれず、生きていく為の処置が適切に与えられなかった気がします。
その母を正当化しなければならない(生きていくためには)ので言い訳を重ねる必要があったということでしょうか。

> ご主人と真剣に語り、自分自身の生き方なるものを見つめ、お嬢さんが言葉を話すようになれば「ここはちょっと普通のお家とは違うかも知れないね、でも大丈夫あなたも立派なひとりの人間だから。私は親じゃないかも知れないけれど個人としてね、ひとりの女とてあなたにできる事はしてあげたいと思う。だから話したい事があったら何でも話して欲しい」のような会話ができるだろうかって話しです。
> 確かにその時に、ご主人とこれまでとは全く別の関係が構築できればいいですが、
> そうでなければ長期的は今の婚姻関係は何らかの形で見直すべきでしょう。

主人のことを赤の他人と見れるようになりましたが、
私の両親との問題があまりに複雑で、これは大変だぞ、と呆然としております。


> 現在の問題に対して、俯瞰で見て認識を明快にしていくには、
> 「今の状態には偶然や無理を強いる事によって擬似的に強迫的妄想の実現になっている部分があり、これ(一部強迫構造が満足している)が不快感の一貫性の無さの正体であって、強迫構造がレイヤードに見える原因に思います。
> その隙間を見てしまうととどうしても認識が軽くなってしまいます。ここには十分注意してください。

胎内に帰化したい、ということはありえるのでしょうか。
母が妊娠中はひどく不安定で、その不安定さに身をおいていると安心といったことはありえますか?

母はきっと男の子になりたい、と思っていたと思います。
祖母が叔父(母にとっては兄)を溺愛しております。
この叔父は世間からも人間的にも優秀な人でこの叔父に強い劣等感を抱いていた可能性がつよいです。
この母もブラザーコンプレックスを持っていて、兄のような男性に惹かれやすい傾向はあったと思います(兄と大学名が同じだけで惹かれた)
祖父は分裂病で父親は「いない」同然で、兄が父代わりであったと思います。

私を妊娠中、母は「男であればいい」と強く思っていたと思います。
私がそうであったからです。娘が「男である」と思い込んでいて、「女」とわかったときに「失望」といった感覚を覚えています。涙も流しました。
ですから娘も同じような感覚を胎内で感じている可能性があり、このひどく敏感な娘に申し訳ない気持ちと同情が沸いてきます。

旦那といると自分が女であることに直面し、嫌悪感があるといったこともありえると考えられます。

父は中学の頃に実父を病死で亡くしており、父親=男を美化し、女を軽蔑している(実母を恨んでいた可能性があります)ところがあります。
実際、弟には甘く、私や母を軽蔑しています。

母は女を軽蔑する男性を選んだといってもいいような気がします。

この「父不在」は旦那にも一致しており、女を馬鹿にしているところも女に恨みがあるというところも一致しています。

857 そうですね〜”性(ジェンダー)”が強迫のコアなのかもしれません。 kagewari 2007/11/16 01:28
強権的祖母にスカウトされた父親と、その祖母(母親に)できそこないの娘とよばれた母親
ここで造られた奇妙な世界は、確かに男性より女性にとって強く影響を与える環境でしょう。
その冬さんのお子さんもお嬢さんであるところにも強い象徴化(その偶然を運命のように勝手に解釈してしまうような)の背景があるのかもしれません。

最も象徴的な部分は、女性の性を家族属性の定義でしか認知できない。
男になりたいんじゃありません。
この強迫だと、女性の性は家族属性の一部でしかなく、そのアンチテーゼが男性と仮定されるからです。
そこにあるのは、女性という性に対する矛盾する葛藤なんだと思います。

この「女性の存在そのものが家族属性の一部でしかない」的な強迫は、その正当化の形として「劣っている」や「働かなくてもいい」の様な様々の派生を生んで、強迫の正面が強く個人に特定(親のどちらか)されるコンプレックスというより、かなり初期に「性(ジェンダー)に対するコンプレックス」となっているため、それぞれの強迫に一貫性や関連性が無い現象となっているんだと思います。
ですから、派生している「劣っている」や「働かなくてもいい」には単一個人に対する強迫のような強硬な拒絶が無い(右や左に流れる)。
理想の父親像も、「性(ジェンダー)に対するコンプレックス:女性の性を家族属性の定義でしか認知できない」から考えれば納得いきます。
 ↓
>祖母が叔父(母にとっては兄)を溺愛しております。
女性という性に対するコンプレックスがあるから、その反動として「男になりたい(象徴なので具体的なイメージが無い)」という鏡象を生むんであって、強迫の正面は『女性』でしょう、
母親のブラコンも、結果論的なもので強く特定個人に対する強迫では無いと思います。
強迫的に貶められその存在意義がとてもわかりにくくなっている(強迫はわかりにくさを発端とします)のは”女性という性”です。

ですから、「結婚や夫(父親)、妻、子供(母親)」等のキーワードに連想される部分に強い認知の偏りや、ありえないような矛盾する思考が関わり自分の想定を超える感情的興奮に戸惑う結果となる。

ここは反復になりますが、
今家族に所属する事は非常に強いリスクです、これは確かですが現実問題として「離婚して子供は施設に」は選択肢ではあっても極端に過ぎますし実際そんな過激な事をすれば、結果としてそのストレスの方が問題となるでしょう(冬さんが二次的ストレスで飛んでしまう事は結果として夫やお嬢さんにとって多大な不利益になるんですし)、いくらなんでも無茶ですしそうすべきでも無いでしょう。
心理学的にも問題なのは「現実の認知」なんですからね、
■血縁者の共同生活には必ず家族意識の成立は必要なんて事は”決してありません”。
■血縁者の共同生活に無理に強迫的な家族意識を成立させようと関係が矛盾する事が大問題なのです。
重要な事は「いかに家族意識や性差による認識の違いを排除するか」、です。
「何の因果か知らないが、こんな面子でちょっとおかしな”共同生活”が始まったのでした」をスタートにするって事です、

そして、性差や家族的な属性意識を軽くする意味でも、『仕事をする』とか『女性である前に私は私だ』という『個人としての自分』を強く認識すべきです。自分の性別なんてものは”自分は自分”の後ろに続く下層属性なんだと考えてしまうって手もあります。
ここで一本線を引いて(家族意識や自分の性は脇へ置いて)、冷静に自分の過去や登場人物(当時の母親や父親になったつもりで「歴史的に何があったのか」振り返ってみる)の認識を「全て一から新たに考え直しみる」ような作業を続けて強迫構造を自意識のテーブルに載せていけば、
「その後数年経って」ぐらいのレベルで、
根本的に今の結婚の在り方等を(そのもそも「人類にとって結婚とは何か」のように)自然に考えられる筈です。

だとするなら
 ↓
>私は旦那を「愛してはいません」
実際現実世界の結婚というようなものは「最初からこの人を愛していたから」なんてものじゃ始まりませんよ(笑
恋愛結婚したなんて実体の大半は”ほんとうは友達程度”だったり、”好き(これは投影)に始まった(後日誤解とわかる)縁”だったりで、
「その人を私は愛してるのだ」って実存は、その後自分が主体的にその人にどう関わってきたかって証をもって確認されるものです。
そんな信頼関係の基本は”自己紹介”になりますから、少なくとも強迫的な人格のままだとその自己紹介ができないんですよね(無意識の強迫は認識できないので)。
自分の中にある強迫構造を自意識のテーブルに乗せて初めて最初の自己紹介ができる「こんなことやあんなことがあって、こんなコンプレックスのある私です」とね。その強迫が解消していけば、次の自己紹介の言葉は又変わります。
全ての始まりは、「事実認識」と「強迫的思考の切り分け」なんです。
858 Re:そうですね〜”性(ジェンダー)”が強迫のコアなのかもしれません。 やっと私の歴史がひとつの線でつながったという気分です 2007/11/16 15:28
> 強権的祖母にスカウトされた父親と、その祖母(母親に)できそこないの娘とよばれた母親
> ここで造られた奇妙な世界は、確かに男性より女性にとって強く影響を与える環境でしょう。
> その冬さんのお子さんもお嬢さんであるところにも強い象徴化(その偶然を運命のように勝手に解釈してしまうような)の背景があるのかもしれません。

私より母親のほうが異常な空間だったかもしれません。
私はその強迫空間が当たり前になってしまったため、それ以外は知りません。
今の空間でさえ「まし」「幸せ」と感じてしまうほどです。(娘にとっては危険ですね)

祖母は3姉妹の末っ子できっと胎内にいるあいだ、「男であってほしい」と願った曾祖母がいたのかもしれません。
「男でない自分」に劣等感を持つ、を3世代に渡って再現したのだと思います。娘に渡ったら4世代ですね。
祖母は戦争に対して強い敵意があります。
きっと「男のせいだ」と思っていたのかもしれません。男のせいでこんな目に遭わされていると。

