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「掲示板での相談、閲覧・有料メールカウンセリング」の過程では、自我の防衛反応による混乱(興奮)が現れます。精神分析的アプローチによる「自我構造(こころ)の揺れ」です。その点に同意の上入室してください。



467 自己顕示欲 みかん 2005/11/24 23:07
自己顕示欲について悩んでいます。
例えば、女性の前で見栄を張ったり、かっこつけ
ようとして、自分を好く見せようとしています。
それが、苦しくて、止めたいのにできません。

女性の前でかっこつけようとしてる自分になると、
本来、自分は何をやろうとしていたのか。
何をしたかったのかが、思い出せないんです。

468 Re:自己顕示欲 kage 2005/11/25 00:18
自己顕示という行為そのものを考えてみましょう
通俗的な言葉で簡単に表現すれば「ええかっこしい」ですね。
そこに重要なポイントがあるのです、

例えば「お金持ちそうに見せる」
これは通俗的にも「見栄っ張り」に判断される事の多い「ええかっこしい」ですが、現実はどうなんでしょう?

「成金っぽくて嫌い」
これは十分あり得る事です

乱暴なたとえになりますが、俳優の『江口洋介』
女性の好感度の高いタレントさんのひとりです、

みかんさんが演出家だとします。

○高級外車を乗り回す金払いのい江口
このト書きは明らかに悪者演出です

○貧乏臭いアパートで、なんだかわからないオカズを煮炊きしている江口
このト書きは明らかにいい者演出です

「見栄っ張り」は「良く見られたい」と必ずしも一致しないし、赤の他人の評価をズバリ当てる事はできない上に、見せる相手が不特定多数の場合、受け取る内容がバラバラになるので「所謂全般に良く見せる」等という事は最初っから不可能ですよね。



つまり自己顕示とは「ある特定のイメージを顕示したい(見せたい)」であり、この理由は自己防衛に尽きます。
その振る舞いが自我に企画されたものなら、自分なりの美意識としてそれは身についていくでしょうから自己顕示とは呼ばれません。「自分らしさ」です、
だとするとそれ以外の自己顕示とは「慌てて、ステレオタイプな表現を場当たり的に選んでいる」事になり、当然自己決定の流れは『パッシヴ(受身)』です。

間違った表現ですが、あえてわかりやすく言うならば
「自己顕示しなくてはいけない状況に置かれた被害者」って事です。当然自我は緊急避難としてバタバタしているのですから、何をしたいのかどころの騒ぎではありません。

「何を恐れているのか?」その答えを探せばいいのです。
469 Re:自己顕示欲 みかん 2005/11/25 08:40
kagewariさん

返信どうもありがとうございました。
よく理解できました。自己防衛と言われて
はじめて気がつきました。

> 「何を恐れているのか?」その答えを探せばいいのです。

拒否感や否定的な、バカにされる(受身)ことを
恐れているんじゃないかと思うのですが、これは
、幼少期、母親が私に日常的にとっていた態度で
す。何かするたびに母は私を罵倒していましたか
ら。新しいことや、母のやり方と違うやり方(料理
など)で何かに挑戦すると呆れたというような表情
で「あんたバカじゃないのぉ」

他人から「あいつバカじゃないの」と母から
「あんたバカじゃないの」と思われること、言わ
れることを同じことのように受けとめているので
はないかと思います。

他人へは「これは投影なんだ。他人なんだしバカ
にされる側より、バカする側に問題があるんだ」
と自分に言い聞かせられるときがありますが・・・

受身ではよくないと自覚はできてるんですが、一度
「ええかっこしい」自分のペースにはまってしまう
と能動的な自分に戻すことが難しいです。
不特定多数の女性がいなければ、能動的な自分でい
られ、その日一日の目的や計画を実行に移せている
ので進歩はしていると思います。