ずっとなぜあんなに未熟な祖父と恋愛結婚をしたのかが私は理解ができませんでしたが、祖父は戦争にも参加しておりませんし(分裂病ですし教師だったため)戦争にも行かない弱い男を馬鹿にしながら生きることで復讐を果たそうと試みたのかもしれません。(現在祖父は痴呆で施設に入所しており、廃人同様です)
祖父は母親を同じく分裂病による自殺で亡くしております。
この祖父の父親(祖母の舅)は威圧的で、祖母を散々利用し、ひどい扱いをしてきたらしく、祖母は強い憎しみをもっております。
しかも義理の妹の息子をひきとらなければならない環境でして、
母親、叔父、義理の息子、祖父、舅を養っていく大黒柱のようであったと思います。(祖母は母を出産してすぐ祖父が分裂病を発症し、舅に働かされた、と申しておりました)
母親にすれば、生まれてすぐ祖母が不在、しばらくして(半年して仕事を辞めたと聞いております)叔父が可愛がられ、義理の兄まで侵入してき、(祖母はこの義理の息子を非常に腫れ物にさわるように気を遣っていたと聞いております)「見捨てられた」と思ってもしょうがないであろう環境であったと思います。

祖母は一人目を妊娠したときに祖父に「子供をおろしてくれ」と言われたらしく、(私と酷似しております)祖母も結婚に早く収まりたかった背景がわかります。働かされたあげく、重い荷物を持たされ流産した、と聞いておりますが、きっと祖母が出産を望まなかったであろう、と思えてなりません。(妊娠中に普通なら重い荷物なぞ持たないと思います)

そう思っていますと、母親がなぜ「男がほしかったか」がわかりますし、
妊娠中に自分が胎内でいた気持ちが再生されたことを思えば
私が胎内にいたころ
「男であればよかった」
「子供なんか産みたくない、私は女で収まりたくない」
「主人の子供なんてほしくない」「男に性的に利用された」
といった感情が沸きおごったと思います。

生まれて4ヶ月で分裂病を発症、私は半年間ほど母から引き離された状態であります。
母乳で育てられなかったという劣等感も強く、私が母乳でありますので早く乳離れさせたいと娘に無理やり食事を食べさせる姿を見ると鬼気迫るものがあり、強い敵意を感じました。

その4ヶ月はきっと異常であったと思います。
分析でもしないと記憶はおこらないと思いますが、怖いです。

私は胎内ですでに「女であるから生存の危機にさらされた」状態であったと思います。
同様「男に利用された」といった感覚があります。(母の胸の内なのかもしれません)
ですから「女」を自覚させられる状況(つきつめると、女でいる為に利用させられた状態)がたまらなく嫌悪感が襲ってきます。

> 女性という性に対するコンプレックスがあるから、その反動として「男になりたい(象徴なので具体的なイメージが無い)」という鏡象を生むんであって、強迫の正面は『女性』でしょう、

> 心理学的にも問題なのは「現実の認知」なんですからね、
> ■血縁者の共同生活には必ず家族意識の成立は必要なんて事は”決してありません”。
> ■血縁者の共同生活に無理に強迫的な家族意識を成立させようと関係が矛盾する事が大問題なのです。
> 重要な事は「いかに家族意識や性差による認識の違いを排除するか」、です。
> 「何の因果か知らないが、こんな面子でちょっとおかしな”共同生活”が始まったのでした」をスタートにするって事です、

実際、やってみました。
娘と主人が一緒に笑い合っているのを見ると、
主人に「自分が勝った」のような敵意を感じてしまいます。
(実際主人にも競争心はもたれているのは間違いないと思います)
ですが「一組の他人の仲のよい親子」としてみると少し楽になった自分がいます。これが一線を置く、といったことでしょうか。まだ抑圧はあるかと思いますが。

私にはかなりはなれた弟がおります。
私はこの弟を溺愛しております。現在この弟は非常に優秀で大学院に行っております。
自分が母親のような恋人のような気分でいたといって間違いないです。
実際弟世代の男性が大好きで、年下好きであります。
この弟が私の「理想の父親」「理想の旦那」であると思います。
この弟に嫌われることを非常に恐れておりました。(現在は旦那に投影されているとおもいます)
母の前で溺愛はなかなかできなくて幼いながらも、母が放棄している間を見計らって「溺愛」していた記憶もあります。

実際、娘が弟に見えます。
そっくり、とも思えるのです。ですからその幸せな記憶の中で養育している気がします。
怖いのは娘が女性になってきたときです。
主人に対して間違いなく「私のものなのに!」といった敵意や嫌悪感がわいてきて、「あんな奴の為に娘を譲りたくない!」と思うと思います。
(母に対しても「弟は私のほうがなついている」といった感情は今でもあります)3歳までは弟のように可愛がりたいと思う自分です。これは危険ですよね。。。
娘を利用して再現する世代間伝達が成り立つわけですよね。

娘にはどうしても強い所有力をもってしまいます。
母や祖母にも敵意を感じます。

> そして、性差や家族的な属性意識を軽くする意味でも、『仕事をする』とか『女性である前に私は私だ』という『個人としての自分』を強く認識すべきです。自分の性別なんてものは”自分は自分”の後ろに続く下層属性なんだと考えてしまうって手もあります。

勉強、で消化されますでしょうか。。。
私は能力がないと思っております。娘となるべく共にいたい、とも思います。

> 自分の中にある強迫構造を自意識のテーブルに乗せて初めて最初の自己紹介ができる「こんなことやあんなことがあって、こんなコンプレックスのある私です」とね。その強迫が解消していけば、次の自己紹介の言葉は又変わります。

旦那に優越感を味わわせたくないと感じてしまいます。
実際話したことは何回もあります。彼は「自分の家庭のが上だ」(彼自身、家庭にコンプレックスがある、これも複雑)と喜ぶだけです。
861 すいません、混乱しております。過去をなぐり書きさせてください。 2007/11/17 14:55
祖母、母が育った背景と私が聞いていた養育状況がようやく線でつながったのはいいのですが、怒り、憎しみ、悲しみ、諦め、否認などがいったりきたりして、落ち着きません。

祖母が「あなたを両親(私の)から引き離したことがあった。両親の不仲をなんとかよくさせようと両親に気を遣ったつもりだったけど、一番悔いている。ごめんね。」と言われたことがありました。
祖母が私の娘を世話する状況を見ても、祖母は「父に私をとられたくなかった」気持ちがあったのではと思います。(実際父を私の娘によせつけないようなところがあり、違和感がありました)
となると、事の現況はこの祖母であり、私を母に代わって養育中、父を寄せ付けなかった可能性があり、私の今の心境「旦那に取られたくない」といった感情と一致します。
私は祖母の意向を遂げるために幼い私を利用したことになります。


また、こみあげてくる思いとしては「父への憎しみ」です
父=男を憎んでいるところが確かに私にはあります。
父=旦那であり、良く似た男をスカウトし、復讐しようとしているのか、とも感じます。
これは祖母が遂げたかった願いであったと思います。旦那に対しても異様な解釈(旦那は悪人だ)を私に吹き込んでいたところがあり、私は偉大な祖母に間違いなく洗脳されたところはあります。
「男はみんなそうだ」とよく祖母は言っておりました。


話は飛びます。
私を妊娠中に父は母との喧嘩の最中におなかを蹴ったことがあったみたいです。
私は母の胎内で生命的危機を感じ、父への憎しみを持ったのかもしれません。
記憶にあるのは母との喧嘩で怒鳴っている父、泣いている私へ八つ当たりをし、「泣くな!」と怒鳴ったこともありました。
父に物差しで勉強ができなくて殴られたこともありました。
3歳ころ、父が母にキスをするのを嫌悪感を抱きながら見ていたこともありました。母も嫌悪を抱きながらキスから逃げているのも覚えています。
「なぜこんな男と??」「父より私を優先しろ!」
といった感情が今でもあります。

私が中学の頃、担任の教師に父を投影し、依存していた時期がありました。
そのときに母は分裂病を発症し
「担任に殺される!」「お前の保険を奴は狙っている!」「風呂釜が爆発する!」「薬は毒薬だ!」「郵便物に爆発物が」「2階にお前と奴がいて弟を殺す!」といった妄想がおこり、その時初めて母が異常であることを目の当たりにし、かなりのショックを受けたのを覚えています。
そのとき、私は弟を世話しようとしたら、憎しみをこめて奪い取られた記憶があります。
「母は私が憎いんだ」といったトラウマがあります。
母は担任が訪問に来たとき、異常なまで拒絶し、私はこの担任とよい関係を永遠に築くことはできませんでした。母のためと思っておりました。

このとき以来、母との関係は最悪で(毎晩喧嘩)
母は父に私の悪口を毎晩はなし、私は今でも苦しみがこみあげてきます。
そのときは「母が嫌い、父は私の味方をしてくれない」と思っておりましたが「憎い父に私の陰口をたたく母」の嫌悪感だったのかなと思います。
「世の中で味方はだれもいない」という信念がこのあたりで出来上がったのだと思いますが今でも私の陰口を私が寝静まったときに毎晩父に話す心境は理解できません。(ここがかなりトラウマでキーポイントではないかと思います)
「父を味方に私を攻撃したい」といったことだと思いますが、
もしかして私と祖母を投影していたのでしょうか。それとも私と父を投影して、父=祖母になり、祖母に告げ口するといったことなのでしょうか。

母は私の前では「弱い母」を演じ、父の前では「父に吹き込み、娘に敵意を示す母」になり、なぜ憎い男を味方につけたのか、思うだけで気持ちが落ち着きません。
この父を味方に私に「弱い母」を演じ、私に一方的に攻撃されるという「ネタ」をつくり、父に守ってもらおうとする心理は
私を祖母に投影し、私を攻撃することで解消しようとしたのでしょうか。

実際、私に攻撃されている間は両親の夫婦関係はうまくいっていたとおもいます。
必ず家庭で事件が起これば(私の受験時、中学の担任、小学一年の弟の登校拒否時)には妄想が起こって、母が祖母を呼んで母の代わりに一家の世話をしてもらうといったことがあったにも関わらず、
私が境界例を発症し、自殺や家庭内暴力を繰り返すといった一大状況には祖母にも話さなかったことが不思議でなりません。
今思えば、私が死ぬことを望んでいたのじゃないかとも思えます。
やはり、母は私に祖母を投影し、かわいそうな自分を男に守られることで昇華しようとしたのでしょうか。
母=私、祖母=母で攻撃する状況を完成させたのでしょうか。


今でも私が旦那や嫁姑の確執をネタにおもしろおかしく父に話し、
私は母に「憎しみ」をもっています。
この憎しみは「信じていたのに裏切られた」といった絶望に近く、
「やはりこの世には味方がいない」「世の中みんな敵だ」といった信念が強固になっていったといえます。

旦那には母親、父親、両方を投影していると思います。
となると、男、女に関わらず、私は「利用された」状況に陥ると激しい嫌悪が沸いてきます。

「犠牲」という立場でなければ生命の危機にさらされて、
「犠牲」になりたくない!という気持ちが強いです。

863 「わかりにくさ」と「わかりやすさ」に着眼してください。 kagewari 2007/11/17 23:30
強迫を発生させる最大の要件は『わかりにくさ』です、
これは自我発生間もない幼児にとって、事実関係や環境(幼児にとっては全世界と仮想)勝手な想像や誇張の可能性となるためです。ベタにわかりやすい問題は、相当過酷な状況であっても「幼児にとっても問題と認知」され、正当化するべきだのような勘違いが発生しないので、強迫的ロジックが自我の深層(道徳と関連する超自我や動機形成の初期的認知部分の振り分け判定等)に発生する確率は下がります。

乱暴な言い方をすると、「強迫構造が、そもそもロジックが矛盾していたり合理的根拠が無いので分析でもしない事にはわかりにくいものである」→「それを自分の自意識にも”なんだこういう強迫か”とわかるように(認知)すると強迫の解消が始まる」、
「わかりにくさ」と「わかりやすさ」の構造はその後も変化が無いワケです。

ざっくばらんに言うと、強迫はわかりやすいアプローチを容易にはね返します。
「わかりやすいようで難解なような、読んでいくとわかってしまうような形」強迫とは直線的なロジックへの対抗(リアクション)する防御を非常に強い優先順位で保有します。それは限りなく一個人にとっての道徳レベルです、
私、何を言っているのかと申しますと(笑
話を「自意識マター」とする事で、強迫的拒絶を回避できるんです。
この「自意識マター(どうにも自意識の集中力を必要とする状況)」を呼び出すキーは、「難解さと合理性の両者を担保する事」です。
もうちょっとわかりやすく言い換えると「パッと斜め読みできない内容」か「あまりにも抽象的で、一瞬どういう意味か考えさせられる言葉」です。
そいうアプローチがあると、『無意識的強迫の抵抗の反応にきっかけを与えない』条件に成功します。

>勉強、で消化されますでしょうか。。。
上記を踏まえて(わかりやすくするために極端に)答えますと、
『現代結婚制度とその社会的意味についての概論』『近代以降の結婚制度と女性史』『女性の権利回復と社会学的意味』『子供の人権と家族制度』『結婚離婚そしてオルタナティブ』『幼児の自我”新人というだけで立派な大人です”』『子供認知における幼児の人権侵害』『母子と社会、現代社会の仕事環境』『男女雇用機会均等法下における男性の心理』・・・全て400字詰め原稿用紙200枚程度で述べよ。
 ↑
研究論文のテーマと考えて(実際に書く必要ありまっせんよ)、そんな論文を書く事を前提に資料や書物を集めて(研究者の立場で書籍を選ぶ)徹底的に研究するんですよ。
これ、自分にとって興味のあるテーマだと思わないで下さい(後から猛烈に興味が出るのはOKです)。
こういう行為に強迫は手を出せないんです。
”自分の事じゃ無いですし”、”リアクションするにも誰からもアクションされていない”、”読みたくて買った本が一冊も無いので投影や余談による誤読が少ない”、”常に反対論の本も読むので道徳的思考が介入できない”、

自意識は強烈な理論武装を手に入れる事ができます。
極論ですが、無意識的強迫を100%論駁可能に自意識が理論武装すれば「自意識マターだよ」の引導を渡す事もできるでしょう。
現実問題、凄まじい読み違えや読む事自体の抵抗等でそれが「まんま目論見どおり」成功するなんて事を期待するのは無理ですが、有効な刺激になりますし、その仮定で偶然解消される(この方が不快感も少ないです)強迫もぽつぽつ出てくるものです。

えらく話を拡大して言うならそういう意味ですよ、
(以下の話って)
 ↓
「『仕事をする』とか『女性である前に私は私だ』という『個人としての自分』を強く認識すべきです。自分の性別なんてものは”自分は自分”の後ろに続く下層属性なんだと考えてしまうって手もあります。」って、


それから胎児に与える心理的影響ですが、男性女性のようなロジカルなものは伝達しませんよっ
そもそも自我の確率は言葉の習得と非常に強い関連性があるので、胎児に与える影響を考えるなら母体が感じる不安感が「そのまま伝わってしまうかも知れない」という範囲のものでしょう。
体内回帰的欲求とは、極めて象徴的なもので退行化(大人になる方位への抵抗から逆の時制→過去へ欲求が志向する)の一種です、
「小学生が不安感からおねしょする」とか「マザコン系男性の性風俗における”オムツプレイ”とか」前の時制(より大人になる方位)に不安感や挫折があると、退行的反射がおきるんです。
これは大人の自我の中核たる自意識が強迫されて抑圧される自我構造的在り方が行動的な現実として表現(動機形成)されているもので、自意識の不安感やぶっちゃけ力不足(抑圧による一部機能低下=8気筒V型エンジンの4発が不完全燃焼しているようなもの)を証明しているもので、現象自体には大きな意味はありません。

>旦那に優越感を味わわせたくないと感じてしまいます。
>実際話したことは何回もあります。彼は「自分の家庭のが上だ」(彼自身、家庭にコンプレックスがある、これも複雑)と喜ぶだけです。

自己紹介ですから、
これも極端な表現で言うなら
「大笑いしながら自慢話として話す」んですよ。
「マジでおかしいんだって、ちょっと聞いて。こうなってあーなって、こんなことがあって、もうありえないでしょう、この環境はさ異常だよね。そーーんな背景があるから、これほど個性的なんだっあたしって存在わ〜。人によってはこりゃ大問題でしょうけどね、これだけの環境で育ったってだけでも誰とも比較しようのない潜在的ポテンシャルの持ち主とも言えようー。私なんかに比べたらあんたの家ってけっこうマトモ(普通でつまらないという意味)だよね」

『自己の尊厳を守る(←問題があったとしても私にはお茶の子さいさいだ)』
そういう意味です。

>娘にはどうしても強い所有力をもってしまいます。
非常に危険です、
過去ログ等で何度も登場する話ですが「強迫の発生する典型的環境」とは
1)家族が社会から孤立している(親に地位との社会性が無い)
2)幼児期に溺愛→反抗期以降手のひらを返すように子供に対する拒絶や虐待や過干渉等幼児に理解不能の支離滅裂な言動
3)両親の強迫(幼児化)による、見当違いの道徳(ほとんどが親が自分のナンセンスな行為の正当化で発言した内容)の導入
4)「何々になりなさい」的将来の社会適応のアドバイスがどうしようもないぐらいナンセンスである
5)親が一見容易に批判できそうな破綻(万引きによる検挙やわかりやすいアル中)が無い「一見そつが無い」
6)加害者は被害者の偽装、被害者は加害者の妄想のような逆転がある
概ねこの辺ですから、逆さまに言えば各個撃破で『その関係が成立しないように意識』してください
それが今冬さんのお嬢さんに対する最大の貢献になりますし、育児における最も重視すべき政策(ポリシー)です。
各条件が成立さえしなければ、「情報公開されている、問題あれどもわかりやすい」という形の認知を進める事ができます。

たとえばですが(単なるアイデアですよ)
1)少なくともバザーとか古物市とか地域共同体の活動に参加してみる
2)幼児期の溺愛を抑止するため子供の呼称に敬称をつける(上流階級の真似)「○○さん」と呼ぶ
3)自分の行為の正当化を子供に対して行わず、ダメな時はなすがままに「私ってダメね(笑」とか「うわ〜やっぱ私がゴメン」等と見せる
4)「あなたは将来どんなお嬢さんになるのかしらね?」問いかける事にして、何か職業や結婚等具体的な将来像を一切薦めない。
5)バタバタとする様子を子供に見せる事を決して恥ずかしいと思わない。
6)とにかく、自分が被害者であるような認識や「私がダメなのね」等の自己嫌悪的ナルチシズムを子供に見せない
他には、第三者の関与による家族意識の拡散という意味で、早い時期から家庭教師を雇って「勉強はいいから家族以外の大人として話し相手になってくれないか」と要請するとか、その家庭教師に誕生会に参加してくれとお願いする(この時ご主人にもあえて参加を促した方がいいかもですね)等、家族環境そのものが孤立したり内向化しないように注意する事で、相当リスクのある関係を非成立にできると思います。