470 もう一回、回転させるといいと思います。 kage 2005/11/25 17:45


「バカになるんです」



「さて、どういうバカになってやろうか?」
これほどアグレッシヴな発想はありません。
自立する個人(個性)は「抽象概念としての一般からハズれる」事は自明です。
HPのテキストにありますが
■ジャーナリズムとダメ人間:参照)
「さて、どんな人間になるか、、」
そんな時代に「ほんとダメだなぁ(笑」とか「あなたってダメねぇ」という言葉は「赦し」を意味します。そんなあなたでいていいですよって意味です。
「ダメな人」や「バカな人」「ヤクザ(指定暴力団の意味ではありません)者」「カブキ者」とは『多様性の俗称・愛称』です。

むしろ「バッカだなぁ=ある意味流石だなぁ」と言わせるような“自己を顕示”すればいいのです。
素で「さてどんな人間になるか、、」「そのためには何の努力をすればいいのか」とあれこれ考える事は楽しい事ですから。
471 型破りですか!? みかん 2005/11/26 23:48
kagewariさん

返信ありがとうございました。

「バカになる」ということは、型破り(簡単に言うと)
という意味でしょうか。例えば、アントニオ猪木が
「バカになれ!!!」「バカやろ〜!」と説いている
ような、あんな人物像ということでしょうか?
(単純ですいません・・・)

話題は変わるのですが、
以前からはじめていた自分の過去、どんな家庭環境
で育ったのかを分析することが自然とできるように
なってきました。当然できないときもありますが。

そこで、私は恐らく望まれて産まれた子供ではなかった
のではないかと感じました。もしくは、産まれて来て、
後悔したかもしれません。(親が)

最近、初心者向けの精神分析の本を読みました。
そこには、エスが暴れ馬で、その暴れ馬をコント
ロールしようとするのが自我であると。
私の両親はエスをコントロールできなかったんだと
思います。自分のための結婚、自分のための〜。
彼らの行動や願望の大半は、「相手のため、子供の
ため」と思いつつ、言いつつも真は自分のための行
動や願望だったのではないかと思います・・そこに
は、「自分の思い道理に」という見返りがありまし
たから。自分の思い通りに行かないと、わがままが
炸裂。自分の思い通りに子供が動かない、言うこと
を聞かないと、罵倒。一括。よは、自分を軸に周り
を見る動かそうとする。

彼らは自分を鍛えるために必要な人生の苦労を避け
て生きてきたのではないかと思います。今ある苦痛
を人のせいにして生きてきた。苦痛を再体験したと
きには、「自分の判断ミスだった。自分の器量がな
かった・・」と言ったように、自分の責任とは考え
られなかったんだと思います。そこまで、大人じゃ
なかった。いま自分が苦労していることや、思い通
りに行かないことを、人のせいにして生きてきたか
ら自分を反省する、見つめ直すことができない人な
んだと思います。でも、彼等の責任というより、彼等
をそんな人に育ててしまった、親たちに根本的責任が
あるんじゃないかと思います。自分勝手に生きた親達
は、子供よりも、自分達の方が大切だったのではない
かと思います。欲張りすぎたんだと思います。自力で
生きてこなかったのかもしれません。そのとき、その
年齢に合った人間の実力を鍛えようとしなかったのか
もしれません。

エスを100%コントロールできる人なんて、いない
と思いますが、エスに負けてばかりの人では駄目だと
思います。彼等は自分達の能力、実力を過信してしま
ったし、結婚という幸せをラクして手に入れてしまっ
たんだと思います。

冷たく、生意気な発言が続きましたが、だからと言っ
て両親を見捨てるつもりはありません。困ったときは、
きちんとして判断に基づき協力するつもりです。





474 ええ、バカとはそれに近いものですよ。 kage 2005/11/27 19:55
プロレスも「タレント(才能)」です、
才能があっても開花させなければただの人です。
ただのひとでも何ら問題は無いのですが、彼らの仕事はそれを開花させなければなりません。
ある意味、抑圧された自分自身を解放させる行為とそれは似ていて、私はブログでよくプロ野球の話を書きますが、それも同じ意味です。野村的に考えるなら「自分は二流である」と気がつく事が「頭を使う」というフェーズに切り替える発端ですから、欺瞞的な虚栄はこれを『抑えこむ』ものです。

猪木の「元気ですかー」とはそんな背景と言うか理論的に証明可能な合理的なものだと言ってもいいでしょう。


さて心理学の話ですが、正確に言うと「エス」とは本能の壊れた人類にとっての「漠とした能動性」と言えますが、この表現は正確でも言語学的にわかりにくく「違った意味に解釈されやすい」でしょう。
言い換えると
本能とは、欲求と行為をダイレクトに結びつける『非ロジカルな知的な反射』であり。本能が壊れるという意味は「漠とした能動性=欲動を解釈しなくてはいけない」という事です。

自我の機能とは「言語によるロジカルな暗号解読機」のようなもので、エス(=ストレス)を滞り無く代謝(欲望化し結果として行為に連想させる)させる執行機関であって、エスをコントロールしているのでは無いのです。
ダムのたとえ話から言えば、「上流から来る水量を放流したりしてコントロールしている」と表現できますが、ここで注意が必要なのは「主語述語関係のシーン」です。
つまりコントロールされているのは「ダムの水量(自我に対するストレス圧)」であって「河(エス)ではありません」。

つまりダムは河をコントロールしているのではなく、自分自身のポテンシャルに応じた「自分の振る舞い(ダム自身の制御)」を管理しているに過ぎません。
エス(=ストレス)を代謝させるためには、様々な流儀があるのであって、それが個性と呼ばれます。「生き方」と言い換えても極端では無いでしょう。最も簡単な表現は「太く短い人生」これはダムの設計コンセプトそのものです。


個別に内容を検討してみましょう。
子供は望まれて生まれてくるのではありません。
「望んで(自分から)生まれてくる」のです。

そして、そもそもエスの中には「遺伝子保存原則」としての性衝動も含まれますし、カップルの言動と生理的周期の関連性のレポート等も存在します。
ダーウィニズムと関連つけるのは危険ですが、人の容姿について好き嫌いがある背景(エス)には、有利な遺伝子を残そうとする生物学的な意図があるからで、
「自我は、自分の行動を自分に(言語的に)納得させる代理機関」とも言えますから、自我の振舞いとは「結果そう説明されているだけ」である事の方が多く、その実そんな面倒な事(望まない子供を産もう等という企画立案)を自我発の意図でホントに考える人はほとんど存在しません。


つまり
「知らないし、そんなつもりも無い」よく聞く言葉ですが、こういう表現を使う時の自我の環境は「ほとんど本音(自我とはそういう存在ですから)」に近いことが多いのです。
※言葉として嘘になり難い

具体的に考えるなら、
「自分のための言動」の自分の定義を『親属性』とする場合「自分のため」とは「良好な家庭、近隣との交流、経済的な安定、子供の自立、周囲からの尊敬」等です、これが一般的自分の利益であり、上記は全てエゴイズムです。
典型的な行動で言うなら「ボランティアほどわかりやすいエゴイズムは無い」のです。
※通俗的な意味の『エゴイズム』は、完全に言葉の意味が逆転してしまっています。

つまり「自分のためにならいない(不快感に囲まれ)ことしか出来ない自我は、なんとかそれを自分に説得するためにその場限りの方便(や虚勢)に追われ余力を残していないので」→「些細な事で感情的に破綻する」のです。
苦労の連続です。自我は不快な日常にさらされ、自分の不快感への対処で手一杯で、自分のための人生等考えるゆとりも無く自己防衛の自己顕示に追われ、「自由に生きることが出来ない」のです。
わかりやすく言うなら「結婚すら、脅迫(強迫)の結果」であり、それ自体が自分を追い詰める環境なのですから。
元々そんなポテンシャルは無い(脅迫が原因で)彼らにとってその人生は、毎日をやり過ごす事で手一杯であると見るべきでしょう。