このですね、お嬢さんの人権を守るってアプローチって、そのまま冬さんの強迫構造の解消にとっても同じように効果を持つと思うんです。
現在の家庭を強迫のための道具的キャラクターを緩和するのですから(当然欲求不満も発生させますが)、
想定される二次的ストレス(欲求不満)に備えて、上記のようなアプローチを始めたら、身体を動かすような教室(合気道やダンス等)に通うとか、私の定番になりつつありますが「腕立て腹筋」ですよ。ここまで予め考えておけば、突発的な不安等の動揺も緩和される筈です。

さて、話は戻りますが、「所有欲」じゃありませんよ。
「自己の投影」です。自分と子供の区別が無いんです(子供を他者と認知できないので、同時にその子供固有の人権を認知できない)。
「既に私物」であるとか「お気に入りの人形」或いは「もうひとりのわたし」「自分の幼児期の幻影を見ている白日夢(ノスタルジー)」のような存在が、強迫のフィルター(検閲)を通過して「強い所有欲」って言葉で認知されているんです。

とにかく、目の前のお嬢さんとお隣のOLさんは全く同列の他人であり同一の人権があるという認知を徹底してください。
これは「家族問題でなはく人権問題」だからです。
又、認識として大事な事のひとつは「現代社会で最も人権侵害が発生しているのは家族社会である」ぐらいの勢い(これ極端な方が効果的なので)でそれを一般常識であると徹底してください(一本線を引く)。

今のご主人には申し訳無いのですが(彼にだって自主的に判断するチャンスは在った筈なので)、この際彼にとっての実損を考えても仕方が無いので「主婦である」という「所得や考える時間の確保等の有利性」を最大限利用して、各種のアプローチで強迫性を解消していく事です。
そんなプロセスで、過去の検証も同時進行します。
事、強迫が特定個人的エディプスとは言えない状況なので、「哲学的」「社会学的」「文化人類学的」「人道主義的」「人権主義的」なタイプの第三者性を優先させる事が有効だと思います。


事を急ぐ事はありません、
無理は禁物です。
上記全てを踏まえて「いっちょやったるか(何をするのかはひとまず後回し)」と思えたらスタートラインに立てます。

================================================================

後からの書き込みへのレスですが、

前にも一度触れていますが(過去ログにも散見される筈です)
こういう前提で物事見直してください、
@あえてナンセンスなぐらい誇張して説明しますね。
 ↓
「そもそも家族ってのは必要悪で、一般社会における暴力団と大きな違いの無い組織である」
これに似ているたとえ話もあります。
「そもそも学校なるものは、社会に必要な戦力へ子供を洗脳する人権無視の組織である」
(教師:洗脳教官の子息って条件が強いリスクとなるのも事実です)
導き出される結論は

「だから大人になって独立する救済策を社会は担保している」
「だから卒業して、俺は違うと反旗を翻す権利がある」

一体どの時代から「家族」が普遍的に「いいもので、子供のための楽しい場所」を意味する事になったのかさっぱりわかりませんが、家族なるものの負の機能ってものは、強迫を助長し所属する人の神経をいやってほど追い込む典型的な人権侵害の牙城だと見てもちっともおかしくないんです。
しかし幼児の養育権を親権という形で法律があるのですから、この国の法律は「そこの馬の骨ともわからない人間に、自己の権利を守る力を持たない幼児の生命すら預けるとっぴょうしも無い無責任な存在」なんです、実際は児童相談所等の組織を持っちゃいますが、親役をやった人間を告発する言葉を話せない子供専門の国選弁護人が予め準備されているのでもありませんし、

つまり、親の役職でも、兄弟の役職でも、子供の役職でも、娘の役職でも、祖父母の役職でも、人間が家族に所属する事は個人の人格にとってリスクなんです。各役職に国選弁護人がいてもいいぐらいです。
で、ですね、これを正当化する社会の側からのロジックが『共同幻想』ってもので、
その共同幻想は、文明化の進行によって構造的に破綻するのは心理学的には自明なんですね、

この極端な見方を前提にすれば(繰り返しますが極端な場合ですよ)
「そりゃ結婚なんてしたら、”誰”だって、正常な感覚を失う」
「親にもなったら、マトモな判断力を維持するには相当な精神力が必要だ」
「兄弟ができた子供役の人物の精神状態をモニターするのはとても困難だ」

繰返しますが、極論ですよ、
極論「家族なんて組織で、偏向しない自我を維持するのは”誰にだって”至難の技で、おおよそ大半の人類はこの家族という組織制によって歪んだ自我を持っている」→これが社会適応の形に落ち着くと、これを世論は(歪んでいあようが歪んでいまいが)正常と定義する
2000年前の倫理的哲学の巨人にして天才にイエスって男がいますが、彼はこの悲惨な状況を前にして「家族愛は悪、人が求めるべきは隣人愛」と高らかに宣言するワケですよ。日曜日には家族で話を聞きにきなさい(親が勝手な事を言わないように)。
もっと前のインドの哲学者は「人間ごときが道徳を語るな、それは仏にしかわからない、慈悲(全ての命に)の心を持て」と説きました。
極論「親孝行等悪徳である(”他人と同様”に慈悲の心で接するのが当たり前なので)」と、
イデアを求めるなら出家(家族組織は害なので)しなさい。とも言ってます、

もう一度繰り返しますが極論ですよ(笑
口をすっぱく言いますが、極論です極論
「家族組織なんて社会に生まれてしまう悲劇は、間違って北朝鮮に亡命してしまったようなものだ」

なんて言いますかね、血縁者間の愛情ってものは
「はいゃーーー大変だったね〜あの時代(笑、家族時代ってのはほんとイロイロあったね〜」と、同じとんでもない組織で生き延びた戦友としてお互いの労を認め合うようなものなんですよ。『お互い個人の立場として』です。

■社会が変われば心理も変わる。

典型例ですが、

昨今「私ね東京で就職するの」と言えば、
「よかったね〜、いいなぁ東京かー」なんて話になりますが、
つい40年前には?
「東京だよおっかさん」「ああ上野駅」東京で就職する事自体が悲劇でした。
(まだ中卒の集団就職って背景があったにしろ)
この時代、東京行きがいい話になるのは「六大学進学」等のエリートだけの話でね、

「家族社会等本来根絶した方がいい」のかも知れません(極論なのでナンセンスですがね)
しかし、なにゃかにやいっても、夫婦間のSEXで子供が生まれるって背景が多数である現在(むしろシングルマザーの方がリスクは低いって見方もあり得ます)、「家族社会法人を企画してこれを運営する」のはこれ否応無くやむを得ないところがある。法的にも、社会的にもです。

  ↓

ここぐらいまでの背景を前提に、祖母、母、祖父、父、子供であった自分の姿を見ていくんです。
彼らは大騒ぎしていますね、
間違いやら、勘違いやら、どうかしちゃっているとしか思えませんよね。
先ず、最初にですね
この物語の書きだしを「不幸にもここの登場人物は全員”家族”を構成しているのだった」から始めるんです。
次の一行は「そして全ての人が、その家族でそれぞれの強迫的な妄想を実現できると信じていた。誰ひとりその妄想を共有するものもいなかった」、

>私を祖母に投影し、私を攻撃することで解消しようとしたのでしょうか。

大人になリ始めた子供は、投影対象になりません。
キャラは『部外者(早晩独立する)他人』です。
ここで過干渉により獲り込みが行われるケースもありますが、これは「自分の親属性を維持するための子役の確保」が動機となるので、都合のいい子役のイメージが投影される事があっても(その子役が誰かの投影イメージである場合もありますが)、その投影は二次的なものです。

つまり、母親から見てあなたは「自分だけの妄想社会の破壊者」だったんですよ。

基本的に「個人のこころの中のパーソナルな妄想」ですから、理想の強迫的妄想社会にとって現実の登場人物の存在は邪魔な存在です。
ある意味、鬱構造のようにそれが内向化していれば、それは人の自我の内部にだけ滞留するもので「家族」という現実の装置を利用する事にはならないでしょう。しかし、ここに強い社会適応の意識があり迷いも無く彼らが結婚し家族を構成することが”公然の事実”だったら?
彼らは、それぞれ各人全く違う妄想をその『家族』って火の中に持ち込んで自分自身すら焼き尽くすんですよ、
冬さんの場合、見ると女系家族っぽい世界が連続していますね。
むしろ男はその共犯としてスカウティングされている傾向がある、
(心理学的一般論として、性の権限で強迫されるのは男性で性に対する不安を武器に自由に操作されやすいのは男性の側なんです)

一番最初の「戦争に行けない男」もです。

彼を正当化する方法は?
『反戦』
(ここには”容易に操る事ができるへタレ”というスカウティング評価と、幻想のための主人公のひとりとして”絶対に正当化しなければならない存在”のアンヴィバレントな二面性がある)

こう考えられませんか、
本来鬱傾向として、各個人の意識の奥で本人を苦しみ続ける筈の強迫意識を無理やり社会適応する方便は?
「女性の性を家族属性の定義でしか認知できない」
「女性の性とは家族社会に適応させるための道具である」
再びその悪夢を再現させる担い手としてね、
最後の一行は”偶然”です、
心理学的に言うところの、母子間における女の子特有の”母親の同一化(ママゴト幻想)”