つまり、経験として「幸せ」等というものをほとんど体験した事も無く、それを如何に手にするか等の人生自体疑わしく感じるほど「そんな生き方に追われてきた」と考えてもいいでしょう。
象徴化した自我の中の権威の目、“それ”が投影している世間の目、内部事情に精通している家族(自分の投影)の目、個人的な友人等の視線(自己に対峙する社会の目)、そんな脅迫(強迫)下の人生です。


協力するといより
「あ〜あ〜、心配いらない“その”気持ちは自分の事のようによくわかる。ちょっと一呼吸入れて考えてみろよ、違った見方がきっとあるから」とアドヴァイスする方が自然なのです。
話はここで1周します。「何を恐れているの?」という見方です。
475 咀嚼 みかん 2005/11/27 22:24
kagewariさん

返信ありがとうございました。

よく読み直し、頭の中で整理して
咀嚼してから書き込みます。
いつもすぐに結論づけてしまうので・・
少々お待ちくださいm(..)m
476 単純かもしれませんが。 みかん 2005/11/27 23:36
やっぱり、投稿します。
「何を恐れているか」について
のみなんですが、恐れているこ
とは、

職場で女性との些細な出来事によって
自分の心が傷つくこと。(セクハラと
かではないですよ。挨拶を意図的に、
無視されることなどです)
挨拶を無視されただけで、一日中落ち込み
次の日の朝から、ビクビクして「今日も
無視されるのかなぁ・・・」と頭の中が
そのことで覆われてしまいます。結果。
無視されたら、二度とは挨拶しませんが、
というより、関わらないようにしていま
すが。

あとは、誰かに怒鳴られること。
言葉で言い負かされること。
を恐れています。

他には母と怒鳴る父親の罵声を恐れてもいます。
(幼少期の出来事ですが、)
自分勝手に夜中に、好き勝手に押入れから
大きな音を立てて、周りの迷惑を"無視”
して、好き勝手な行動をとり続ける父親。
父親は、自分勝手な生き方をしています、
自分さえよければいい。それが父親です。
すぐ怒鳴る人、それが父です。冷静に説明
することができない人なので、聞かれちゃ
嫌なことは、すぐ怒鳴って子供を黙らせていま
した。昔からそうですが、「やめて!!!!!」
と言っても、やめない人が父親です。
「迷惑だから大きな音を立てないでくれ」
と頼んでも、やめない人なんです。”無視”
し続ける人なんです。

昨日気づいたことなんですが、一人暮らしを
しない限りは、私の人生を再スタートするこ
とは不可能だと思いました。

子供のときからですが、寝ているときでさえも、
足で蹴ったり、大きな音を立てて睡眠を妨害し
ますから、今でも続いています。上記にも書きました
が、「やめてくれ」と注意しても毎朝続けますから
・・・・・○○たいですよ。酒を飲み、臭いにおいで、
中学時代勉強を邪魔されたのもはっきり覚えています。
とにかく、人に迷惑をかける、注意してもやめない。
酒を飲み人の邪魔をする。父は子供が嫌がることを、
平然と続ける人なんです。

話の趣旨がづれてしまい、申し訳ありません。
家のどこにいても、寝ていても、いつでも、父の異常なデカイ
迷惑な音で自分のペースが狂うので・・・・。







477 Re:単純かもしれませんが。 kage 2005/11/28 16:58
つまり

彼が(父親が)「何を恐れているのか?」を考えればいいのです。

>父親は、自分勝手な生き方をしています、

これは正確では無いのです。
「酔って大きな音を立てる」これは何処から切っても現実逃避であり、そもそも大きな事(自己顕示)を立てるのは、不安と恐怖から(この部分では「挨拶を無視される恐怖」と似ているのです。無視できない「大きな音」を出せばいいのですから。)であり、彼が何を恐れているのか、という事なのです。


>冷静に説明することができない人なので、聞かれちゃ嫌なことは、すぐ怒鳴って子供を黙らせていました。

これを分析すると
「父親は不安感から冷静に自分自身すら説明できない人なので、そんな言動を聞かれても(説明きないので)、その時点で感情的に破綻を来たします。特に自分自身が投影している子供が恐ろしいので、不安感から大声で怒鳴って黙らせる事しかできないのです。」となります。

幼児が不安感から、おもちゃ等を叩いて大きな音を立てる現象と同じです。
つまり、そんな言動は自分で考えてもみっともないので、その自分を黙らせるために酔う必要があるのでしょう。
つまり音に対する不快感の背景には、そんなみっともなさに対する幻滅(乃至軽蔑)としての不快感が隠れており、そこには職場でのストレスと関連性があります。

つまり自己顕示は強いが、大きな音には抵抗があり、挨拶に気がつかないという行動は、大きな音を出さない事への拒否に見えるので(間接的に大きな音への肯定に見え)、連想性を持った不快感を招き(傷ついているのではありません「不快」なのです)、家庭における不快感が再現してしまう。
※「おいおい無視すんなよ(笑」と大声で話かけるほど親しくないのですから、傷つく等の対象者ではありません。ここが「傷つく」と認知される背景は「家庭での不快感の連想」があるためです。
家族への信頼は『傷つている』のですから。

連想性から考えるなら
自己顕示としての「ええかっこしい」への不快とは、大きな音に連想される父親の自己顕示への不快から、自己顕示自体への不快へと繋がり「自分なりの表現が自由ではない」部分への反動でもあり、

言い換えれば「自分を表現すると。大きな音の酔っ払いが見透かされる」という意味不明の連想になっているかもしれません。
何故なら、言い負かせる(自分の存在を家庭で誇示する)ためには、単純に考えれば同じ線上でより大きな音と、無意識に連想しても不思議ではないからです。
その反動が「ええかっこしい」であると、

話は1周します、
「何を恐れているのか?」
これは父親に対する言葉ですよ
478 孤立した存在 みかん 2005/11/29 02:32
kagewariさん

連日相談に乗っていただいて
ありがとうございます。日常生活を
送る上でとても助かったいます。


> 彼が(父親が)「何を恐れているのか?」を考えればいいのです。

家庭内の、孤独、孤立した存在になることを
恐れているのではないかと思います。

昔、知り合いから「父親はいないのかと思ったよ。
会話をしていて感じた」
と言われたことがあります。父はいつも家庭内
(子供の頃も結婚後も)で、疎外されていたの
かもしれません。子供と母(妻)から、離れた
、孤立した存在になっていたんだと思います。
母を罵倒していたのも、子供の世話ばかりして
いて、仕事から帰ってきた自分に構ってくれな
いことへの腹いせなんでしょうか・・・・・


私の恐れていることと、父の恐れていることが
同じだとしたら、
幼少期家庭内で”誰にも相手にされないことorさ
れなかったこと。”が自己顕示欲を生み出し、
自分に注目して構ってほしいという願望が無意識
の感情に根を張ったのかもしれません。

構ってほしい対象は母親であり、その願望が満たされ
ないまま、物心がつく年齢まで成長してしまい、不特
定の女性へと投影されていまに至っているのでしょうか。
479 Re:孤立した存在 kage 2005/11/30 00:39
孤立とは何か説明しましょう

何か大人が寂しがっているかのようなものではないのです。
幼児期のネグレクト(結果ネグレクトも含む)というのは、幼児にとって生命に関わる実存不安になるので、これを引きずると、アイデンティティー自体が不安定になります。

ですから、過剰に目立つように自己主張(一般的な不良性や、思春期特有の自己顕示も同じ理由です)すれば目前の不安感から目を逸らす事ができます。
ですから、現在自分の大人としての実存感(社会的評価や、自己評価)が不安定だと(自分の事を上手く説明できない場合「自己評価ができない」と同意)、フラッシュバックするようにこの不安感をストレスとして感じますから、孤立感となります。