本来の「家族組織法人」なるものは、二人の”大人”がそれぞれの「夢(本来目標だと思っているものを恥隠しでそう呼ぶ=本当の意味の夢ではなく実は大真面目な目標)を持ち寄って」公開情報を前提に討議して、「ひとつやってみましょうか」という合意の元で立ち上げるもので、
そこに隠された秘密の狙いなんてものがある事自体ルール違反なんです。
それもです、まだ意図的に隠しているなら「何か怪しい」とか周囲にも違和感ありますが、これが強迫構造となると「本人にも完全に自覚が無い(無意識なので)」事になりますから、それはそれはえらい事になってしまうんです。
それでもまだ、「家族って共同幻想ではなく、(ちょっと左翼的ですが)コンミューンのような緩やかな組織で」なら幾分リスクは現象しますが、この強迫構造は「より家族らしい家族」を望みますからね。
そして、その家族に「子供役のルーキー」が登場した場合、事の発端である”二人の大人”は「あなたが登場したこの家族法人はこんな企画意図に基くこんな組織なのよ」とこれを説明する義務があるんです。そして、そのルーキーに「はじめまして」と自己紹介をして、この新人の人権を犯さない不文律を持つ。
ところが、ここで「私の子供が産まれた」的な内向的認知があると(本来は初めて会う親愛なる他人へ寄せる言葉のように「こんには赤ちゃん」であるべき)、「家族組織法人」に求められる秩序ってものは、もう収拾がつかないワケです。

当然ですが「家族組織法人」には、コンプライアンスやガバナンスが求められ、理想は外部取締役(第三者の経営関与)と透明性や公開性も必要になります。それ無しには法人格としての体を成さないんです。
欧米的に結婚(戦後日本の結婚のモデル)とは、『契約』の事ですからね。
その背景には社会契約説やら、国家感や共同体意識的なコモンセンスがあるんであって、
なんかですね「若い人がどうぞご自由にSEXしてください」みたいな代物じゃない。当然「強迫構造の夢花開かせてください」なんてものであっていい筈が無い。


>「犠牲」という立場でなければ生命の危機にさらされて、
無力な幼児であり続けるという子役(既に自我の萌芽が見られる年齢に達すると不適格→家族社会に適応させるための道具としての性)
ここが「そんな役、身に覚えが無い(志願した覚えが無い)」と自覚されているのでしょう。

>「犠牲」になりたくない!という気持ちが強いです。

自立して、家族組織から独立して、こんな幻想を振り払い、
「オイラはとんでもないところに生まれちまったぜ」と、
自由に生きたいって事ですよ。
865 Re:「わかりにくさ」と「わかりやすさ」に着眼してください。 2007/11/20 15:41
ここ何日か、いろいろ考えてみました。夜寝付けない日が何日もあり、過去ログやテキストも読み返してみました。
旦那ともぶっちゃけ話もしてみました。

> 強迫を発生させる最大の要件は『わかりにくさ』です、
> これは自我発生間もない幼児にとって、事実関係や環境(幼児にとっては全世界と仮想)勝手な想像や誇張の可能性となるためです。

よくわかります。まさしくその通りです。
思えば「わかりにくい」ことばかりでした。思い出すと怒りがこみあげてきます。でも母の人生や歴史的背景を考えれば、母に対して同情心が沸いてきます。

> 自意識は強烈な理論武装を手に入れる事ができます。
> 極論ですが、無意識的強迫を100%論駁可能に自意識が理論武装すれば「自意識マターだよ」の引導を渡す事もできるでしょう。
> 現実問題、凄まじい読み違えや読む事自体の抵抗等でそれが「まんま目論見どおり」成功するなんて事を期待するのは無理ですが、有効な刺激になりますし、その仮定で偶然解消される(この方が不快感も少ないです)強迫もぽつぽつ出てくるものです。

「なにかわかりにくい」ことを理論武装で「こうこうこうだから」と家族的な嫌悪感がわいてくる状況を回避する、ということでしょうか。なんとなくわかります。

> 「『仕事をする』とか『女性である前に私は私だ』という『個人としての自分』を強く認識すべきです。自分の性別なんてものは”自分は自分”の後ろに続く下層属性なんだと考えてしまうって手もあります。」って、

ありがとうございます。取り入れます。

> 自己紹介ですから、
> これも極端な表現で言うなら
> 「大笑いしながら自慢話として話す」んですよ。

実際、旦那と夜を徹して話してみました。
自分は異常な「家族」の中で、当たり前のように生活していたこと。
「家族だから」という言葉に異様に嫌悪感が沸くこと。
娘は一人の独立した他人として育てていきたいこと。
私は「家族だから」といったことの道徳で善悪を判断したくないこと。

旦那も初めは不快感を示して聞いていましたが、
「だからといって愛情がない、というわけじゃない」
「愛情は自然にわくものだから」と結局喧嘩が面倒で嘘を言ってしまいました。
でもこの先、「家族だろ!」といった旦那の発言を撤回することができるだけでも大きい進歩だと思います。この先「母親だろ!妻だろ!」といった言葉を回避できるきっかけとなると思います。


> 1)家族が社会から孤立している(親に地位との社会性が無い)
> 2)幼児期に溺愛→反抗期以降手のひらを返すように子供に対する拒絶や虐待や過干渉等幼児に理解不能の支離滅裂な言動
> 3)両親の強迫(幼児化)による、見当違いの道徳(ほとんどが親が自分のナンセンスな行為の正当化で発言した内容)の導入
> 4)「何々になりなさい」的将来の社会適応のアドバイスがどうしようもないぐらいナンセンスである
> 5)親が一見容易に批判できそうな破綻(万引きによる検挙やわかりやすいアル中)が無い「一見そつが無い」
> 6)加害者は被害者の偽装、被害者は加害者の妄想のような逆転がある
> 概ねこの辺ですから、逆さまに言えば各個撃破で『その関係が成立しないように意識』してください

自分の両親のことを言っているようです。驚きです。

> このですね、お嬢さんの人権を守るってアプローチって、そのまま冬さんの強迫構造の解消にとっても同じように効果を持つと思うんです。
> 現在の家庭を強迫のための道具的キャラクターを緩和するのですから(当然欲求不満も発生させますが)、
> 想定される二次的ストレス(欲求不満)に備えて、上記のようなアプローチを始めたら、身体を動かすような教室(合気道やダンス等)に通うとか、私の定番になりつつありますが「腕立て腹筋」ですよ。ここまで予め考えておけば、突発的な不安等の動揺も緩和される筈です。

歌が好きなので、娘と一緒に歌でも習おうかと思います。

> 事、強迫が特定個人的エディプスとは言えない状況なので、「哲学的」「社会学的」「文化人類学的」「人道主義的」「人権主義的」なタイプの第三者性を優先させる事が有効だと思います。
> 後からの書き込みへのレスですが、


> つまり、親の役職でも、兄弟の役職でも、子供の役職でも、娘の役職でも、祖父母の役職でも、人間が家族に所属する事は個人の人格にとってリスクなんです。各役職に国選弁護人がいてもいいぐらいです。
> で、ですね、これを正当化する社会の側からのロジックが『共同幻想』ってもので、
> その共同幻想は、文明化の進行によって構造的に破綻するのは心理学的には自明なんですね、

過去ログやテキストを何回も読み、私が背負っていた錘が取れた気がします。
私にとって大きな収穫でした。

> つまり、母親から見てあなたは「自分だけの妄想社会の破壊者」だったんですよ。

母親の妄想としては
「権威的旦那に尽くす可哀想な母親」「女性は家族属性に従わなければならない弱い存在である」といったところでしょうか。

> 自立して、家族組織から独立して、こんな幻想を振り払い、
> 「オイラはとんでもないところに生まれちまったぜ」と、
> 自由に生きたいって事ですよ。

本当にそうです。すきっとします。

話が変わりますが、最近また思い出してというか、「やっぱり異常なのか?」「いや、みんなそうだ」「いや、私がおかしいんだ」といった考えが浮かぶことがありまして
父のことなんですが、
父は特に?性欲が強かったとおもうのですが、ロリコンのようなところがありまして、私は物心ついたときから(小学生くらいから)父に「性的に利用されているのでは」といった漠然とした嫌悪感をもっておりました。
こんな親子なのにありえない、倫理的にないであろう、と頭から消そう、としていたのですが、今思うと、意識する私がおかしいのでは、といったところはあったと思います。
父と小学校高学年までお風呂に一緒に入っていて、世の中的には「ありえない」のかもしれないですが、「うちは特別仲良しなんだ」といった言い訳を自分の中でしていたと思います。
私は父がやらしい目でみているのでは、とすぐ気付いたのですが、
「こんなこと思っている自分がおかしい」
「こんなこと意識していることを父や家族に知れては大変だ」
「父はやらしい目で見ていない」と思うようにしていました。
実際嫌で嫌でたまらない、どうやってか父に嫌であることを気付かせたい、と
反抗的な態度で対応したり、何回かわかりやすい行動を起こして
父か母に「もう年頃だから入るのやめなさいよ」と言ってくれるのをずっと待っていたのです。
実際、父はわかっていたと思います。わかっていて嫌がっているのを楽しんでいた、と思います。
母も今思えば黙認していたと思います。
母は義理の兄と同居していたときがあります。祖母に「母のお風呂を覗いた事があった」と聞いていましたので、私に「お前も嫌な思いをしろ」といった気持ちがあったのではと思います。(あれだけ敏感なので父の気持ちをわかっていないわけはないと思います)