元来人間はひとりですから、独立する個人は「独り」であり、この状態を孤立とは言いません(常に取り巻く集団が必要な筈ありませんから)。「孤高」とか「個室」とか「自家用車」とか数が減るほど高級だったり、快適を意味しているので「孤立」するためには「意地でも関わっていたい母集団」が必要です。

しかし元来ひとりである人間に「普遍的な自分の母集団」など存在する筈がありません。
それは妄想であり幻影です、
「家族の幻想(自分の幼児期は既に過去のもので、象徴化された記憶のイメージとして残っているので)」が、アイデンティティー不安の連想で懐古(ノスタルジー現象)しているのです。

ホームシックのようなものです。
(家族同士でこれといった交流があるのではなくても、海外留学等でホームシックになる事があります。それは、「環境」もアイデンティティーの一部であるからで、海外にいる事の不安連想でアイデェンティティー不安に繋がるため起きるのです。その土地でも「馴染みの店」等環境として自分のアイデンティティーを補完する事柄が増えると、自然にホームシックは解消します。)

孤立感に根拠はありません。
見かけ近隣他者(妻等)が、「構ってくれたら解決する」ものでは決してありません。何故なら「あなた素敵ね」と呼ばれる自分自身に不満があるのですから「あなた素敵ね」は皮肉になっても褒め言葉にはなりません。
つまり、自分自身で自分自身のアイデンティティーを確認する独立性(大人)無しには、依存関係が継続するだけになります。

みかんさんが、不特定多数の女性が特に気になる理由は「性欲」です。そして「無視されている」という思い込みがあると極端に落ち込む(これは一種の快感:ストレス代謝です)構造は「連想性から母親との関係が再現されている」と考えるべきです。
ここは一般の男性にも同様の傾向があるので(個別の女性事例ではなく「失恋(主語が不要なので、ナルチシズム的感情に分類されます)」等の抽象概念認識があると、象徴化されている女性像として母親が無意識から呼び出される事は不自然ではありません)、とりたてて問題があるのではありません。

問題なのは「母親を巡る不快感(これも分類としては興奮なので、無意識の領域では快感と何ら差が無いのです)」を反復してしまっている部分で、これをあまりに繰り返すと「落ち込む結果を作る方が容易なので」、習慣化してしまいます。
極端に言えば「無意識に(知らない間に)ワザと落ち込む結果に自分を誘導してしまう」という現象です。

ここを切り離すためには「女性一般」という概念を解体することでしょう。女性にも当たり前ですが「個々人の生き様」というものがあるのであって、「女性等という性別の前に、独立する個人」が実存しているのっですから、きちんと個人の尊厳を尊重する見方をするように意識するべきでしょう(結果「女性一般」等という抽象概念は存在しない事がわかるでしょう)。
480 概念の解体 みかん 2005/11/30 17:58
kagewariさん 

返信ありがとうございます。

> ここを切り離すためには「女性一般」という概念を解体することでしょう。

>きちんと個人の尊厳を尊重する見方をするように意識するべきでしょう

それには、個々の女性を知ることが大切だと思うのですが、
これまで、女性との会話の機会があっても、些細な事を気に
かけてしまい、落ち込んでしまうので、避け続けています。
自己防衛ですかね。

女性とどう接するか、ビクビクしないためには、
どう気持ちを切り替えればよいでしょうか。


> つまり、自分自身で自分自身のアイデンティティーを確認
>する独立性(大人)無しには、依存関係が継続するだけにな
>ります。

まだ、私には独立性がないので、恋愛はできないと自
覚しています。気になる女性はいるのですが、諦めて
います。









481 Re:概念の解体 kage 2005/12/02 16:29
必ずしも話す必要は無いのです。

阿吽の呼吸じゃないですが、仕事振りや普段の言動、表情に人となりは表現され。相手のことが良くわかれば何やかにやと話す必要はありません。

極端な例で正確ではない話ですが
芸能人の誰々は「こういう人だから、きっとあーだよね」、「そうそうきっとこんなかんじなんだよ絶対」等と、まるで私生活を知っているかのような話をしていても「自分はおかしい」とは思えません。当然話の芸能人とは話した事がある筈ありません、

上記の説明の通り「仕事振りや普段の言動、表情に人となりは表現」されます。

例えば「実際話すと違うんだよ」なんて話をよく聞きますが、これはよく考えるとその人の実像では無いのです。
何故なら人は誰と話す時にでもちょっとした意識みたいなものがありますから、「完全に普段着ではないので」素の状態は誰とも関係していない時に現れます。
なんといっても誰もいない自室の自分が素の状態なんですから。

その人の個人的な尊厳と、「自分との関係性」それは関係無いですよ。「直接話した事が無いので、芸能人には全く興味が無い」なんてことはありません。

>些細な事を気にかけてしまい、落ち込んでしまうので、避け続けています。

これは自分との関係性で神経質になっていて、そもそもその人の個人的実存に興味が無いのです。その人の個人的実存に興味があれば「あまりの関心の高さに(芸能人の例)、自分の事等関係無くなる」からです。
自分がどう思われているのか?これは自分自身の事で、特に親しくない他人には全く関係無いのです。
皮肉な事に、他人に関心がある事を発端にしているのに、結果は自分との関係性以外に関心を向けられない事を意味していますから、結果的に「常に相手は女性一般という抽象概念になります(誰が誰と言う個人の部分に結果として関心が無いからです)」
自分の事はともかく、この人はどんな人なのか?
これが他人の尊厳を尊重する基本ですから、それこそ「そういえば女性なんだな」が後からついてくるぐらいでも間違いではありません。


実はHPのテキストに書く予定の「恋愛論」まだ書いていないのですよ、テキストがあがっていれば説明は簡単なのですが、、、
そこで概要だけ説明します。
街の電車をご覧いただけるとわかると思いますが「ほとんどの人はひとりで乗っています」、そして「休日になるとカップルだらけだ」なんて事もありません。
実際に恋愛という人間関係は頻繁に起きるものではなく、所謂恋愛は投影ですから、元々無理があるのです(恋愛結婚全盛で、離婚率50%超になるのは妥当です)。現実には「社内結婚」や「同期だから」という例が多く、恋愛と呼ぶには随分と現実は場当たり的なのです。見合い結婚が優れた制度だった証明です。
実際の人間関係の基本は、やはり互いに相手を尊重する関係であり、それは必ずしも恋愛(男女の関係であったとしてもです)では無いでしょう。
そもそも恋愛等という言葉は、小説やドラマの世界等「本人達は大騒ぎな状態を」外から憧れの目から見ている普通の人の幻想で(実際街のご夫婦見てみて下さい「僕らは恋愛中」等という顔している方はそうそういませんよ)、その信頼関係みたいな『縁』を、「僕らは恋愛結婚なんだよね」という言葉でくくっているのです。
ここで反転して、「それこそ恋愛なんだと」

又緊張すると言えば、よく似たケースに「重要な取引先との関係」があります。それこそ「どう思われているのか」緊張するところですが、取引先の相手との個人的関係に緊張しているのではありません。『取引関係に緊張している』のです。
話は戻りますが「異性であることが関係性における利益性」と認知されているからで、その背景は「家庭における疎外感の反動→関係性として厚遇されたい」というイメージの誇大性(デフォルメ)が『関係性に緊張する』結果に結びついているのでしょう。

関係性はあくまで結果です、「この人はどんな人か」という認知の部分は関係から切り離し(自意識ができる事は結果にいたる過程の部分だけなので)、登場人物のキャラクター設定を受けて「自分はどうするのか」だけ考えればいいのです。
対象者が誰なのかも抽象的なままに「関係性に不安」になれば、不安のための不安になってしまいます。


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