この父親の心理がよくわかりません。
父はお風呂に入ったあとに私が嫌がっているのにもかかわらず裸で歩き回ります。(嫌だといった覚えは無いですが嫌がっている態度はしていました)
私の部屋をノックなしで入ってきたりします。嫌がる娘を前にそれでもごり押しをし、そういう行動をするのは「父親だからいいだろ」的な心理があって、
親だからやらしくないだろ、と正当化しようとしているのでしょうか。
露出狂のようなSのような性的な偏りもあるようにも・・・・

携帯の履歴を勝手に調べたり、PCも履歴やメールをチェックします。(PCは共同でした)
着替えているのがわかっているのに気付いていないフリして入ってきたりします。
私は家庭に父がいるだけでなるべく女を匂わせないように行動し、がさつな男勝りな態度をし、女らしさに欠けていったのもこれらが原因と思います。
母は気付いていたんじゃないかと思うとなおさら気付かないフリをする真理がわかりません。
「家族」を壊さないように、というのはわかるのですが、あの嫉妬深い母が黙認していたのは、母も同じような体験があったからでしょうか。
母はいまだに「私のスタイルがいい」とか「おっぱいはってる、おっきい」とか父が喜びそうな言葉をあからさまに父の前で話します。
そんな母に憎しみを感じます。

父に=男に嫌悪感がわくのは、性的な目で見ている時、といえます。
すごく嫌悪がわいてきます。

「性的に利用された」と思うと激しい憎悪がわいてきます。
867 「なんとなくわかります」でいいのです。 kagewari 2007/11/21 14:13
>と家族的な嫌悪感がわいてくる状況を回避する、ということでしょうか。なんとなくわかります。

ま、細かい部分の齟齬はありますが、そういうところはたいした問題では無いので(私の投げかけはあくまで分析による投げかけであって何か殊更「こうしなくちゃいけない」かのような”回答”じゃありません)、冬さんなりの個性で「なんとなくわかる」って事の方が重要ですから。何か妙に具体的なメッセージのように捉えられる(むしろその方が象徴化の可能性もある)より本質的なものだと思います。
精神分析の基本はデ・コードで、実際私の話の本質は冬さん自身の内面の分析によるものですから、「元々自分自身に潜在的にあったアイデアだ」と言えばそういう事なんです(私の個人的な意見についてはそう付け加えてコメントしますので)。
本人にとって、それが「なんとなくわかる」のは当面の着陸点としていい線だと思います。

又、
>と結局喧嘩が面倒で嘘を言ってしまいました。

これも「アリアリ」です、
嘘も方便じゃないですが自覚的な確信犯的嘘は、まー言うなれば表現方法の一種ですから
そういう戦術を自意識が使うってのは、むしろ自意識マター的には評価していもいい部分ですよ。


さて、話は
>話が変わりますが、
以降の「父親の性欲関係の話」になりますが、
ここは切り分け論的説明が必要です。

先ず一点目
欧米の心理系の統計には性的幼児虐待についてとんでもない数値が出たりしますが、昨今の論議だとカウンセラーからの誘導尋問的な投げかけによる虚偽の記憶も多数含まれているのじゃないか的な論調も耳にします。
これ何かと言いますと、キリスト教圏(特に性行為への戒律の厳しいカソリック)での性行為に対する各種タブーはかなり厳しくて、分析者の側から見て「家族内で大変な人権侵害があった」との前提で考える時に、彼らの文化世界の最もおぞましい行為を分析者の側が憶測してしまう危険性があるんですね、これ。

二点目
欧米の場合、確かに報道されるような幼児への性的虐待があるのは確かです。
これは欧米の性的(退行化)倒錯の性行為のジャンルとして欧米特有の幼児への躾行為が「ひとつの性行為に認知されている」等、彼らにとってはえーなんて言いましょうか、これエロティックなジャンルになるワケです。ここにはキリスト教圏特有の『避妊の禁止』や『出産を前提とした”家庭内”夫婦のSEX以外を禁ずる』等の戒律が関わっています(これ王権神授説と合わせて西欧の権力的ヒエラルキーの代表的拘束力のひとつです)。
ここの掲示板でもこの点以前から説明してきているんですが、フロイド当時の男性の性的な方面の心理相談の事例には「射精恐怖」があったぐらいです(出産を前提として非避妊のSEXしか許されない戒律があるため)。
つまり欧米世界には、性行為への不安があった時の一段階目の退行として「家庭内に対象者を求める」って構造が社会構造的にあるんですよ、これ一種のリスクとしてですね、
つまり欧米特有の現象としてです。

三点目
そこで日本はどうかと言うと、基本的にこの国は伝統的にフリーSEXの文化を持ちます(伝統的なお祭りの時には若い人がそれは大騒ぎみたいな伝統ある地域もあります)。そして浮世絵や春画等性風俗グラビアなんかも江戸時代から寛容で、同性愛含めて元から大らかな国民性が伝統です。昭和の軍備拡大等の軍国主義ファシズム時代や、戦後の「いいカッコしい的成り上がり者サラリーマンドリーム」の中であたかも性行為にも厳格な国だと勘違いされている向きもありますが、日活ロマンポルノが当時の前衛映画監督の登竜門であったように性に関しては『習俗の一部』なぐらい寛容です。
つまりですね、一気に実子である(再婚による連れ子は別ですよ)幼児への性的虐待へと繋がる構造は基本的に存在しないんです。
ペドフェリア(小児性愛者)は存在しますが、一般に彼らの考える対象者は家族以外の他者(他者への不安が→年少者へと退行)である場合が大半で血縁関係者に向けられる事はあってもまんま「家族に対して」には起り難いんです。
兄弟関係の性的関心を拡大する向きのありますが、これは「妹」等のキーワードが性的キャッチとして社会的(コマーシャル的)にも象徴化されているという面も大きい。つまりですね、日本の家庭内の性的関心のメインストリームは「スケベ」的な部分止まり(日本は基本的にフリーSEXの国なので家庭内での性的悪ふざけや”下ネタ”は習俗的にアリアリな文化的伝統があります)であるのが大半なワケです。(ちなみに父親が全裸で家族の間を歩く等の行為は性欲的表現と無関係です:後述)

四点目
そもそも『性欲論』的にですが、
人間の性とは、本能の破壊とこれの延長の自我による補完って世界を生きるようになって、「ズバリ性欲でしょう」という本能表現的な性ってものは既に壊れていて存在しないのです。
動物にとってそのモチベーション(強迫的なまでのストレス信号)の拡散と継続こそが人類の文明化における原動力となってまして、
そもそもが、本来年数回でいい筈の繁殖期をですね、年中無休にSEX可能に女性がサルから進化し、男性を(年一でもそのストレスは動物にとって致命的ともいえる大変な刺激なのに)挑発し続ける身体的変化及び化粧含めてその刺激が恒常化していますが、
これの背景は、既に性欲は様々のモチベーションの原型となっていて、それは文明を操る人類の人類たる所以に深く関わっているんだと。
飛躍的な比喩ですが「米国大統領の性的シンボルはICBMである」と言ってもいいワケです、
つまり軍事や政治、宗教や経済からスポーツに至るまで人間の強い(コミュニケーション関係の)モチベーションの背景には『解体された性欲』がそのコアとなっていると、
これをフロイドは”リビドー”と呼んでいるのであって、彼は「まんまSEXしたい的性欲」とは捉えていない筈なんですよ。

■即ち上記全部の背景からですね、
特に日本の場合になりますが、「それほど性的悩みが家族に対する性的欲求という形で発現するのは非常にレアケース」です。
ほとんど無いと言ってもいいでしょう。
(家族に対する身体的暴力の背景に性的興奮が存在する事は連想としてありますが、これも暴力止まりである事が大半)

しかしですね、
一時期反抗期の少女達の間で「お父さんの後に入浴するのは汚いから嫌だ」等の報道が目立った事がありますが、その背景には日本の女性特有の「封建主義的女性差別の時代」や「女性の自我形成に深く関わる”母親との同一化(ママゴト幻想)”」これが関わっています。又日本で言うところの男性におけるマザコンも、べったりの関係が目立つにせよ母親と年中SEXしているなんて騒ぎはそう耳にしませんよね、まーこれほとんど無いからです。心理学的にも説明に無理ありますから(欧米社会とファンダメンタルが違う)。
つまりここには「自分自身の思春期における性的不安が→そのまま性的な成長そのものを抑圧し→潜在的な性欲を背景にするが→それが歪んだ形で幼児化として→家族内に内向化する場合がある」という構造になるんです。
日本の場合には「他者への性行為への不安の反動として、性行為そのものを抑圧的にする幼児化的退行があってのー”家庭内”だと」

確かにですね、日本は家庭内で下ネタありの国ですから、
発達途中の男性や女性を性的に家人がからかうとか覗くなんてのは、元来アリであって特別その背景には性的倒錯や虐待意図は無いんです。

しーかーしー、当事者である子供に「思春期特有の性的不安からの退行的幼児化」が見られる場合、自分自身の性的キャラクターを指摘される事はそれ自体”不快因子”になるますよね?
当然そこに意識過剰にもなるんです。
そして又同時にです、「本人の心理が自分が大人になる事への不安や、家庭に対する幼児化的依存があると、家人に対して象徴的な意味でも道徳観や倫理観を強く(誇大に)求めるのは構造的に必然」になります。
そして、男性の場合射精行為を含めて性行為そのものがかなり直線的な快感がコアになりますが、女性は恋愛ドラマ好きに見られるように多聞に情緒的象徴化がありますね。(ダイレクトな性行為を忌避するというか)この情緒性ってのは「現在の人類の現況は”むしろ性的アピールで挑発するのは女性の側”」なんであって、性的関心にダイレクトに反応する側ではありません。女性の側の方がダイレクトに性行為をその”性意識”が連想するものじゃないので、”異性愛””人類愛””家族愛””親子愛”じゃないですが、その連想として男性以上に「女性の場合ダイレクトに性行為を意図しない分家庭内に内向化しやすい」のも事実なんです。

故に「お父さんの後に入浴するのは汚いから嫌だ」的な反抗期としての感情は”当事するその女性の自分が大人になる事への不安からくる一時的な性的退行が結果として性欲の家族内への内向となりやすいから”なんですよ。

ここ、やややこやしいんでもう一度説明しますが、
女性にとっての性行為は多聞に情緒的象徴化されやすくダイレクトにSEXに直線的に連想しない(極論性行為でなくても良い・或いは性的関係の幅が行為としても非常に広い)、通常日本では性欲がそのまんま行為として家庭内に(退行として)内向する事は無いが、女性の場合性行為がダイレクトにSEXでは無いので、情緒的な解釈の延長でこれが思春期の不安として家庭内に内向する事がある。
(ママゴト幻想のように、性的未発達の状態でも知識は無くても性対象を前提とした”遊び”もある)

つまり、
『日本の場合女性はビヘイビアーとして、男性以上に強く家族内部の血縁者が(性的倒錯無しに)性的対象者に見える事がある』のです。

裸族であれば裸でウロウロしても全く問題ありませんが、日本の昭和の男性なんかになると「お仕着せでスーツ着ている」的なストレスもあって、リラックスの形のひとつとして「自分の家では自由にしていい」な意識があります。
元来彼らの幼児期にには、かなりの世帯が銭湯に通う等、近所の人同士もお風呂じゃ裸同士なんて常識でしたし、それが地域との文化的な親和性を担保していた一面もあります。
(※男性の場合銭湯で身体の一部を隠すような動作は「むしろ恥ずかしい行為:男性らしくないと揶揄される→極端に言えば”オカマ野郎”」。ですからマチズモ的な男性誇示に繋がっている側面はありますが、これ当事者としては「隠す方が男性として恥」であるのも事実です)
冬さんの側に、これを嫌がる形で強く意識する環境にあったのが事実なんです。
確かに、男性家人のだらしのない態度に女性家人が立腹するのはこれも「アリ」ですが、
現象単体で言うなら「恥ずかしいからちょっとやめてよお父さん(馬鹿ね〜)」等のようなレベルで、
微笑ましい家庭の場合「嫌ねーお父さん、みっともないものブラブラさせないで」のような笑い話になっていてもおかしくありません。

一連の性的嫌悪感は、強迫傾向を持つ幼児に広範に見られる傾向のひとつである『早熟』が冬さんにも見られ、強迫的傾向を前に大人になる事への過剰な不安や抑圧傾向の結果として、性的な欲求の家庭内への内向(理想の父親像のような象徴化)があったため、当然日本では家族に対する性的欲求がエキゾチックと解釈されうような余地はほとんど”無い”ので(概ね反抗期がらみで不快だったりする)、そのまんま嫌悪感として認知されていた。と見るべきでしょう、
当時から自身に明快な強迫傾向があった証明と考えるのが筋だと思います。
(当然彼にも問題行動があった筈ですが、これは”切り分けて”彼個人単体の行動として見ていかないとなんとも言えません。ただ、今の段階でのお話からするとこれを彼自身の性的問題として見るのは適当では無いと思います。)
870 Re:「なんとなくわかります」でいいのです。 2007/11/22 14:51
> これも「アリアリ」です、
> 嘘も方便じゃないですが自覚的な確信犯的嘘は、まー言うなれば表現方法の一種ですから
> そういう戦術を自意識が使うってのは、むしろ自意識マター的には評価していもいい部分ですよ。

そういっていただけると安心します。(笑)

> つまり欧米世界には、性行為への不安があった時の一段階目の退行として「家庭内に対象者を求める」って構造が社会構造的にあるんですよ、

ここが気になったのですが、父は学生のころ、菌を野球のユニホームから移されたらしくて、(つまりインキンです)薬をずっと塗っていて(ずっと理解できなかったときは不思議でした)子供ができにくい、といったコンプレックスはあったと思います。実は旦那も包茎でして、性に関して非常に強いコンプレックスがあります。私とは性行為が成立できたので結婚したといってもよい、「自分にとっては重要なことだからこれを理由に結婚する、のは理由として大きくアリだ」と高らかに言っておりました。以前付き合っていた女性らとは成り立つか不安でなかなか出来なかった、らしいです。(私とデキたこともあり、万能感にひたるきっかけになったらしいですが。。。
他人事なので関係ないのかもしれませんが・・・・

私はそのことを後から知って「旦那に利用された」と強く感じたのです。

> ペドフェリア(小児性愛者)は存在しますが、一般に彼らの考える対象者は家族以外の他者(他者への不安が→年少者へと退行)である場合が大半で血縁関係者に向けられる事はあってもまんま「家族に対して」には起り難いんです。
> 動物にとってそのモチベーション(強迫的なまでのストレス信号)の拡散と継続こそが人類の文明化における原動力となってまして、

父は夜中に堂々(本人は隠れているつもり)インターネットでエロサイトを観ていまして、そうこういった理由からストレスの発散であることは間違いないと思います。
ネットが無いときに、私に対して度スケベ親父になっていたと考えれば、なるほど〜といったところです。
かなり無責任な父であったのは間違いないです。


> 一連の性的嫌悪感は、強迫傾向を持つ幼児に広範に見られる傾向のひとつである『早熟』が冬さんにも見られ、強迫的傾向を前に大人になる事への過剰な不安や抑圧傾向の結果として、性的な欲求の家庭内への内向(理想の父親像のような象徴化)があったため、当然日本では家族に対する性的欲求がエキゾチックと解釈されうような余地はほとんど”無い”ので(概ね反抗期がらみで不快だったりする)、そのまんま嫌悪感として認知されていた。と見るべきでしょう、

思えば3歳のころからあったかもしれないです。
朝起きたら、父がベッドで嫌々眠たそうな母にキスをしている。母は起きたら胸がはだけていて、子供ながらに不思議な現象であったと思います。
子供の前でそんなことをする無責任な父親であったため、早熟であったのは間違いないと思います。私は「かまってほしい」とつよく思っていて、「邪魔したい」、と思いながら「邪魔をしてはいけない気がする」(禁忌のような)感覚があったと思います。
反抗期、と子供への退行したい欲求があったと考えれば納得です。
強迫がずっとあったと思えばなおさら強い嫌悪だった気がします。
ということはここは「無責任で度スケベな父親だった」と解釈します。(安心しました)

ここまた見逃していた過去ログを旦那が寝静まった後、隠れてみていたりしたのですが(普段は子供に不安定な姿をみせたくなくて子供が寝静まるわずかしかネットで閲覧できません(涙)

今までのお返事から、母の背景を考えても、
「こんなになんとなくひどいめにあっているのはなんでだ?」
「母親が悪いのか?親がわるいのか?」
「そのような気がする・・・・」
「いや、そんなことを考えては生命の危機に陥る!」
「では自分がこうあるのが駄目なのか?」
「いや、私は悪くない!」
「いや、でも理由がない!」
「自分に満足してはいけないんだ!」
「そうだ〜・・・・なんだ!」
のような、幼少期に逢った究極な状況で逢った生命の危機に対する「なんかわからない状況」に対しての答えを何層にも重ねて無理やり理由を探している。ということになりますね。
「何かわからない」→「理由を探さなきゃ生命の危機に」という強迫があって
最後の最後は「自分が悪いんだ〜」となって自意識となるコアが抑圧されてしまう、といったところでしょうか。

「こんなにひどい目にあっているんだから」
「こんなに犠牲に逢っているのだから」
「こんなに苦しいのだから」
↓↓↓
「異常な環境であったはずだ」
「異常な家族であったはずだ」
と思わなければならないのであって

結局は自分の「自意識過剰」が原因なのですよね。。。
強迫=自意識過剰であって
祖母や母を見ても、
「こんなに苦しいのは〜がいけない」
と騒ぎまくっていて、本来、そんなに騒がなくてもいいこと(グレーですから)を
一生懸命、自分が犠牲になったかわいそうな状況を証明するために代々繰り返している、ことですよね。。。
祖母も母も
「こんなに可哀想であったからには普通であってはいけない!」
「こんなに犠牲になっているからには何かしら他人の責任にしなければ許せない!」
「こんなに可哀想なの!どうだ!」と「普通」である状況が不満で「特別」でいたかったということですよね。

つまり私も生まれた状況から始まって
「なぜ自分がこのような目に!」
「自分がおかしいのか?いや、ちがう」「ん??わからない!わかりにくい!」
「どうしよう!わからなければ!」
「そっか!母が悪い!父が悪い!あれが悪い!これが悪い!」
「やっぱ自分がおかしい!?」
「おかしいのは自分だ!」「自分は特別(おかしい)なんだ!」
とあらゆる理由をめぐりめぐって重ねていったということになります。
納得です〜が、コアは
「自立したい!」ですから
「過去の自分は特別おかしい環境だ、といった証明や呪縛から逃れて自由になりたい、自分を肯定できる環境でいたい」といったところでしょうか。

自分を特別によくみせたり、特別にかわいそうにみせたり、そんなみせる自分から特別をやめたい!ありのままでいたい!

となると特別傲慢な旦那がいることは嫌悪になりますし、
過去、父親に嫌悪を持っていたのは特別視しようとネタを探していたことになるんですね。

ここから難しいです。。。
どうやったら「特別」に陥らないようになるのか。。。
やはり、そのつど自覚、意識するしかないのでしょうね。
それにはどういった努力がいるのでしょうか・・・・


872 個別に答えますね kagewari 2007/11/25 00:33
まず、冬さんも同意と思いますが
>私はそのことを後から知って「旦那に利用された」と強く感じたのです。
これはまずナンセンスですよね、
「それ(性)とこれ(結婚)とは話は別」ですから
>「自分にとっては重要なことだからこれを理由に結婚する、のは理由として大きくアリだ」
この言葉は「いかに嬉しかったのか」を現す強調表現ですから。
さて、男性事情に関して疑問がある場合にはその実体を別個の話として知るほうがむしろ近道でしょう。
切ない男性の事情なるものが切々と語られていいますから、閲覧してみてください
 ↓
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/body/1191100681/
(間違っても書き込んだりしないで下さい、スレが荒れますから)


それから
>となると特別傲慢な旦那がいることは嫌悪になりますし、
ここは随分先に考える事でしょう。
「私が強迫的な妄想を実現しようみたいな話で、本来自分には結婚の意志すら、ひょっとするとSEXの意志すらなかったあなたを結果的に巻き込んだ事は大変申し訳ないのだけれど、この結婚にはあなたも同意しての事なのだから謝罪するような話じゃないのかもなんだけれど。ズバリ離婚した方がいいと思う」
と、自分で言うべきだと腹が決まった時には結婚契約の解消も真剣に考える部分でしょう。

しかし物事を一気に進めようとしても無理もありますし、そもそも強迫抜きの判断ができるのかと言えばそうとも言えない筈ですから、これは先の話として(数年スケールで考える事だと思います)、「いつか考えるかもしれない」とこころに留めておきましょう。

さて、
>やはり、そのつど自覚、意識するしかないのでしょうね。
>それにはどういった努力がいるのでしょうか・・・・

この部分ですが、今回の相談では同時進行だった直下のnakaさんのスレッドのやりとりが大いに参考になる筈です。
何度も繰り返し閲覧してみてください。
重要なキーワードは私の造語ですが「自意識マター」です。
ここに関しては、その下の早恵さんのスレでも関係論議が語られています。
ざっくり「自意識マター」とは何かと言いますと、
「本来自由意志で判断や認識、決定しなければならなない局面」=「自意識が自己責任の管理の元に意志の確認をしなければならない局面」の事です。

その本来「自意識マター」でなければならない局面が再三強迫的思考が→あたかも自動的に「(自分が被害者になる)結論ありきのような」思考や、思い込みとして発現する無意識的な判例(この前例の記憶は偏向し事実から乖離:誇大な印象)主義的な認識の分類されてしまう”与件化”が頻発する事で事実認識すらまるで認知障害のように偏向している傾向が構造化しているのです。
となるので(精神分析はその判例の事実認識の偏りをまず意識的に”歴史の再考”として見直すものです)、冷静に過去の認識の偏向を再確認によってリアルサイズに修正する事と同時に、「自意識マターの復元」が重要になります。

現象面としては、強迫的な思考の流れからそれを「自意識マター」に引き戻せばいいのですから、ここはそれほど難しく考える事は無いのです。
自意識の立ち上げ方法は様々ありますが、言葉にするなら
「あっ」
「えっ」
「あれれ」
「っだっけ?」
「かな〜」
「ちょっと待って」
等になります、
重要なのは「どんな事案にも即答しない」です。
一拍置くんです。
「うーん・・・」でもいいです。
ワザワザ時間の流れの腰を折って「審判タイム!」とプレーを中断させるんですよ。
こうすると「何か考えなくちゃバツが悪くなる」んです。
この仕事は”自意識にしかできない”んですね、
条件反射ほど確実な鍵とは言えませんが、簡単な方法としてゃ非常に有効です。

上記からわかる事は何かと言いますと。
「第一印象や、即断に近い非常に早い速度の感情的反射、結果として情緒的に不安定になるほどの感情」
 ↑
これらは全て強迫的連想なのですから、100%全て”似非です”。
決して自意識の本音じゃありません。
口の悪い表現で言い換えるなら「必ず裏がある」んです。

なので、普段日常比較的冷静な時に徹底的にこういったもの全てに根拠等無いと全否定する意識付けをしてください。
 ↓
「第一印象や、即断に近い非常に早い速度の感情的反射、結果として情緒的に不安定になるほどの感情」

方法論としては「必ず二度考えよう」でもいいでしょう。
或いは「判断するまで一日待とう」でもいいでしょう。
常に自意識で、裏取りをして自分の認識をチェックするんです。
これですね、何も損しません。
最初の判断が「何度も考えた結果あってたかもしんない」な時は、「偶然アタリもあったなー」と思えばいいんですからね。
コツとしては必ず時間を空ける事です、
その時(強迫真っ盛り)にあれこれ考えても、強迫的認識に足元掬われるだけですから。
とにっかく強迫の弱点は「その意識を長時間継続する事が難しい」のです。
「その意識が長時間継続するための秘訣」は、自意識を共犯に巻き込む事なんですね、
だからこそ、ここを「最初の判断は100%間違っている」事を信念といいますか哲学といいますか、何にもまして優先しなければならない盟約のように肝に命じておけば、共犯に巻き込まれるリスクを大幅に下げる事ができるんです。

これに成功すれば、強迫的思考の継続時間はそれに応じて短くなります。
「はっ」と気が付いて「いやいやこーーかもしれないな」と思いつけるチャンスが増えます。

これを普段の生活で繰り返していくに従って、それほど意識しなくても「自意識マター」が成立する構造が確立していくんですね。
確かに精神分析的に過去を内省的に歴史として再考していく事も重要ですが、そういった事を冷静に考えられる時間を確保する事もとても大事です。少なくともやっかいな勘違いの連鎖で辻褄の合わない不快感に巻き込まれる事例を数として減らしてく事は重要なんですね。

この「自意識マターの確立」というテーマに取り組む姿勢が質問の答えとなると思います。
※繰り返しになりますが「反復動作の運動」や「数をカウントする動作」そして「腕立て腹筋」「散歩や外出(1分でも)」これは基礎中の基礎として重要なので、「自意識が弱っているな」と思った時には迷わず”所構わず”実践してみてください。
873 Re:個別に答えますね 2007/11/26 13:07
> 「私が強迫的な妄想を実現しようみたいな話で、本来自分には結婚の意志すら、ひょっとするとSEXの意志すらなかったあなたを結果的に巻き込んだ事は大変申し訳ないのだけれど、この結婚にはあなたも同意しての事なのだから謝罪するような話じゃないのかもなんだけれど。ズバリ離婚した方がいいと思う」
> と、自分で言うべきだと腹が決まった時には結婚契約の解消も真剣に考える部分でしょう。

旦那とは実家から逃げるために結婚した。のでありますから、旦那に感謝すべきことはたくさんあり、kageさんのおっしゃるように何年もかけて考えていきたいと思います。
実際、「離婚できるネタとなる」、と考えれば旦那にひどく嫉妬『嫌悪』することもなくなってまいりました(笑)
こちらも結婚という立場をもって利用、スカウトさせてもらったので、という風に考えていけば、強迫的な不安感も減ってきたかと思います。
少しずつ自分で独学やらで自立できる土台を作っていきたいとおもいます。

実は「就職に強い資格とらなきゃ!」とまた不安から強迫的に思っているとことがあります(笑)


> 重要なのは「どんな事案にも即答しない」です。
> 一拍置くんです。

> これらは全て強迫的連想なのですから、100%全て”似非です”。
> 決して自意識の本音じゃありません。
> 口の悪い表現で言い換えるなら「必ず裏がある」んです。

そうなんですね〜〜!そう考えれば私が思ってきた現実や観念ってなんだったんだろう??と悩んできたのが一瞬馬鹿みたいに思えます。(まだまだ自分のものにはなってないですが・・・・)

> なので、普段日常比較的冷静な時に徹底的にこういったもの全てに根拠等無いと全否定する意識付けをしてください。

> コツとしては必ず時間を空ける事です、
> その時(強迫真っ盛り)にあれこれ考えても、強迫的認識に足元掬われるだけですから。
> とにっかく強迫の弱点は「その意識を長時間継続する事が難しい」のです。
> 「その意識が長時間継続するための秘訣」は、自意識を共犯に巻き込む事なんですね、
> だからこそ、ここを「最初の判断は100%間違っている」事を信念といいますか哲学といいますか、何にもまして優先しなければならない盟約のように肝に命じておけば、共犯に巻き込まれるリスクを大幅に下げる事ができるんです。
>
> これに成功すれば、強迫的思考の継続時間はそれに応じて短くなります。
> 「はっ」と気が付いて「いやいやこーーかもしれないな」と思いつけるチャンスが増えます。

習慣化するには本当に意識していないと難しいですね・・・
これからまた過去の洗い直しをしたほうがいいですよね。。。
習慣をみつけるにも。

ありがとうございます。わかりやすい説明でした。
「あれ?」「う〜〜んちがうぞ。」「そっちじゃないよ〜」から入ります。


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